〜 涼音の和泉家探訪記 ① 〜
〜 涼音の和泉家探訪記 ① 〜
メリッサが帰国した後、僕はなんとも言えない喪失感に襲われた。
時間にすれば僅か10日ほどの時間であったが僕にとっては短い時間であっても記憶としては大きなものであった。
毎日のようにメリッサとオンラインで話す時間が唯一の救いである。
それはメリッサも同じであると言う事が話していて伝わってくる。
何かをしていないと妙に落ち着かない……
そんな日が続いたが徐々に日々を取り戻しつつあった。
そんなある日の午後……
僕の携帯電話に1通のメールが届く。
拝啓
ご無沙汰しています。
△△出版編集の寺澤那美です。
以前にお願いしていました和泉様邸の見学の件ですが、日時はいつ頃がよろしいでしょうか?
お返事をお待ちしております。
△△出版編集の寺澤那美
メールは涼音さんの編集担当者の寺澤さんからであった。
"あっ……完全に忘れてた……"
以前に寺澤さんから申し出があった事を完全に忘れていたのである。
"これはとても失礼な事をしてしまったな……"
僕は心の中で寺澤さんに謝罪する。
"とりあえず、父に相談してみるかな……"
僕は直ぐに鍛冶場にいる父に相談すると……
「ああ、いつでも構わんぞ……」
別に気にする事も無くいつものように二つ返事で会話が終わる。
「今度、鍛えがある日はいつ?」
僕が尋ねると父は少し間を置く。
「そうだな……今週の金曜日あたりか……」
父はそう言うと原料の鋼の塊を選別を始める。
「それじゃ、その日に2人見学者に来てもらってもいいかな?」
僕が尋ねると父は鋼を選別しながら小さく頷く。
僕は直ぐに寺澤さんに返事のメールを送る。
直ぐに返信が返ってくる。
かくして涼音さんと寺澤さんの和泉家訪問が確定するのである。
それから数日後の金曜日の午前10時過ぎ……
"ピンポーン"
時間通りに和泉家の呼び鈴が鳴る。
僕が玄関の引き戸を開けると涼音さんと寺澤さんが立っている。
この辺りは山間部なので夏は暑く冬は寒い。
ましてや真冬のこの時期となれば日中でも10度そこそこである。
寒い事は予め伝えてあったので2人とも防寒着姿である。
涼音さんはリュックを背負い登山用のジャケット姿、寺澤さんはダウンジャケットにビジネスバッグを持っている。
防寒着姿とはいえこんな寒空の下に待たせるわけにはいかない。
2人をリビングに案内する。
暖房を効かせて暖かいほうじ茶を用意している。
2人は荷物を降して上着を脱ぎリビングのソファーに座りお茶を飲む。
「ふう〜落ち着いたわ〜」
寺澤さんは、ほうじ茶を飲んで一息ついたようである。
「和泉君の家って昔の商家を……」
「リノベーションしたんですよね?」
涼音が僕に尋ねる。
「そうです、170年ほど前の材木問屋だそうです」
僕が答えると涼音は興味深そうである。
「家の中を案内しましょうか?」
僕がそう言うと涼音は大きく頷く。
僕は涼音さんと寺澤さんを連れて家の中を案内して回る。
僕の実家は江戸末期に建てられた商家である。
近隣の山々で採れる材木を扱う材木問屋だったそうである。
長らく空き家であったものを父と母が町の移住推進プログラムの補助金制度で格安で買い取りリフォームしたのである。
安くて買い取った代わりにリフォームには相当な費用と時間を費やしているそうだ。
一部二階建ての母屋は総床面積は120坪ある。
少し離れて物置として使われていた12坪ほどの建物があり、今は父の鍛冶場となっている。
敷地面積は225坪である。
日本の平均的な住宅に比べればかなり広いと言える。
ただ、この辺りでは我が家よりも広い敷地面積と建坪の家はそう珍しくはない。
「……広いわね……」
「私のマンションの部屋の何倍あるのかしら……」
寺澤さんは思わず口にしてしまう。
「庭も広いわね……」
寺澤さんは和室から見える庭を眺めてながら呟く。
確かに庭もあるが日本庭園と呼べるほどのものではない。
観光地で公開されている古民家を見学しているような寺澤さんに対して涼音さんは全く喋らない。
"涼音さん、どうしたんだろ?"
