序 最高神官の転生の顛末 その2
礼拝所内を満たした光が消えると、マイアの横たわる祭壇の後ろに一人の女性が立っていた。
一目で普通の人間では無いと分かる。
なぜなら、その女性は身長が四メートルを超えていたから。
新緑の色の腰まで届く長い髪をゆるく波打たせ、真っ白なトーガのような布でふくよかな身を包み、慈愛に満ち溢れた翠色の瞳でマイアを見下ろしている。
体は薄く光帯びていた。よく見れば、その姿は後ろにある神像にも似ている。
【マイア、愛し子よ。そなたの願いを聞き届けましょう】
口を動かしたようには見えなかったが、室内にいるすべての者に声が聞こえた。女性としてはやや低いが、聞くものすべてを包みこむような優しさがこもっている。
女神の姿を見て、その声を聞き、礼拝所内に居るマイアを除くすべての人間がその場にひざまずく。
マイアはかすれてぼやけてきた目に、女神の御姿を焼き付けながら、震える声で答えた。
「...ありがとうございます、女神様」
【大地に実りを。そして、秘めたる願いにも応えましょう。そなたはそれだけのことを成し遂げたのだから】
驚き目を見開くマイア。
【これより一年の内にマイア、この国にそなたを人として転生させましょう。今のそなたの記憶と力はすべて受け継いで。愛し子を神界に迎えられないのは残念ですが、次の生が終わるまで待つくらいはよいでしょう】
突然の成り行きにざわめく礼拝所。
(母様は何を願い転生を許されたのか?)
ライムは気になったが、女神に直接聞くわけにもいかず、黙って見ていることしかできない。
だが喜びも感じていた。生まれ変わるとはいえ、また母と会える、同じ時を過ごせるかもしれないからだ。
「フフッ、重ねて感謝いたします、女神様。それでは次の生が終わるまで、しばしのお別れでございます」
目を閉じて満足げに息をつくマイア。
女神はうなづき微笑むと、両手を広げて肩の高さまで上げた。今度は口を開いて朗々と言祝ぐ。
【森を豊かに、畑には実りを、泉には清水を、大地に豊穣を!】
右手から緑色の光が溢れて広がると、床に、おそらくはその下の地面に吸い込まれて消えてゆく。
【生まれくる子に光あれ、幸いあれ、喜びあれ!】
左手から黄金色の光が溢れて広がり、マイアに吸い込まれていった。
【マイア、愛し子よ。よき旅を】
微笑み、最後にそう告げると、地母神の体の輪郭は薄くなってゆき、やがて消えていった。
しん、とした礼拝所の中はしばらく誰も声を出せなかった。すでに祭壇の聖女は息をしていない。
神の奇跡を目の当たりにして感動で打ち震えているものの、偉大な英雄がたしかに死んだのだと分かり、すすり泣く声が再び聞こえ始めた。
葬礼を終え埋葬を済ませた墓地には、いまだ離れ難いのか、数人から十数人の人々の固まりがいくつか残っていた。
「マイア母さん、もう会えないの?」
年少の女の子が、年嵩の少年に涙目で質問する。
「ああ、母さんは亡くなった。だけど、生まれ変わるって女神様がおっしゃってただろ?だから、きっとまたどこかで会えるよ。」
「その時には、あなたの方がお姉さんになってるわよ!」
隣りにいた少女が次いで話しかける。
確かにそうだ!と泣き笑いの顔を見合わせる子供達。
孤児院では年長の者が年下の面倒を見るのは当たり前のこと。それなら、年下の母さん(?)の面倒を見てあげなくちゃな!育ててもらったぶんをしっかりお返ししなくちゃ!と、盛り上がって話しだした。
元気を取り戻した子供達を目を細めて眺めながら、年長組も語り合う。
「それにしても母様には最後まで驚かされたな」
「まったくだ。しっかしマイア母さんは何を願って転生していったのか。ライム、お前分かるか?」
騎士の礼装を纏った三十代の男が問いかける。
「いや、さっぱり分からないよ。普段から自分の望みを口にする人じゃなかったからなあ。しいて言えば、子供達に出す食事とか、教育方針とかか?」
「だよねー、いつも私達優先で自分は一番最後だったからねー、母さんは」
こちらは二十代後半とおぼしき女性が応じる。
微笑むように満ち足りた表情をして眠りについた母を思い出して、またしんみりとした空気が漂う。
「それでどうなんだライム。母さんが生まれ変わることを隠さなくてよかったのか?」
言外に問う。女神様は一年の内に、と言った。つまりこの一年間の間に人を超えた英雄が生まれるかもしれないのだ。赤子の内に抱き込もうとする輩が出てこないともかぎらない。
「いや隠さなくていい。というよりは隠しようがないしな。神殿に集まった人達全員にお願いしても限度があるし。それに女神様も生まれ変わるとは仰ったが、この国のどこにとは仰っていない。この町内かもしれないし、国のはずれかもしれない」
「まあ、それもそうだな。噂が国の隅々まで広がるのにひと月以上、下手すりゃふた月はかかる」
この国は広い。東西で約八百キロ、南北に五百キロのやや横長な形をしているが、山脈があり、大河がありと地形も起伏に富んでいる。山奥や国境にまで噂が広がるまでにはかなりの時間がかかるだろう。
「その間に生まれてくる子供達を、すべて確認するなんて不可能だしねー」
「それでも、王都近辺では、しばらく女の赤ちゃんにはマイアって名前が増えそうではあるがな」
確かに、と苦笑する。
といってもすでに、「マイア」という名前は、この国ではメジャーな名前になって久しい。国を、いや人類世界を救った聖女にあやかって、我が子に名付けるのは人情として自然なことであり、本人も気にせずにいたため、すでにマイアという名は王国の女性の名前としては一、二を争う人気になっている。
「それじゃあ、俺は帰るわ。母さんについて何か分かったら連絡してくれや」
「私もー。旦那か、直接商会に連絡してねー」
「わかりました。そちらも何か分かったら教えてください」
ライムは子供達に声をかけて、神殿に連れ帰って行く。ふと足を止めて、母の墓標を振り返り片手で聖印を切ると、心中につぶやいた。
(母様、また会える日までどうか壮健で。)