追いかける友は友達になりたい
二人の子供の背で色褪せるランドセルがカタカタと鳴く。車道の端で子供たちは縦に一列、前の子供が何度も後ろを振り返りながら歩いていた。
「なー、スナオ。」
後ろの子供が前の子供ーースナオを呼ぶ。スナオは車道と歩道の間にある柵に手で触れて遊んでた。
「んー? リクー?」
またスナオは振り返って、後ろ向きに歩く。スナオを呼んだ子供ーーリクは歩く速度を落としながら言う。
「スナオはどこの中学に行くの?」
「たぶん、みんなと一緒じゃないとこ。」
スナオはまた前を向く。少し離れた先で信号が青く光っている。スナオは柵に抱きつくように腕と足を絡めて、歩くのを止めた。
「大丈夫なの?」
「んー。お母さんがねー、いつまでも学校の友達と一緒にいられないって言ってたよ。だからね。本当に、たぶんだけど。んー、んー。何も、できないと思う。」
その声は曖昧にしたかったように名残惜しんで、それでもスナオは言い切った。
「たぶんね。全部回りに合わせて決めてしまうんじゃないかって思ってるのかな。でも、自分は結構、みんなと違う方に行ってたのになー。むしろ、みんなと同じもの、選べないのになー。真似できないのになー。何もできないのになー。」
「スナオは、どこに行きたいの?」
リクがそう言うと、スナオはやっとリクの顔を見た。スナオの目はじわじわと潤んで、溢れそうになると下を向いた。スナオは泣いてしまった。スナオは何も言えなかった。何も決めれなかった。どこも行きたいものを思い浮かべなかった。
「リクは行きたいとこ、ないよ。帰ろう、スナオ。」
リクがスナオの前に出ると、スナオはリクのランドセルに掴まりながら歩き出す。
スナオは大人みたいに見えて、子供っぽい。身長がクラスで一番高くて、おとなしそうだけど活発で、頭が良さそうに見えてテストは悪くないけど良くもない。授業の態度は真面目にノートをとって理解できてそうだけど、テストは空白がたくさんある。
スナオは算数だけできるとよく言った。でも結局文章問題ができないから全部だめだと最後に何度も言う。そんなスナオだけど、リクが残る補習に行ったことは一度もない。リクが分からないプリントを見るとヒントを教えてくれる。先生はこう言ってたよ。教科書に書いてあるよ。でも答えはと聞くと、スナオも分からないと言った。できる子なのに、できる子だったのに、本当にスナオはできない子だった。できる子になれたなかった子だった。
スナオはクラスのみんなと仲が良い。というより、席が近い子とよく話す。席替えで班分けしたどの子でもよく笑っているのをリクは見ていた。先生にもよく次何しますかーって話しかけてるところを見る。
でもスナオはみんなの前で発表するのが苦手みたいだった。声が裏返って、早口になる。終わる前も後もじっと下を見つめてる。そんなスナオにみんな、授業の後に話しかけに行く。そうするとさっきと別人に変わったみたいに、元に戻って忘れてしまっているみたいに嬉しそうに笑ってた。
リクはクラスの中心にいる。あの子の周りはいっぱい人がいる。みんながリクが好きみたいで、とても嬉しい。あの子を嫌う人がいない。あの子が誰かを嫌う人はいない。それがとても居心地良かった。
クラスのみんなは良い人たちだ。みんなのことが好きだ。だけどみんなは嫌なことがある。嫌な人がいるみたいだった。
誰かを好きという話は好きだ。誰かを嫌いという話はできなかった。そういう話になるとスナオはいつも離れていく。人が多くなると、一人になりたかった。
リクといると、離れることがなかった。リクが誰かを褒める度、その子とリクが好きになる。リクとたくさん話をした。スナオが好きなもの。リクが好きなもの。とても好きが好きになる。
こんなに仲が良いリクとずっと同じクラスになれるなんて思わなかった。どうしてだろうっていつも思う。こんなに好きでいられて良いのだろうか。リク好きだよ。離れるまで、ずっとずっと好きだよ。
きっと誰かがしてくれたもの。本当に嬉しい。本当にありがとうっていつも思ってる。
今日まで頑張ってきた。何をと言えば、現状維持だった。みんなと一緒にいたい。みんながやるべきことをやれる人がやれるだけ、できることを。できないことも、できるようにやってきた。自分ができないことをみんなができたから。やってくれたから。助けてくれたから。
一人で何ができるんだろう。一人で何がしたいだろう。どうやって学校に行くんだろう。どうやって学校から帰るだろう。きっと簡単にはみ出してしまう。車が通る道が近づいている。階段に手すりがない。上から何かが落ちてきそう。スナオは潰れてしまうのだろうか。自分の顔が分からないぐらい、頭から落ちてしまうのかな。
明日から一人になる。一人になってしまう。ねえ、青信号を渡るにも、一人じゃ歩き出せないんだよ。信じられないだろうなぁ。信じてくれる人も、一緒にいた人だったから。
誰かのためなら、頑張れたんだって自分を知った。こんなにも駄目な自分が生きられたのは、みんなをおかげだった。みんなと一緒にいれたのは、リクのおかげだったんだ。
それを今まで知らなかった。ちゃんとみんなにお礼を言えたら良かったな。
ああ、自分は思うだけで、ありがとうって言ったことなんてなかった。いつも誰かが言うのを聞いているだけだった。
春が終わるように、花が散り風が舞う。地面に落ちている桜の花びらが生き物のように動く。それを見てるだけで楽しかった。