"……いつもと随分と様子が違うなぁ……"
涼音さんの反応が薄い事に僕は少し戸惑う。
"あっ、そろそろ父が刀の鍛錬する頃だ……"
考え事をしていたので父が刀の鍛錬に取り掛かる時間の事を思い出す。
「そろそろ、父の鍛冶場に案内します」
僕は涼音さんと寺澤さんを離れの鍛錬所に案内する。
涼音さんは鍛錬所に入ろうとするが入り口の手前で立ち止まり何かを躊躇っている。
「あの……どうかしましたか?」
僕は鍛錬所に入る事を躊躇っている涼音さんに尋ねる。
いつもと涼音の様子が違う事も気掛かりである。
「……女の人が入ってもいいのかしら……」
涼音さんは真剣な表情で僕に尋ねてくる。
「……」
僕は唖然としてしまう。
確かに昔は鍛錬所は神聖な場所だとして女性が入る事を禁じていたからだ。
「それは、昔の話ですよ」
「今でもそんな所もあるかもしれませんが……」
「うちの父はそんな事なんか全く気にしない人ですから……」
僕が笑って答えると涼音さんはホッとした表情なり鍛錬所に入る。
鍛錬所の奥では父が鞴で火床の炭の火加減を調節している。
薄暗い部屋の中でオレンジ色の炭が鞴で火床に風を送り込むたびにゴォー、ゴォーっと音を立てて炎を上げる。
「おお、来たか……」
「丁度、火床の炭の火加減が頃合いになった所だ……」
薄汚れた白い作務衣姿に手縫いを禿げ頭に巻いた父が僕達に話しかける。
「工藤涼音と申しますっ!」
「本日は見学させて頂き誠にありがとうございますっ!」
涼音は少し緊張した様子で父に挨拶をすると寺澤さんも同じように挨拶をする。
「……こちらこそよろしく……」
父はそう言うとこれから鍛錬する鋼の塊を火床の炭の中に入れる。
鋼の色を見ながら鞴の火加減を調整している。
今日、鍛えるのは守り刀として注文を受けた短刀である。
真っ赤になった鋼を槌で打つと火花が飛び散り鋼の塊が少しずつ刀の形へと変わっていく。
涼音さんも寺澤さんもその光景を瞬き一つせずに見ているのであった。
鍛錬が終わり僕達は再びリビングへと戻る。
寺澤さんがリビングの壁にかけられている絵梨香の怪しいカレンダーに気付く。
「このカレンダー、和泉君の?」
僕は妹の絵梨香のものだと説明する。
「そう……和泉君の妹さんって……」
「この手のものが好きなの?」
寺澤さんの質問に僕は大きく頷く。
「ええっ!凄く好きですよ」
「我が妹ながら恥ずかしいぐらいに……」
僕が力強く答えると涼音さんが僕の方を見ている。
「和泉君の妹さんって確か池田敦子さんと知り合いなのよね……」
涼音さんはそう言うとポケットから携帯電話を取り出して画像を僕に見せる。
「このレイヤーさんって和泉君の妹さん……なのよね?」
涼音さんは不思議そうな表情で僕に尋ねてくる。
どうやら、涼音さんはアッちゃんや絵梨香の事を知っているようである。
涼音さんとアッちゃんとは、以前にゲーム開発に協力した時の◯◯ソフト関連の繋がりである。
「あ……そうです……」
涼音さんが不思議に思うのも無理はない。
僕は妹との関係を説明する。
「そうなの……ごめんなさい……」
「プライベートな事を聞いちゃって……」
涼音はすまなさそうに僕に謝る。
「いいですよ、誰でも疑問に思うでしょうから……」
僕は涼音さんに気にしないように言う。
「そろそろお昼ですけど何か食べて行きますか?」
涼音さんと寺澤さんを食事に誘う。
「はい、ご一緒させていただきます」
寺澤さんはそう言うと涼音さんもニッコリと笑う。
「少し歩かないといけませんが……」
「近くに鰻屋さんの古民家カフェがありますが……」
「どちらにしますか?」
僕が2人に尋ねると涼音さんと寺澤さんは顔を見合わせる。
「鰻屋さんにします」
涼音さんが答えると寺澤さんも頷く。
僕と涼音さん、寺澤さんの3人で鰻屋さんへと歩いて向かう。
運ばれてきた鰻重を携帯電話で写メに撮り、笑顔で美味しそうに食べる寺澤さんを見ていると……
僕の中ではいつも無口でクールなイメージの寺澤さんの違う一面を見たような気分になる。
それに対して、あまり喋らずに黙々と鰻を食べる涼音さんに違和感を覚える僕であった。
鰻を食べ終えると自宅へと戻るのであった。
〜 涼音の和泉家探訪記 ① 〜
終わり