借りパクしたやつ又貸ししてください
ステラの余命は約一年だし、完治までには少し時間もかかるだろう。
今は少しの時間も無駄にできないと、老医師とステラはシリュウム公爵家へと向かった。
辻馬車を乗り継ぎ約一時間。夕方前に公爵家の門扉までたどり着き、老医師は門を守る護衛に声をかけた。
「一週間前にシリュウム公爵様宛てに手紙を出しましたが、未だにお返事をいただけておりません。急を要する内容なので、非礼を承知で伺いました。どうかお取次ぎを」
そこまで言うと慣れた様子の護衛は、『暫くお待ちを』と言い、小さな紙に何かを書いて門にとまっていた鳥の足へと括り付けた。するとその鳥も慣れたもので、バサッと羽音を残し建物へと飛び立つ。
建物脇の窓辺へと降り立つと、窓が開いて鳥は部屋へと入った。
老医師とステラはそれらをずっと眺め、便利だなと呑気に考えていた。
二分ほどで鳥は戻ってきて、その足に括り付けられた返信を護衛が読む。
「お待たせして申し訳ありません。執事が参りますのでもう暫くお待ち下さい」
とても丁寧に頭を下げられ、いえいえこちらこそ突然すみませんと老医師とステラも頭を下げた。
そうこうしているうちに、邸から一人の男性が近づいてきた。
老医師と同年代に見えるその人が執事のようで、お待たせしてすみませんと丁寧に頭を下げられる。
なので護衛にしたのと同じように、こちらこそ突然すみませんと頭を下げ、顔を上げるとにこやかに微笑んだ執事が、こちらですと二人を案内してくれた。
汚屋敷を想像していたが、玄関ホールはチリ一つなく綺麗で、案外噂なんてあてにならないものだな、と考えながらステラは執事の後に続く。
通された場所はなぜか食堂で、『現在、当主は城にて仕事中のため、あと一刻ほどお待ち下さい』とメイドがテーブルにお茶やお菓子を並べて去っていった。
老医師は伯爵令嬢をこのようなところに押し込めるなんて、と憤ったが、当のステラは目の前のお菓子に気が行ってどうでも良いと受け流していた。
ステラは手を伸ばしたら誰かに咎められるかな、と周りをキョロキョロ見たが見張りなどは居らず、老医師の、『全部食べてしまえ』と言う言葉にも後押しされて一つの焼き菓子を手に取り、恐る恐る口にする。
その焼き菓子は初めて食べるので名前も知らないが、優しい甘さで嚥下すると幸せも喉を伝って体に入ってくるようだった。
「先生!これ、凄く美味しい」
「そうか。ステラちゃん、ゆっくり食べなさい。私のもあげるからね」
老医師とステラのお茶会は、残念ながら半刻ほどで終了した。
待ち人である当主、アルディ・シリュウム公爵が帰ってきたからだった。
執事の後ろから公爵だと思われる人が一歩室内へと入った時に、ステラはその男性と目があった。
公爵というからおじさんを想像していたが、その男性は二十代半ばくらいに見え、眼鏡をかけているせいか知的に見える。
いや、眼鏡がなくても顔は整っているな、とステラは考え直した。
執事の後ろから食堂に入ってきたアルディは、ステラを見ると立ち止まる。
ステラは一応伯爵令嬢ではあるが、引き取られてからも貴族としての教養など教えられもしなかったので、アルディが入ってきても立ち上がりもせず、座ったままお菓子をもぐもぐと咀嚼していた。
アルディは、普通は自分が入室すると皆立ち上がり挨拶をするのに、椅子に座ったままのメイド服を着た娘に戸惑ってしまった。
娘の隣りにいた老人が立ち上がり、娘にも促したのを見て我に返ったアルディは、歩を進めて正面に座ったが、慌てて口の中のお菓子を飲み込み、ごまかすようにニコリと笑うその娘から、なぜか目が離せなかった。
「突然申し訳ございません。先日手紙にてお願いいたしました聖物の貸出について、急を要することですので返事をいただきたく伺いました」
老医師の言葉に、アルディは、『はて?』と何を言われたのかわからないという様子を見せた。
それを見た執事は、『お待ち下さい』と言い置いて食堂を出ていく。
無言のまま待つこと約三分、執事が手紙を手に戻って来た。
「アルディ様、こちらかと」
「ああ、そういえば手紙がきていたな」
その手紙は未だ開封もされていなかったが、アルディはその場でピッとナイフで開封し確認した。
すぐに読み終えたアルディはステラを見て、『こちらは伯爵令嬢のメイドか?』と尋ねてくる。
自己紹介がまだだったか、と思い出したステラは、『私がステラ・コンドレイで、こちらは診察をしてくださった医師の──』と紹介をしている途中に、驚いたようなアルディの声で話を切られてしまった。
「あなたが伯爵令嬢?しかし、メイド服を着ているが」
「はい。伯爵家ではメイドとして働いていました」
「ご令嬢ですよね」
「はい。庶子で三女なので働けと言われまして」
アルディは、信じられないと目を大きく見開いた。
コンドレイ伯爵家が自転車操業の生活ぶりだということは聞いたことがあった。しかし、庶子を籍にいれたにも関わらずメイドとして生活させるのは、どうかしていると思う。