今年度のはじまりの日。快晴だった。雲が残らないほど風が強かった。
着なれない制服は厚くて重くて、寄り道が許されないみたいだった。両親が何度も後ろを振り返ってスナオを見る。隣に並んで歩くことが出来なくて下がりたくて、足音が遅くなった。
何度も夢を見た。誰も知らない同級生。自分はどうなるんだろうって思ってた。話しかける言葉も見つからない。無視すること、黙ることなんて出来ない。でもきっと、正しい返事を自分はできない。
学校の塀が並んでる。同じ制服を来てる子が自分を追い越して行く。声がする。一人の言葉が分からない声が頭に入る。大勢の人が門に集まって写真を撮っている。
数回しか横目に見たことしかない中学校の校門の横に『入学式』と立てられた見覚えのない景色。知らない人たちがこんなにも集まっている。この中に自分が入る。自分を知る人がどこにもいない集団に。
早く今日を終わらせたい。両親がカメラを手に引き留める声がした。こんなに人がいる前で、カメラに顔を向けることなんてできないのに。両親に顔を向けられたくないのに。
声を出したら、酷い言葉が。自分でも今まで気づかなかった感情を吐き出してしまいそうで。
俯いていた。地面で上に踏まれている花びらの元の色を探してた。
人がいない場所をと、建物の玄関を逸れて脇道に入っていった。桜の木が並んでる奥は自転車とごみ捨て置き場があった。
さらに奥を進んだらどうなるだろう。校庭へ出るか建物を一周してしまうか。時間稼ぎがしたかった。どのぐらいの何が欲しいのか分からずに。
間違えたかった。ここにいたくなかった。追い出されたい気持ちだった。みんながいる学校を選んでも、その先はこんな風になっていたと思うから。きっとどこを選んでもいずれ一人でいなきゃいけない。
上手く一人で、生きなきゃいけなかったんだ。
「スナオ」
自分の名前を呼んでくれる人なんていないはずだった。
「リク」
いつまでも、あの子の隣に居座ってしまいそうだったんだ。
ありえないことだって思ってた。今、目の前に同じ制服のあの子がいる。今、あの子がここにいるのは何故なのか、考えられなくても分かったから。
「スナオ、びっくりしたよな」
分かったから。自分が思う以上に、あの子が優しくて強くて、自分が弱いことをあの子は知っていた。憶えてくれていた。助けられないといけない自分だった。
「どうやったら、スナオに話しかけれるのか、考えたんだ。スナオにとっての友達ってなんだろうって、四年生になった頃から思い出してたんだ」
リクとスナオはずっとクラスメイトだった。みんなはクラスメイトで、同じ学校の同級生だった。
小学校の友達だった。それだけなのに、自分の隣人が学校のクラスメイトしかいなかったから。家族以外の知る人なんてクラスメイトだけなのに。
「五年生でクラス替えがあるから、別の組になったらいつ話しかけに行こうかって、休み時間になったらすぐ行けるように、せめて隣の組だったらいいなって思ってて。二人して同じクラスになれるなんて思ってなかったから発表された時びっくりしてさ」
憶えているよ。信じられなかったから。こんなにも仲良くしてるリクとスナオを四組もある中で一緒にいれるのは一人か二人だけだから。
驚いたんだ。信じていいのか分からなくて、泣いてしまうぐらいに。
「みんな良かったなって言ってくれて、嬉しかったよね。スナオが泣いてなかったら、安心したリクが泣いてたよ。その時に初めてスナオが泣く所を見たから、それにも驚いて涙が出なかったんだよ。その時からだよ、スナオを分かるように知ったのは」
あの時のリクが、みんなが、当然のように受け入れられていたから、怖くなってたんだ。自分はこんなにも嬉しいことをされたのに。こんなに自分に都合が良いことをして大丈夫なのか不安になって。
でもリクも、同じだったんだろうか。
「ねえ、スナオ。スナオはリクたちをクラスメイトにしか思ってなくても、リクもみんなも、スナオのこと友達だって思っているよ。学校から帰っても、まだ一緒にいたいって。学校の外で一緒に店を回ってみたいって、みんなでスナオのこと話したりしてたんだよ。みんなスナオに会いたいって思ってるよ」
家に帰ったら、いつもみんなのことを家族に話してたよ。こんなに素敵なことをしてくれた、助けてくれた。ずっとみんなといたいって話してしまったら、駄目だと言われたんだ。リクと同じクラスになれたらいいなって言った時も、無理だろうって言われてたんだよ。
あの時、本当に叶えられないものが、叶ってしまって、誰かの間違いだと思った。自分がなにかずるいことをしてしまったんじゃないかって。怖かった。嘘だったとしても、このままいさせて欲しいとすがってしまったんだ。泣いて、許してもらいたかった。
「リク。リク。リク。」
一緒にいたい。みんなと一緒にいたかった。みんなが同じ中学校に行くのに泣いてた意味を、いまさら理解した。
どうしようもない後悔を、自分は抱いている。ここにリクがいるのは自分のせいだった。どうすることもできないのに、リクとみんながいれる学校に入れるはずだって思ってしまう。
なのに、だから、もう。だからこそ、今ここに来てくれたリクに。
「ありがとう。いままでも、ずっと一緒にいてくれて。」
感謝を。
目の前にいる友達がいれば、いなければ、自分は生きていけない。