1話
闇夜に現れたソレは全長50メートルほどであった。大きな図体はイノシシのように、あるいは山のように大きく、町中に巨大な図体をさらけ出していた。前方に小さな頭があり、目や鼻や口の造形やはやり獣であった。その巨大な獣らしき生物は、一人の女子の姿をとらえていた。
女子は背の高い建築物の上に一人立っていた。彼女は高校生の学生服を着ていた。上からパーカーを羽織り、靴はランニングシューズを履いていた。手首や足首にはうっすらと緑色に光る金属製の器具「ステム」を装着しており何らかの機能をもつ特殊なスーツを思わせた。器具には「8000/ステム値 オンライン」という文字が浮き出ている。手には高速で連射することのできる特殊なメカニズムを備えた武器を持ち、獣に向けて構えていた。
獣はしばらく少女を睨みつけながらじっと構えていたが、それは突然に動いた。その大きな図体に似合わぬ速さで手を振り上げると、ものすごい速さで少女に手を伸ばす。まるで、右から左へと虫を払うように。
だが次の瞬間、決着はついていた。大きな図体をした獣は断末魔をあげ、それからゆっくりと崩れ落ち、消えていく。まるでそれがさきほどまで存在していたのか判断できないほどに。
「遅れてすみません。それにしてもお見事すぎて一体何が起きたのか、まったくわかりませんでした」
少女の隣にはいつの間にか一人の男が立っていた。少女は何も答えず、無言で手にしていた銃を男に手渡した。
「ヤスオミくん。これ持っていて」
男は銃を受け取って言った。
「ステイミング能力を最大限まで自由に使えば、弾の威力を数百倍まであげることができると理論上理解はしていますが、理論通りやるのはおそらくあなただけですよ。立花 イオリさん。しかも世界最年少。あなたの名前はまたこの界隈で有名になりますね」
「目的は、人々を害する獣を倒すこと。すべて私一人で殲滅可能」
「そうでしたね。でも無理は禁物ですよ、私も心配ですから」
イオリは言った。
「獣の動きが活発になってきている」
「なにか原因があるのでしょうが。はっきりとしたことは分からないですね」
娘は無言でその場から歩き始める。
「それにしてもまぁ、予想はしていましたよ、私が着くころには獣は跡形もなく消え去っていると。だからほら、せめてもの思いでみたらし団子を買ってきました」
男はそう言って、イオリに差し出した。
「いらない」
「そうですか。それは困ったことになりました。私はあなたの忠実な部下ですから反論なんてできない。私はステイミング・テレポートで家に帰ることはできないですし。それに誰とも会わない。夜食事をとる主義ではない。となれば、もうこの賞味期限が本日までのみたらし団子は廃棄するよりほかはない。残り3時間です。買っておきながらそれをそのまま手を付けず無駄にする。やりきれない思いです。私の、いや、我々クラウンの心情は追い求めるのは常に正義。私の行いは正義に反しているのではないか・・お願いです。なんとか私を救うつもりでもらってくださいませんか?」
「そういうことなら仕方がない」
「いやあ、助かった。ありがとうございます。それ美味しいんですよ。なんていったって操業明治21年、老舗の五条庵で買ったんですから」
――あるアパートの一室
「最近、なんでもかんでも増税で困るわよね」
40台ほどの女性がテレビの音声を聞きながら食事を作っている。朝7時30分、高校に通う立花イオリの目覚めは遅い。およそ家を出る15分前に目を覚まし、服を着替え、歯を磨き、朝食をとる。
「そうだ、イオリの好きなオレンジも切っておいたよ?」
「いらない。心の迷いが生まれるから」
不愛想に答え、イオリはパンにかじりつく。マーガリンも何もつけず、焼くこともせず、ただ5枚切りの食パンを胃の中に放り込んでいる。
「迷い?オレンジを食べると薬が飲めない、的な?」
困惑するおばさん。彼女は制服にパーカーを羽織り、フードを深くかぶる。彼女はできるだけ自分の姿を、顔を見られないように気を付けていた。
登校時、女子生徒がイオリに話しかけた。
「立花さん、おはよう」
同じクラスの女子だった。