もちろん、家族としてできる仕事をというのならわかるが、メイド服を与えて貴族令嬢の教養などお構いなしというのはさすがにおかしな話だ。
アルディの記憶では、上の二人の娘はデビュタントをしたはずだ。しかし現在十六歳という目の前の娘はデビュタントをしていない。
この娘はデビュタントというものすら知らないのではないだろうか。
目の前の娘はとても美しい。この美しい娘がきちんと着飾ったらどんなに目を奪われるか。
と、そこまで想像して、今はこのご令嬢の病の話だったかと現状を思い出したアルディは、王家から借りた聖物のネックレスを置いた場所を思い出そうと頭をひねる。
確か返そうと元々のビロードのケースに入れたのは覚えている。
しかし、あの時は何かに気を取られ、どこかにそのケースを置いたまま返した気になっていた。
はて、あれはどこだったか。
いくら考えても思い出せないアルディは、正直に伝えることにした。
「すっかり返した気になっていたが、今言われて返していなかったことに気がついた。もちろん王家から直接渡すようにと言われているらしいので、渡すことはやぶさかでない。しかし、非常に申し上げにくいが、その、どこに置いたのか思い出せずに······」
「は?」
「いや、申し訳ない。恥ずかしいことだがそういうことなので、できれば探してもらえると助かる。いや、もちろん私も探す。このような非常事態なので、魔法科には休みをもらう。明日から探す。だからできればあなたにも手伝ってもらえるとありがたい」
一見健康に見えるが、ステラは病人のはずだ。自覚はないが。
しかし、心底申し訳ないと言っているのがわかったステラは、では明日から通いますと答えた。
ホッとした表情を見せたアルディがキラキラと輝いて見え、ステラはちょっとドキッとする。
『馬車で送ります。伯爵家で良いですよね』とアルディから聞かれたステラは、今は家を出て隣りにいる町医者の家に身を寄せていると答えると、『では今日からこの家に住みなさい』と意外な提案をされ驚いた。
しかし執事も驚いたようで、『アルディ様、部屋がございません』と小さい声で窘めた。
その声をしっかり聞いたステラは、『部屋がない?』と疑問が浮かぶ。
この邸はとても大きい。それなのに部屋が無いとはどういうことか。
なんだ、どういうことだ、と考えていると、『ああ、そうか』と何かを理解したアルディが、『では明日までに、あなたが生活する部屋を作りましょう』と言い、この日は公爵家の馬車で老医師の家まで送ってもらった。
「明日の朝、お迎えに参ります。持っていく荷物の用意をしておいてくださいませ」
そう言い残し馬車は戻って行った。
「ありゃあ、本当に汚屋敷なのかもな」
老医師はポツリと零したが、その言葉は豪華な馬車を見送るステラに拾われることはなかった。
翌朝私服のワンピースを着て、少しの荷物を持ったステラは迎えに来た公爵家の馬車に乗り込んだ。
「ステラちゃん、次は元気に会えるのを楽しみにしているよ」
そう言う老医師に笑顔で別れたステラだったが、やはり良くしてもらった老医師との別れは寂しい。
馬車の中で一人静かに落涙したが、気を取り直しこれからのことを考えた。
とにかく聖物のネックレスを探さなくてはいけない。
勝手に部屋に入るのは憚られるが、こればかりは許してもらわないと話にならない。
今日から公爵は仕事を休んで一緒に探すと言ってくれたが、いつまでも休めるはずもないので、なんとか短期集中で結果を出さないといけないとステラは考えた。
公爵邸へは、三十分ほどで到着した。
着替えが少しだけ入っているバッグを持ち、馬車から降りようとすると眼の前にアルディが笑顔で立っていて、手を差し出してきた。
貴族のマナーなど知る由もないステラは、荷物かな?とバッグを手渡す。
一瞬驚いた顔をしたアルディはそれでもバッグを受け取ると、アルディの後ろにいた執事に渡した。
そしてまたステラに手を差し出す。
もう渡すものは何もない、とステラが困ってしまうと、アルディは、『女性は男性の手を借りて馬車を降りるのですよ』と教えてくれた。
なるほど、とステラはアルディの手のひらに自分の手を重ね、慎重に馬車から降りた。
するとアルディはステラの手を自身の腕に回すように言い、『エスコートです。貴族のマナーの一つです』とまた教えてくれた。
ほう、そうなのね、とステラは知らなかったマナーを教えてくれたアルディの言うがままに腕を組み、それからは二人で歩調を合わせて建物内へと入っていった。
伯爵家へ貰われたステラはずっと裏方仕事をしていたため、社交へ向かう伯爵夫妻の姿など見たことがなかった。
あの二人もこうやって歩いているのだろうか、そんなことを考えながら歩いていると、まず連れて行かれたのは昨日と同じ食堂。
執事はステラの荷物を持って違う場所へと歩いて行ったので、まずここで執事を待って説明を聞くのだろうとステラは思った。
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