第四話 俺氏、時の流れに涙する①
教室内は騒然としていた。
泣き出す者。机の下に隠れる者。親にすがりつく者。子を庇おうと抱き着く者。
それを俺は床に伏した状態で眺めていた。
「な、なんで……仲間じゃあ……」
京香先生はうろたえて居る。そりゃそうだろう。俺のことをこのテロリスト共と共謀してイベントを起こしたと思っているのだから。
当然俺もその一人だ。
右手を触ろうとするが触れない。それも当然。肘から先が存在しない。
これは一体どういう事だ。
成穂さんが便器で現れたところから、俺のお気楽珍道中が始まるのだと確信していたのに。この鬱展開はどうだ。これでは人生のジャンルが変わってしまう。
そして成穂さんは、若葉さんは一体何をしているのだ。
「静かにしろ」
ガスマスクさん。いやガスマスク野郎の低い声で、一切の音が消えた。
「お前達は人質だ。政府が条件を呑めばそれで解放される。この馬鹿な男と同じめに遭いたくなければ大人しくしていろ」
やけに男の声がはっきり聞こえる。身体が動かなくなって他の五感が鋭敏になっているのだろうか。
「それは玩具じゃあないの……」
京香先生の呟きはガスマスク野郎にも聞こえたようだ。
「何故そう思った?」
いやいやいや誰でも思うだろ! そんな見た目で殺傷力があると思わないだろ!
くそ、まさかそう思わせることが目的だったなんて。
「じっとしていろ」
その低い声は先程までとは違い、底冷えするように心を冷やした。
*
しばし時間は静かに過ぎた。
人々は思い思いにこの重苦しい時間を過ごしている。
生徒達のあの勢いは今はなく、親に寄り添うように静かに過ごしている。
京香先生は教壇近く、俺の倒れ込んでいる側に座り込み、膝枕をしてくれている。ああもう死んでもいい……ってまあ死にそうなんだけど。
奇妙なのはテロリストが生徒や親が持っていたスマホなどの携帯端末を取り上げた様子がないことだ。
犯行声明などを知らしめて本気であると脅す目的でもあるのかもしれないが、警察などに連絡されるのを恐れもしていないようだ。
馬鹿なのか? いや、それだけ自分達に自信があるのか、それとも警察や自衛隊の動きを抑制できる組織的な犯行なのか。
それを知るために、今教室に居る者達は、テロリストの目を盗んで必死に携帯を操作している。
「しっかり気を持って下さい……きっと直ぐに警察が来て、救急車で病院に行けますから」
「ははは……痛みも感じませんが大丈夫です。意識ははっきりしています」
京香先生は本当にいい人だなあ。やっぱり授業参観に来てよかった。
惜しむらくは腹に仕込んだ雑誌が効力を発揮しなかったことかな。
変装のためにお腹に仕込んだぶ厚い雑誌が、刃物を防いで反撃に出る。そんな漫画を読んだことがあるが、刃物ではなく銃。しかも撃たれたのは腕で、肘から先を吹っ飛ばすほどの威力の謎の銃だ。
謎の銃……。
そういえばあの銃の形、あの巻貝モドキ兵器にどことなく似ている気がする。
それにこれまで成穂さんと若葉さんに一切動きがない。
二人の姿を探す。見えるのは林のように立ち並ぶ机の足の隙間から見える生徒や親達の不安そうな姿。
床に座っている者が多く、身体までは見えるが顔が机の天板に隠れてよく見えない。
床に横になった状態というのもあって、成穂さんも若葉さんも見つけることが出来なかった。
――ぽひぽひぽひ――
間の抜けた音が何処からともなく聞こえる。
ガスマスク野郎が懐から何かを取り出すのが見えた。
取り出したのは――
「俺だ」
「ちくわじゃん」
ちくわだった。何故? どうして?
今、この教室に居る者全ての思考が一致した。
「なんだと⁉」
ガスマスク野郎の低く、ドスのきいた声が逆に間抜けさを加速させる。
だってちくわを耳に当てて独り言を喋っている様にしか見えない。
電話? 電話のつもりなの? え? それももしかして銃みたいに本物なの?
「分かった。作戦を変更する」
相手? との会話が終わったのだろう。ちくわを懐に戻すとガスマスク野郎は教室を見回しこう語った。
「交渉は決裂。お前達は見捨てられた。よって一人ずつ殺していく。まずは先生と言ったな。お前だ」
「ッヒ!」
悲鳴とも、泣き声とも、ため息とも聞こえる声がさざ波の様に教室中を埋める。きっとそのどれでもあったのだろう、悲しみの響きだ。
このままでは行けない、いや逝けない。
俺は死ぬだろう。しかしこんな所で死んでいい人間なんて俺ぐらいしか居ない。
子供達も、その親も、そして京香先生も。俺に比べたら必要とされるべき人達なのだ。
「ちょまてよ」
「あ……だ、まだ寝て……」
力の入らない体を叱咤し、無理やり起こす。
「駄目です、じっとしていないと貴方はっ……」
京香先生の震えて、しかし振り絞るような声が聞こえる。
挫けそうでいて、それでもなお生徒の為に先生であろうとする声が聞こえる。
俺に僅かでもその気高い優しさを向けてくれている。
ああ、子供の頃に、こんな先生に本当に教えて貰いたかったなあ。
「……お前が最初になるというわけか」
その低い声に、驚きと驚嘆が混じって居ることが可笑しくて、つい笑ってしまう。
「おうさ、どうせすぐ死ぬんだ……だがなあ、それはお前も道ずれだ」
「その心意気は買おう。だが死ぬのはお前ひとりだな」
「抜かせっ‼」
力を振り絞りガスマスク野郎に突撃する。
奴は慌てることなく、部下らしいサングラス野郎を手で制すと、もう片方の手に握られた銃を俺に向ける。
その余裕をぶっ飛ばしてやる。
距離はほとんど離れていない。しかしその銃口(実際には巻貝の先)が素早く、そして確実に俺の方へと向けられる。
狙うは俺の頭部。何故かそう確信できる。きっと相手も腕を吹き飛ばされた俺がこうも動けることに驚愕しているはずだ。
だからこその即死狙いの頭部。
だからこそ銃口(巻貝の先)が持ち上げられるまでの猶予がある。
「うおおおおおお‼」
腕を振りかぶり、そのガスマスクに狙いを付けて殴り掛かる。
俺の拳がお前の頭部を砕くのが先か、そのふざけた銃が俺の頭部を吹き飛ばすのが先か。
勝負だ!
「あ」
殴り掛かった方。既に吹き飛ばされた方の腕でした。拳がありませんでした。てへぺろ。
額に突き付けられた銃口(巻貝)とガスマスクが俺の視界を占める中、成穂さんと若葉さんの姿が教室の隅にあった。
――ポピューン――
俺の意識は、その音と共に非常に真っ当な疑問を残して消え去った。
なぜ。
何故、成穂さんはカメラを構えていて、若葉さんはレフ板を掲げているのでしょうか?




