〜 年の瀬の街と人々 ② 〜
〜 年の瀬の街と人々 ② 〜
東京の一等地に聳え立つ某大手出版社の本社ビルの一室……
長澤さんが熱心に本社の社長をはじめ多くの幹部達の前で何かのレセプションをしている。
しかし、それとは対照的に長澤さんの話を聞いている幹部達の表情は何処となく暗くヤル気の無さを感じる。
長澤さんは単身で本社にこのレセプションを申し出たのである。
レセプションは違法サイトによる損失とクリエイター達への弊害である。
「……これが我が社の被った違法サイトによる被害額です」
長澤さんがレセプションを終えると本社の幹部達は深い溜め息を吐く。
「君はいったい全体何がしたいのかな?」
幹部の1人から疑問の声が上がると他の幹部達も小さく頷く。
「私は自分達が必死で創った物、そしてそれらに関わった人たちの利益……」
「そして、そのプライベートを護りたいだけです」
「これは編集者としての責務だと私は考えています」
長澤さんは力強くハッキリと言う。
「長澤君、それは知財部の仕事だ」
「君の仕事は面白いコンテンツを提供する事なんだ、わかっているだろう」
長澤さんの言葉に疑問の声を上げた幹部がそう言うと周りの幹部達が失笑する。
「ですが、我が社には……」
長澤さんが続きを話そうとする。
「もういいっ!」
幹部の1人が長澤さんの話を遮ったのだが……
「長澤君といったかな……」
会議室の1番前の方からお年寄りの声がすると幹部は直ぐに黙る。
「君がそうしたいと言うなら止めはしない」
「好きにすれば良い」
「ワシが許可しよう……」
長澤さんに話しかけたのは本社の社長では無く、その上の会長だった。
今年で御歳88歳、この会社の創業者である。
長澤さんは深々とお辞儀をすると幹部達も仕方なく同意するのであった。
しかし、長澤さんにとっては自らの職務を放棄する事であり、せっかく副編集長に推薦してくれた幹部達の意向を完全に無視した事になるのである。
"たぶん、コレが副編集長としての私の最初で最後の仕事になるわね"
"でも、どんな結果になろうとも後悔は無い"
長澤さんは心の中で呟くと大きく目を見開き颯爽と会議室を出で行くのであった。
コスプレmagazineに戻った長澤さんは即座に社長室に呼び出される。
「君はいったい何を考えているんだっ!」
幹部からの連絡で本社での出来事を聞いた社長が怒鳴り付けるように言う。
「私にはどうしてもやらなければならない事なのです」
「クリエイターを護るのは会社として編集者としての責務です」
長澤さんの真っ直ぐで揺るぎない視線と眼光に社長も言葉を失う。
「まぁ、会長が良いと言うのなら仕方ないが……」
社長はそう言うと野良犬でも追い払うようなふうに手で出て行けと合図をする。
長澤さんは深々とお辞儀すると部屋を出て行くのであった。
"これでこの会社ともお別れね"
初めから長澤さんは自分がやるべき事をして自分なりにけじめを着けてから辞めるつもりだったのである。
長澤由紀子、24歳になったばかり人生の選択であった。
自宅に戻った長澤さんは例の違法サイトで不法にアップロードされている作品を片っ端からチェックし始める。
アップロードされている全ての製作会社と著者名とeメールのアドレスをコスプレmagazine副編集長の権限で調べ上げる。
それから、英語で不法サイトに作品が違法にアップロードされている旨を知らせるメールを作成して送信し始める。
全てを終えるのに2週間の時間が過ぎていた。
"私に出来るのはここまで……"
"後は運を天に任せるだけね"
長澤さんは心の中で何かを悟ったかのように呟きパソコンデスクの引き出しを開けるとそこには辞表が入っていた。
"後はこれを出して終わり"
長澤さんは辞表を手にすると部屋を出てコスプレmagazineへと向かう。
社屋の前に来ると何故か足が竦み社屋に入るのが恐ろしくなる。
"どんな顔すればいいのかな"
長澤さんは不安な気持ちで社屋の中へと入って行くのであった。
会社のオフィスのドアを開けると社員の目が自分に集中するのが痛いほど分かる。
明らかに裏切り者を見るような視線を向けられているのが分かる。
「何か御用でしょうか?」
受け付けの子が関係者で無いような口調で問いかけて来る。
当然、受け付け子は顔見知りであり、少し前まで普通にお喋りしていた子である。
「社長とお会い出来ますか?」
長澤さんも関係者で無いような口調で言う。
「暫くお待ちください」
そう言うと受け付けの子は奥へと姿を消し、暫くしてから戻ってくる。
「どうぞこちらへ」
長澤さんは社長室へ案内され部屋へと入る。
「長澤さん、何か御用ですか」
社長の他人のような口調と対応に長澤さんは小さな溜め息を吐くと辞表を提出する。
長澤さんの出した辞表を目にすると社長は何も言わずに目でドアの方に視線を向ける。
"さっさと出ていけって言う事ね"
社長の期待通りに社長室を出ると長澤さんの私物がダンボール箱に入れられて受け付けの横に無造作に置かれていた。
長澤さんはダンボール箱を抱えるとオフィスの皆に向かって深くお辞儀をして出て行くのであった。
ダンボール箱の中には既に離職票が入っており手続きも終わっている。
給与明細書に退職金の支払い明細書まで入っているのであった。