「また陰気な顔をして。どうしたの?親友のミズキさんが聞いてあげよう。どうしたのかな?ところでどうしていつもフードを深くかぶっているの?それは由緒ある宝陽学院の生徒としてあまりいただけないかも」
イオリはそれに対して無反応だ。いつものことらしくミズキも気にしていない様子だった。ミズキはしばらく彼女に話しかけた後、つまらなそうにする。
そこへ他の女子生徒もやってきた。
「ミズキさんおはようございます。」
「ねぇ、昨日の荒川先輩の勇姿をご覧になりました?」
女子生徒たちの間で男の話で盛り上がりはじめた。イオリは無言で彼女たちの前を歩いた。
――授業中
「エー・・。であるからしてー」
教師の声が教室に響いている。
イオリはうつらうつらと半分眠りかけていた。
みているのはいつもの夢だった。
――
気が付くと私の両手には血が付いていた。
どれだけ洗ってもぬぐい切れないほど私の手を汚していた…
目の前には誰かが倒れていた。真っ白な衣類が赤黒い血に染まっていた。
――
ハッとして起きるイオリ。そして席を立ちあがる。
教師「どうした立花?」
イオリ「すみません。手洗いにいかせてください」
イオリは洗面所で手を入念に洗った。石鹸をつけて5回ほど、およそ10分。しかしどれだけ洗っても手からは血の匂いが消えなかった。
――昼休み
「そうだ、荒川先輩があなたに話したいことがあるらしいわよ」とある女子生徒がイオリに話しかける。イオリは少しの間考えた。この人は誰だっただろうかと考えを巡らせた。しばらくしてミズキの友人であることを思い出した。
言われるがまま、指定の場所に行くイオリ。
そこには一人の男子生徒が立っていた。おそらく一つ学年が上の上級生だ。イオリは男の顔を確認した。たまにミズキといっしょにいるところをみかける男だった。
「あ、君かな?なにか用事?」
「私はあなたに用事はない」
「え?君じゃないのか?ごめんね。誰が呼び出したんだろ?」
――放課後
学級中にミズキの彼氏をイオリが奪おうとしていたという噂が流れていた。
「ミズキさん、かわいそう。親友に裏切られて」
女子仲間がミズキを慰めるが、ミズキはクラス中の生徒が聞こえるような声で言った。
「待ってみんな。何も証拠ないじゃない。それに、イオリがそんなことするはずがない?そうよね?」
周囲の生徒たちの視線や話に無頓着だったイオリが頷いた。イオリにとってそんなことはどうでもよいことだった。下校時、イオリが帰るまでの道のりに大きな池がある。そこでザリガニがあおむけになって死んでいた。
――某所
人々を陰から守るために結成された組織、クラウン機構。機構からとある場所に派遣された二人が話し合っていた。彼らはどちらもステムを手足に装着し、敵を殲滅するための銃を手にしていた。
「獣がいるという予測結果から待機していたが何もこないじゃないか」
「そうだな。まぁ、いないならそれでいいけれどね。何事も平和が一番だ」
遠くの公園で子供たちが遊んでいる様子がみえた。近くのベンチに一人の男が腰かけていた。その男は子供たちをじっとただ見つめるだけだった。それから男はそれからゆっくりと立ち上がり、クラウン二人を見た。
「え?」
次の瞬間、二人の姿が消えた。
――アパートの一室
テレビをみながらおばさんがつぶやいた。
「そろそろ選挙ねえ。政治家のみなさんが頑張ってくれないと。そういえば最近おかしな政治家も増えたけれど、うちの選挙区はとても有名な人の孫だから間違いないわね」
「民主主義…」イオリが玄関の前で呟いた。
「あらイオリちゃん。いつの間に帰っていたの?おばさん気が付かなかったけど」
イオリは空になった弁当箱をキッチンの上に置き、それから自室へと入った。
イオリの部屋は4畳半の部屋だった。しかし一人で使う部屋にしては十分の広さだった。ベッドや机、ハンガーなどをおいても十分に余裕があった。普段使わないものは押し入れにいれておけばよかった。だがイオリは頻繁に押し入れをあける。
ステムを取り出し、彼女はそれを手首と足首に装着した。それから、一瞬のうちにその場から消え去った。
--都内某所
