僕は……第ニ章 ~ 新学期の始まり ~
僕は……第ニ章
~ 新学期の始まり ~
自分の生い立ちとその背景を知る事が出来た僕はいつもと変わらない日々を過ごしていた。
夏休みが終わる頃に僕は塾に通い始める事になった。
今までは独学で勉強をしていたのだが難関大学受験をするにあたって進路指導の三者面談で先生の勧めもあり進学塾に通う事となったのだ。
この話が出た時に同伴していたのが父だったら私は塾に通わずに済んでいたのだが……
その日は、運悪く偶然にも母の休日と重なり母との三者面談となったのである。
ハッキリ言って気乗りはしないのだが……
母のハンナの"行きなさい"の一言には逆らえない僕であった。
母のハンナには家の誰も逆らえないのが我が和泉家なのである。
かくして、残暑厳しい中を僕は塾に向かって歩いていた。
僕の通っている学校のすぐ近くにある地元では結構有名な進学塾である。
ここの塾で試験までの約4ヶ月間の間に集中的に学力強化を行うのである。
具体的な金額は言わないが、ハッキリ言って学費は馬鹿高い。
その事を知っているからこの手の塾に通うのが嫌だったのである。
まぁ、田舎にある実家から遠いと言うのもあるのだか……片道1時間30分はかかる。
"通うのが面倒くさい"
どちらかと言うと、こっちの方が本音かも知れない。
「学校始まるまでの我慢だ……」
「そうすれば、学校帰りのついでだからな」
僕は小さな声で呟くように言うと後ろから僕を呼び止める声がする
「ようっ!和泉っ!」
「久しぶりっ!」
声の主は仲の良い同級生の斎藤孝則だった。
五分刈り頭で身長は170㎝程のぽっちゃり体型で……こんな事を言っていけないが、何処にでもいる人の良さそうな普通のデブである
高校に入って初めて出来た友達でもあり神社仏閣建築が大好きで将来は建築家になりたいと言う奴である。
当然、日本の文化や歴史にも詳しく趣味方面で何かと僕と気が合う。
志望校も同じなので上手くいけばこのまま腐れ縁は続きそうである
「コレ見ろよ」
斎藤がポケットから携帯を取り出すと神社の写真を僕の目の前に差し出す
携帯の写真を見た僕の目が点になる
「何だコレ……」
斎藤の差し出した携帯の写真を見て僕が呆れたように言う
写真に写っていたのは何処かの神社のだが外観などではなく、その神社の建物の木組みや彫刻の拡大写真であった
"こう言う奴なんだよな……"
いつもの事ながら呆れたように呟くと斎藤のウンチクが始まる
誰でもそうだ、話の通じる趣味友に好きな事を話すのは道理である……
コイツがこの手の事を語り始めればキリが無い。
この写真1枚で半日は話し続けるだろう、おかげでここ3年程で僕は知りたくもない神社仏閣建築のカルトな知識をある程度は頭に入ってしまった。
残り少ない貴重な僕の脳の記憶領域を使ってしまったような気がする。
”でも、将来の目標がここまでハッキリしているのが逆に羨ましく感じる"
僕は楽しそうに話し続ける斎藤を見てつくづくそう思うのであった
「和泉って将来何になりたいんだ」
話しの途中で斎藤が不意に言った一言が妙に僕の胸に刺さる
「和泉は理数系がやたらと強いから」
「エンジニアが向いていると思うよ」
斎藤が次に言った一言で自分の本当の父の雄作の事が頭をよぎる。
「エンジニアか……」
「それもいいかな……」
僕は小さな声で呟くように斎藤に言うと塾の入り口にたどり着くのだった
塾に入ると見知った顔があちらこちらに見受けられる。
ここの塾生は僕の通う学校の生徒が多い
ふと1人の女生徒に目が止まる。
中学時代からの同級生の中野梨沙だ……
身長は160㎝程の痩せ型、おかっぱ頭でいかにも真面目そうな優等生である。
事実、外見通りの優等生である。
僕の通っていた中学校から今の高校に合格したのは僕と中野さんの2人しかいない。
知っていて当たり前なのである。
中学時代は同じクラスになった事は一度もないが高校では何故か3年間同じクラスである。
3年間も同じクラスなのに話をした記憶は殆ど無いのだが、志望校は東○大学だと聞いている。
僕が彼女(中野)の方をボォ〜とっと見ていると不意に目が合ってしまう。
中野は一瞬だけだが"えっ"と言うような表情をしたのがわかった。
僕が塾に通うのはこれが初めてなのだから驚いたのだろう。
塾の講義が始まる。
噂かは聞いていたが、この緊迫感のある異様な雰囲気には生理的に馴染めない。
講師の先生の気合いに満ちた講義を2時間受け疲れ果てて昼ご飯を食べた後、暫くの休憩の後で再び長い午後の講義が始まる。
この塾の夏休み中の夏期集中講座は僕のような塾通い経験の無い生徒には過酷である。
