第三話 俺氏、帰宅時に買い物を①
「主、何を落ち込んでいるのですか」
「いやあ……金欠……金欠……あはは……」
「正規の手続きで会計は済ませ、無銭飲食という法には抵触してはいません。つまりこの以上の対応はありません」
あるんだよなあ。
あの後、気が付くと俺のアパート付近を歩いてた。人間にも帰巣本能はあるらしい。酔っぱらって記憶なくしても帰れるしね。
しかしあの時は全裸で目が覚めたのだ。それからだろう、俺は全裸という至高の趣味に目覚めたのは。
あの時何があったのか。知りたいような知りたくないようなそんな毎日。
「わん」
「お、噂をすれば影が差すってね」
遠くから駆け寄ってくるは、飼い主を引きずる四駆。四つ足で駆ける我らがチャッピーだ。
「もうチャッピー急に走り出さないでよ~、あ……こんにちわ」
「はいこんにちわ」
「わん」
あ、何故か急に思い出したけど不審人物にであったら挨拶するといいらしいぞ。そうすると相手は怯むらしいんだ。そうやって世の子供達は先生に教えられるんだって。今は関係ないけどね。
「あの……お帰りですか?」
「うんそうだよ、由紀ちゃんはチャッピーの散歩?」
「わん」
「はいそうです……」
あの日のコンビニとは違って及び腰だと感じた諸君。それは正しい。
おそらくあの時、由紀ちゃんはチャッピーが見つかったことで舞い上がっていたのだ。
本来の俺と由紀ちゃんの距離はこんなもの。だって俺はただの近所のおじさんだからね。近所づきあいは町内会のイベントがあった時に顔を合わせる程度なのだ。
あの夜のチャッピーを見つけてくれたという恩義が無ければ、間違いなく無視されていただろう間柄なのだ。世の中世知辛いね。
あれ? では何故相沢家は俺の顔を知っていたのだろう。
「わん」
「ということらしいです」
分かってたよちくしょー。いい歳して独身持ち家なしだもんな! 普通警戒するよな!
「わあ……」
ん?
「あのっ、おじさん! そのっその子はその……」
お澄まし由紀ちゃんが「有名人と出会ってあらどうしよう」みたいなリアクションをしている。
視線の先には我らが不思議美少女、成穂。ああ……なるほど。
「この子はおじさんの遠縁の親戚の子だよ。しばらく預かることになったから仲良くしてあげてね」
そういうことになった。
「へえーだから似てないんだ……」
失礼なことを言われた気がするが俺は難ty
「私、由紀。相沢由紀って言います! ……えっとえっと、私とお友達になってくださいっ‼」
「わん」
「私は成穂です。こちらこそよろしくお願いします」
「わはあ~……奇麗……お人形さんみたい……」
「わん」
ふむん、どうやら成穂の容姿に対する反応は個人差があるようだ。
そしてチャッピーは変化なし。ふっ……しょせんは犬畜生か。
「あああのっ! これから私の家に遊びに来ませんかっ、新しい茶葉を買って……あ、紅茶の!」
「申しわけありませんがまだ引っ越しの片付けが済んでおりません。また機会がありましたらお誘い下さい」
「わん」
ほう……そう躱すか、堅さはあれどなかなかやりおるわ、この宇宙人。後チャッピー、お前は関係ないから。
「そう……残念、ううん凄く残念だけど仕方ないよね……」
「わん」
「だけど私達友達ですよねっ! きっとまた誘いますから。その時は遊びに来て下さい!」
「是非その時はよろしくお願いします」
「きっとですお姉さま!」
「わn――
未練を振り切るかのように由紀ちゃんは駆けだした。チャッピーを引きずって。
なんかおじさんこの空気に興奮してきたぞ。
百合の香りってこんな匂いがするのか~、んーん新鮮。
「これで問題ないでしょう」
お澄まし由紀ちゃんに負けず劣らず――いや成穂には誰でも負けるわ、氷点下お澄ましだもの――の成穂は自信満々にこちらを見つめた。多分自信満々なのだと思う。
「しかしお姉さまだなんて、お前が一体いくつに見えたんだろうな」
そういう口実で成穂をじっとりと観察する。
成穂は年齢不詳である。
成人よりは背が低く、容姿よりは高く見える。伸びた背筋は何らかの作法を修めた佇まいを醸しつつ、張りのある肌の隅々からは生気溢れる幼さを感じさせる。
……胸はいい感じに出ていて、均整の取れた美乳を予感させ、お尻はツンと上向きで生意気さを感じさせる。
ひらひらのスカートが邪魔で足が見えないのがざんね――
「あれ? お前、何時のま――」
「成穂です」
「成穂さん何時からその恰好でいらっしゃったのですか?」
気が付けば成穂はふりふりのゴシックロリータ衣装を着こんでいた。
こんな田舎じゃあそりゃすげえ目立つわ、誰でも見るわ。
「髪と瞳を可視光線域で黒く見えるようにしてからです」
ということはバイト中から此処までずっとこの格好だったわけである。
由紀ちゃんがミーハーな反応をした理由の一端がこの服装のせいだったのだろう。
しかし、
「全然気が付かなかった」
そうなのである。
俺は今の今まで成穂がどんな服装をしているのか気が付きさえしなかった。
いやそうではない。
気にしさえ、考えようとさえしていなかったのだ。
「どういうことだ……」
あー怖い、これは怖い。まただよまた。
眼球には盲点と呼ばれる部分がある。視神経が束になっている、視神経乳頭という部分は光を感じることが出来ないため、人間はそこの部分に映る筈の映像を知覚出来ない。
しかしこうして生活している分には、視界に盲点などという景色の欠損を自覚することはない。片目を閉じていてもである。
それは何故か。脳が欠損部を保管するからである。脳が周囲の景色を把握し、溶け込む様に盲点部分を捏造するのである。
つまり見えていない事に気付かない。
うんちくは置いておいて、こういうのってなんていう病気だっけ。
あー怖い。
「主は私の身体ばかりに興味がおありの様でしたので」
ん、つまりどういうこと?
「病気ではないよね?」
「病気ではありません」
ならよかった。
って、ちょ待てよ。
「そそそそれってそれまで裸だったってこと⁉」
「……貴方にとっては」
何ということだ。俺の趣味を理解しうる存在が、気付かぬうちにこんな身近に存在したもうたとは。神よありがとう。
「理解は不可能です」
「あっはい」
理解者ではないらしいです。
やれやれ、俺はまた何かやっちゃいましたか。デュフフ。
不機嫌な、そんな感じのする成穂を引き連れて再び歩き始めるのだった。