窓ガラスのない地価の一室。周囲はむき出しのコンクリート。敷き詰められているのは無数のダンボール箱。その中央に空間が用意されていた。小さなラウンド状のデスクにいくつか椅子が並べられている。それは手すりのある大きな椅子だった。
「それで、また私たちが警護に回らなくちゃいけないっていうの?」
女が言った。女は黒髪のストレートで腰ほどまでに長かった。
マサオミ「トバリさん、これは任務なので仕方がありません。内心嫌であっても笑顔でこなすのがクラウンとしての務めですよ。私たちには崇高な使命があるのですから」
そういって笑ってみせる。それから時計に目をやった。時刻は17時3分であった。
その場所に音もせずにふっとイオリが現れた。そこには一つの空気の揺らぎも存在しなかった。
ヤスオミ「おや、めずらしい。3分遅刻のようですよ」
イオリは特に気にする様子もなく、椅子に座った。それからマサオミはいくつかの事を話した。
トバリ「イオリさん。なぜ一番偉い人が一番遅いんですか!」
イオリ「ゴメン」
トバリはなにかにつけてイオリに強く当たることが多かった。
ヤスオミ「トバリさん、もう少し言い方気を付けましょう。彼女はクラウン・アンバサダー。私たちの絶対的な上司ですから」
トバリ「すみません!ヤスオミさん!」
ヤスオミは軽く咳払いをした。
ヤスオミ「知っての通り、次の選挙での警護についてです。これについては通達でも出ていたかと思いますのでよく読んでおいてください。いづれにしても、クラウンは表には顔を出さず影で支える役目。目立たないようにくれぐれも気を付けてください。しかし、また大量の報告事項で骨が折れそうだ」
ヤスオミはため息をついた。
トバリ「私も手伝うよ、ヤスオミさん!」
「ありがとうトバリさん」
それからヤスオミは思いついたようにイオリに言った。
ヤスオミ「そういえばクラウン運営評議会においてはなにか話はありませんでしたか?」
イオリ「参加していない」
ヤスオミ「参加していない?アンバサダーはもれなく委員で出席は義務であったはずですが…。まぁ、イオリさんにあの堅苦しい場所は似合わないかもしれませんが」
トバリ「ちょっとヤスオミ。どれだけあなたイオリに甘いの?」
ヤスオミ「それより不明な生命体についてですが、異世界から来たのではないかという信じがたい憶測もあがっています。クラウン機構理事長のウィリアム・ウェイロンは否定しているようですが」
――都内某所
ヤスオミは小型の機器をおよそ1時間ほど注視していた。
「それにしても、何人ものクラウンが姿を消している。委員会による指示で現地に向かった者たちばかりだ」
ヤスオミは資料を見ながらうなった。こんなことは初めての事だった。不気味な兆候が街にはびこっていた。カラスがけたたましく鳴いていた。
そしてその時は突如としてやってきた。ヤスオミはわずかな数値の変化を見逃したりはしなかった。
「くる」
場所を確認して驚いた。
「宝陽学院!?イオリさん。今いきますよ。ってわたしもテレポートできればいいのですが」
ヤスオミは自転車のかごに機器類をしまい、ペダルをこぎ始めた。
――下校時
イオリが帰ろうとすると声をかける男がいた。ミズキの親友だ。
男「すまない。まさかこんな噂が立つなんて。大変申し訳ない。それにしても一体どうしてこんなことに」
イオリ「気にしてない」
となりにいたミズキがやってきて言った。「なんで木村君が謝るのよ」
男「え?」
ミズキ「それに、どうしてイオリは怒らないのよ。あんな噂が立って」
イオリ「ミズキはどうして怒っているの?」
ミズキ「知らないよ!」
ミズキが走っていく。イオリが追おうとしたところで遠くから声がした。自転車をこいでこちらに向かってくるヤスオミの様子がみえた。その後方にはトバリもいる。
ヤスオミ「イオリさん!あいつがいます。これを」
ヤスオミはイオリにハンドガンを渡した。
ミズキ「なに、どういうこと?」
ミズキは状況が把握できずに3人の顔を見比べている。急にあらわれた二人とイオリの関係に戸惑っているようだった。まもなくソレは現れた。一見するとそれは人であった。だが、目はまったく光が入らずよどんでみえた。そして言葉を発した。
――アナタ シラナイ。ワタシモ シラナイ