学校が始まれば少しは楽になると自分に言い聞かせている。
更に、この手の塾の雰囲気にも耐性のない僕にはかなり辛いものがあるが仕方がない……。
しかしながら、母の命令には逆らえない僕であっる。
塾が終わった頃には日も傾き夕暮れになっている。
携帯の時計を見ると7時を過ぎている、この手の進学塾の教室には時計が無いのである。
オマケに、この手の塾の講義は時間通りに終わらないのである。
そんな所に日本の会社の働き方の抱える大問題の根幹を感じた僕であった。
この中には将来、企業や政府の偉い人になる奴が何人かは出て来るのだから……。
講義を終えた後も半数以上の生徒はまだ教室に残って勉強をしている。
家が遠い事もあり、僕はこんなのに付き合う気は全く無いのでさっさと帰り支度を始める。
どうやら斎藤も居残りするようである。
僕は斎藤に挨拶を済ませると、荷物をまとめてショルダーバックに詰め込んで足早に教室を出て駅に向かうのだが……
乗ろうと思っていた電車にほんの少し間に合わず、30分ほど待つ事になってしまった。
"家に帰るのは夜の9時過ぎか……"
僕は心の中で呟くと溜め息を吐く
"体がもつかな……"
駅のベンチに背中を丸めて疲労困ぱいで腰掛けているのだった。
8時を過ぎるとになると日も完全に暮れ乗客の数も少なくなり駅のホームの照明灯に小さな虫が集まっている。
途中で少し寝てしまったのか意識が無くなってハッとなって目を覚まし焦ってホームの天井からぶら下がった時計の方を見る。
「はぁ〜まだか……」
時計を見てひと安心すると、隣からクスッと小さな笑い声が聞こえて来る
びっくりして横を見ると同級生の中野さんがスカートの膝の上にカバンを乗せて同じベンチ座っていた。
「………」
僕は無言で少し恥ずかしくて俯く。
「随分とお疲れのようね」
中野さんが僕の方を見て少し笑って話しかけてくる。
中野さんが話しかけてくるのはこれが初めてかもしれない。
少しびっくりしている僕に中野さんは困ったような表情をする。
「たった2人の同じ中学校出身の生徒じゃないの」
「そんな、顔されると少し傷つくわ」
中野さんは不機嫌そうに言う
「ごめん、悪気は無いよ」
「全く話した事ないから少し戸惑ってしまって」
僕は何とかその場を取り繕うとする
「まぁ……いいわ……」
中野さんが諦めたように言うと同時にホームに電車が入ってくる。
僕と中野さんはベンチから立ち上がると乗客も疎な電車に乗り空いている椅子に腰掛ける。
中野さんは僕から少し離れたところの椅子の角に座ると携帯電話を取り出して何かしている。
電車のドアが閉まり走り出す。
僕の降りる駅までこれから約1時間程かかる。
電車の揺れが眠気を誘う。
以前に寝てしまい駅を通過してしまった事があるので必死で睡魔と戦っている。
そのまま、朦朧とした意識の中でいつの間にか1時間近く経って車内アナウンスが流れ僕の降りる駅が近づいてくる。
"そろそろだな"
僕は心の中で呟くと膝の上のショルダーバックを手にして椅子から立ち上がる。
「えっ!」
立ち上がると中野さんが熟睡してる姿が目に入る。
"起こしてあげた方がいいかな"
"中野さんってどの駅で降りるの?"
僕は中野さんの降りる駅なんか知らなかったのである。
どうしようか悩んでいると電車がホームに近付き減速のためにブレーキをかける。
その反動で熟睡していた中野さんが椅子からずり落ちそうになりスカートが捲れ上がって白のパンツがモロに見えた。
慌てて飛び起きると捲れ上がったスカートを直す。
口元には涎の跡がクッキリと残っている。
口から涎が垂れている事に気づいて慌てて口元を手で拭う中野さんの動きがピタリと止まり、ゆっくりと顔を上げると僕と目が合う。
見る見るうちに中野さんの顔が真っ赤になっていくのがわかる。
僕はどう言う表情をしていいのかわからずにしていると電車が止まりドアが開く。
僕は中野さんに軽く頭を下げるとそのまま電車を降る。
中野さんはそんな僕を電車の中から呆然と見ているのであった。
それから中野さんと何度も顔を合わす事があったが別段に変わった様子もなく、僕もそれまでと同じように敢えて言葉を交わす事もせずに夏休みは終わるのであった。
塾帰りの夜の駅構内にある自販機の前でエナジードリンクを腰に手を当て一気飲みする中野さんの姿は今でも脳裏に焼き付いている。
その姿は、何処となく風呂上がりにビールを一気飲みするハンナと重なる。
そして、僕にその姿を見られて焦っている中野さんの仕草と表情も僕の脳裏に今も焼き付いている。
僕は……第ニ章
~ 新学期の始まり ~
終わり