この長澤さんに対する理不尽な塩対応のツケは後々に数100倍になり某大手出版社に返ってくる事になるのである。
僕が長澤さんの事を島本さんからのメールで知るのはそれから5日ほどしてから帰国寸前の事である。
事情を知った僕は長澤さんに直接連絡する事になるのだが……
「和泉君の気にする事じゃないわ」
「私が勝手にやった事だから」
まるで何事もなかったかのように言う長澤さんに僕は思わず涙が出てしまったのであった。
そして、それから数日後……
僕は、手錠をかけられた人が連行されて行くのをネットのニュース速報で目にする。
例の違法サイトの運営者達が逮捕されたのである。
逮捕者は全部で53人、逮捕者の国籍も中国を初め日本やフィリピンなど数カ国であった。
日本語のサイトなので日本の運営会社かと思っていたのだが中国人が運営し中国に運営会社があったのである。
彼らは幾つもの違法サイトを運営し日本のアニメや米国の映画などを無断でアップロードし閲覧に訪れた人がサイトのページを開く度に流される、これまた胡散臭いCMやフィシィング詐欺のサイトや違法アダルトコンテンツなどに誘導するなどして莫大な利益を上げていたとの事である。
以前から問題視されていた深刻な問題であった不法サイトによる無許可でのコンテンツのアップロード関連では初めての大量の検挙であった。
米国、日本、中国それに数カ国の政府と企業、一般のホワイトハッカー達も自主的に協力して今回の短期間での大量検挙に繋がったのであった。
因みに、長澤さんの勤めていた某大手出版社は全く協力していなかった。
と言うより、幹部の言っていた知財部自体が形式だけで実際には存在していなかったのである。
この事実は後々に某大手出版社の業界内におけるクリエイター達からの評価を大きく落とす事になるのである。
何故なら、初めからクリエイター達も創造した作品も護る気が無いと言う事を意味するからだ。
長澤さんは某大手出版社の知財部は名ばかりで実態がない事を初めてから知っていたのである。
だから、無理を承知の上で自らが動いたのである。
違法サイト運営者達を震え上がらせた、この事件の発端は僕のコスプレ画像である。
どうしてこのような大事になってしまったのか、当の僕には全くわからないのである。
何か知っていそうなサミュエルに聞くと……
「エベレストの頂上で小さな雪ダルマを下に向かって転がすとどうなるかって話し……」
「それにお節介な予想以上に奴が多かったって事だけかな」
「それに、問題は解決したんだから、もういいじゃないか」
笑いながらそう言ってお終いであった。
サミュエルの叔父が米国商務省に顔の効く米国上院議員の大物政治家である事を知るのはそれから随分と後の事である。
因みに、サミュエルの言っていた賠償金であるが……残念ながら1円も入ってはこなかったのであった。
それから更に数日が過ぎ、無職になった長澤さんは自宅でのんびりと過ごしているのだった。
何もかも失なってしまった長澤さんだったが気分は最高に良かった。
島本さんとの交流も再び始まり新たな生活が始まろうとしているのであった。
その頃、長澤さんが勤めていた某大手出版社の本社では1通のメールに幹部達が集まり頭を抱えていた。
そのメールは米国にある世界最大のコンテンツ企業である某大手スタジオからであった。
数多くの世界的なヒット作を生み出し莫大な利益を上げる世界屈指の巨大企業である。
そこからの日本での事業に関する業務提携の申し出であったのだ。
業務提携すれば日本での版権を得ることができ莫大な利益をもたらすのであるのだから、本来ならお祭り騒ぎなるほどの大事なのだが幹部達はブラックホールのように暗かった。
某大手スタジオからの業務提携のメールには今回の長澤さんの功績を褒め称え条件として"YUKIKO・NAGASAWA"の指名があったからである。
しかも、長澤さんが送ったメールの内容に深く感銘した某大手スタジオのCEOからの直々の指名である。
しかし、既に長澤さんは退職してここにはいないのである。
つまり、この業務提携の話はお流れとなり千載一遇の大チャンスを逃す事になるのである。
ご指名のあった長澤さんはと言うと……
事の事情を知り感銘した日本の某書店の社長に直接招かれ雇用される事となる。
この書店の社長はクリエイター上がりの人物であった。
そして、その書店は米国某大手スタジオと業務提携を締結し業績を大幅に伸ばして急成長する。
クリエイターを護ると言う長澤さんの基本方針は多くのクリエイター達からの支持されて有能な若いクリエイターが集まる事になり。
やがて集まったクリエイター達はアニメ作品やゲーム、小説などのヒット作品を次々に生み出し、世界的コンテンツ企業へと成長する事になるのである。
随分と先の話しではあるが、長澤さんはこの書店の専務取締役にまで出世するのである。
利よりも義を、己よりも他を取った長澤由紀子の人生の選択勝ちである。
言い方を変えれば長澤由紀子の和泉兼次への想いは本物であると言う事でもある。
行動力と決断力に優れた仕事の出来る女が1人の男に本気になるとどうなるか……
猪突猛進あるのみ……和泉兼次、19歳、10代最後の波乱の年末年始が訪れようとしていた。
〜 年の瀬の街と人々 ② 〜
終わり