ヤスオミが銃を構える。
「気をつけて、ヤスオミ、トバリ」
イオリが言った瞬間、奴の体は急に巨大化し、獣のそれになった。体全体が黒く、巨大な手と足を備えていた。それはほとんどイノシシのような恰好をしていた。しかし、小さな顔だけはそのまま人の顔のままだった。そして、それは明確に我々を襲い始めた。
ミズキは半狂乱で叫んだ。「あれは何?どうなってるのよ」
「ごめんミズキ。今は黙って。さぁしっかりつかまって」
イオリはミズキの体を抱えた。
化け物は校内で大きく暴れ、そして派手にその構造物を破壊しはじめた。下校時間をずいぶん過ぎていて人が少ないのが功を奏した。ただ、獣が標的に定めたのはイオリのようだった。逃げる後方からやってきて、すべてを破壊しながらイオリを追いかけた。通路上の窓ガラスや壁は次々に破壊されていく。
イオリ「強い…」
構造物の袋小路に追い込まれた。獣はものすごい勢いで突進してきていた。叫ぶミズキを抱えて、イオリはテレポートを実行する。一瞬のうちにイオリとミズキの体はそこから消え、獣の大きな図体が構造物と衝突した。けたたましい音があたりに鳴り響く。
イオリは校庭にふわりと降り立ち、銃を構えた。ミズキを庇いながらではあったが、何も問題ないようだった。ヤスオミやトバリが援護射撃をしている中、その獣に向けて銃弾を放った。その弾は獣の頭を貫いた。それは地面にゆっくりと倒れ、そのまま空気中に溶けるように消失した。
イオリ「ミズキ、怪我はない?」
ミズキ「…小さい頃からいつも私を守るんだね。本当にバカだ」といって笑う。そしてイオリをぎゅっと抱きしめる。
イオリはミズキの頭に手をかざした。その瞬間、ミズキの意識が途絶え目を閉じた。手や足はだらりと重力に身を任せた状態となった。
ヤスオミ「全員の記憶の消去は完了しましたか?」
イオリ「ええ、私たちを見た者のこの数十分は消しておいた」
ヤスオミ「でも、これは…。」
ヤスオミは周囲を見渡した。獣が破壊した校舎は記憶を消しただけでは消しきることのできないほどの傷跡を残していた。
ヤスオミ「なんらかの災害、ということにしておきますか」
イオリ「なんとか私の能力でできるところまでやっておこう。私一人で十分。皆は帰っていい」
ヤスオミ「そんなこと言わずに。私たちも微力ながらお手伝いします」
トバリ「ヤスオミさんのためなら私もお手伝いします」
――自宅へ帰る道
謎の人影がイオリを取り囲んだ。それはおよそ数人で構成されているようだった。
イオリは反射的に身構えたが、相手には戦う意思がないことをすぐに察知して手を下した。
「立花 イオリさん。クラウン・アンバサダー」
真ん中に立つ男が言った。どうやらそのグループのリーダーらしかった。
「私たちはプレシオン機構の者です。提案があります」
「提案?」
「見ていましたよあなたの戦いぶり。私の見立てではウィリアム・ウェイロンをも凌ぐ能力の高さだ。そして、彼が取り仕切るクラウン機構は腐っている。根っこから。君は私たちの仲間になる気はないか?」
「仲間?」
――アパートの一室
おばさんは娘が遅く帰ってきたことにひどく怒る。
「イオリちゃん、ちょっと遅いわよ。21時って。どこにいっていたの?いつも17時には家に帰りなさいって言っているでしょ?心配するからね?」
「ごめんなさい」
イオリは一言だけ言って、それから自室に入った。
それから椅子に座り太もものあたりに違和感があり、確認してみた。やはりあの獣にやられたらしい。大きな青いあざになっていた。強く打ち付けられたことに気が付いていなかった。
イオリはベッドに横たわり、帰り際に会った男たちの事を思い出していた。
――
「君たちのおかげで犠牲になった者がいた。知らないのか?」
「犠牲に?どういうこと?」
「知らなければ調べてみることだ。そうでなければ判断できないだろう。いかにクラウン機構が腐った組織であるのかを理解しなければいけない。すぐに返事が欲しいわけではない。知ればかならず我々に賛同するだろう」
彼らはそう言って、去っていった。
クラウン機構は腐っている?
そんなことは関係ない。
私がすべて獣を殲滅するのだから。
つづく