第二話 俺氏、新しいクサにはまる①
どうということもなかった。
味は熟成された甘味の中に酸味があり、程よいキックが充足感を与えてくれる。これはバージニア葉とバーレーのブレンドだけではなく、国産葉も入っているのか。
「上手いじゃあないか」
これなら常飲してもいいな。成穂さんに製造元を教えてもらって取り寄せようか。
コーヒーをぐびり。少し冷めているが美味しい。甘い煙にマッチした苦さ。ああぼかぁ幸せだなあ。
「……ん」
何か、いや何だろう?
「気のせいか」
俺はご機嫌でその一本を吸い終えたのだった。
*
「ただいまー」
靴を脱ぎながら何時もの言葉を告げる。
そうだ、今は独り身ではないのだ。口臭も気にしなきゃあならないかな。
顔を上げて気づく。
玄関から直ぐに台所。その奥のすりガラスの向こう、四畳半の部屋に人影がない。
「まだ煙草屋に居るのか」
一日中店番する約束でもおばちゃんとしたのだろうか。それともあそこでアルバイトでも始めるつもりなのだろうか。
成穂さんは俺が働いているアダルトショップでもバイトをしているから二足の草鞋になるな。
まあ若葉さんは未成年の体であるからお手伝いだろうし、直ぐに帰ってくるだろう。
でも煙草屋の看板娘にでもなったら流行るだろうなあ。
そんなことを考えながら、畳の上でごろごろしていると――
*
夕方になった。
「遅いな」
二人はまだ帰ってこない。
何時もなら夕食の準備を二人してしている頃だ。
「遅くなりました」
「ただいまです」
「おお、おかえり」
噂をすれば影。買い物袋を提げた二人が帰ってきた。
「煙草屋の御夫婦に引き留められて遅くなってしまいました」
「ほんとお人好しですね」
黒い髪がすっと銀色に変わる様子はいつ見ても奇麗だ。
いやあこんな美少年に囲まれた生活が出来るなんて俺は幸せだなあ。
***
「それじゃあ行って来ます」
「いってらっしゃい」
「おお、気おつけてなー」
学校へ向かう若葉さんを見送る。素足の覗く短パンが非常にいい。
「それじゃあ俺も出掛けるか」
「私も学校へ向かいます」
二人揃って安アパートを出る。
「おばさんおはよう!」
「わん」
近所の青少年由紀夫君と、その愛犬チャッピーとばったり出くわす。
「由紀夫君おはよう。朝に会うのは久しぶりだね」
「今日は朝練がないからね」
「あと俺はおばさんじゃなくて、お姉さんだって」
「あはは、僕ぐらいの年なら誰でもおばさんですよ」
うーん確かにそういうものか。
「成穂お兄様、おはようございます!」
「……なんで成穂さんは兄呼びなんだよ」
「あはは」
ぐぬぬ、こやつ舌の乾かぬうちに……。
「わん」
お前に慰められても嬉しくない。
*
「それじゃー」
「わん」
「俺達も行くか」
「はい」
成穂さんはモテる。
こうやって朝の登校に付いていくと、誰からも挨拶を掛けられる。そして横に居る俺に不審な目を向ける。それが何時もの日常。まあそこは慣れっこだ。
しかし成穂さんは余り挨拶し返さない。『氷の貴公子』そう呼ばれていると、由紀夫君の友達から聞いたことがある。
不愛想なのは思春期の特有の照れのように見えるが、それが違うことを俺は知っている。
成穂さんと若葉さんは宇宙人、いや自称宇宙船だ。
それがここまで日常に溶け込めていることが驚きなのだ。
「それでは私はここで」
「おう」
そうして途中で別れる。
成穂さんは高校へ、俺は勤め先のアダルトショップへ。
*
「おはようございます」
「おはよう、今日も張り切っていこうか!」
この男装をした女性は俺の雇い主だ。女だてらにこの店を一人で切り盛りしている。
俺を雇ってくれた奇特で、尊敬する人物だ。
しかし時々偶然に尻を触を触られるトラブルが後を絶たない。おっちょこちょいな人でもある。
「それじゃあお願いね」
「はい」
言っちゃあ何だがこの店は結構繁盛している。
それも女二人で切り盛りしているアダルトショップという希少にある。始めた当初は大変だったそうだが、男装の女性という物珍しさに人が入り始めたのだ。
今では女性でも入りやすいということ、ネットで一時期話題になったことでそれなりに有名になったそうだ。
それで県外からの客も来る程度には売れているという訳だ。
しかも最近は、とある秘密兵器がバイトで雇われたのだ。
*
「こんにちわ」
「いらっしゃい」
この子は撫信君だ。
由紀夫君の友達のお姉さんだ。
実はとある事件で偶然知り合って、その件以来ここの常連となったのだが、初めは顔を隠していた。
今は吹っ切れたのか、こうして挨拶する程度には仲良くなっている。
「俺としては丸洗い出来る旧製品のほうが良かったけどねー」
「はーなるほど……ほんと詳しいですよね」
そんな感じで新商品の説明をしている最中に、撫信君が世間話を始める。
「しかしその『俺』って言うのは止めたほうがいいんじゃないですか?」
この一人称の事だろう。しかしずっと『俺』で生きてきたのだ。
「ん? 今更変えられないぞ」
「でもですね、一応お――」
「遅れました」
来ました店の秘密兵器。その名も成穂さんだ。
「お、来たね」
「あ、じゃあ僕はこれで……」
「そう? 毎度ありー」
撫信君は成穂さんに苦手意識があるようだ。
やっぱりあれだけ美青年だと同性として尻込みするところもあるのだろう。
彼もイケメンなんだから自身も持てばいいのに。
「レジ変わります」
「頼むね」
店内が色めき立つのが分かる。
何処に隠れていたのか、店の棚の影から女性たちが湧きだし、あっと言う間にレジに列を作る。
彼女達は成穂さんのオッカケというやつだ。アイドルの追っかけをニュースでは知っていたので、当初は身構えたものだが、彼女達は非常に礼儀正しく大人しい。
彼女達のお陰で店の売り上げも上がり給料も上がった。
店長も「不良在庫になっていた女性向けの商品が売れて助かったよ」と言って好意的で、成穂さんは首にならずに済んだ。ここでのバイトを勧めた身としてはホッとしたものだ。
「ありがとうございました」
「は、はひぃ」
女性客七割という珍しい客構成である当店は、こうして順風満帆なのであった。




