第三話 俺氏、壁に惚れる
小腸だか大腸だかを奇麗に洗って赤く染色してマーブルチョコを散りばめてブツ切りにして煮凝りで固めてさらにタールでくっ付けたような通路を、妙に鼻に付く何処にあるのか分からないエメラルドグリーン色の照明が照らしている。何故かキラキラした粒子もそこかしこから出ている。
ホラーなのかファンタジーなのかはっきりしろ。
「此処もお気に召さないようで……これは全面的な改装が必要ですね」
「お気に召すわけないでしょうに、というか歩きにくいんですが! この蛇腹なのか階段なのか分からない床!」
「文句を言わないで下さい。貴方のせいで私も歩きにくいんですから」
何故この床が俺のせいになるというのか。宇宙人とのコミュニケーションは難解である。
「着きました」
「ここは……」
少女に連れられて着いたその場所は、半円形の小さな部屋だった。
いや、謎の構造物がひしめいているせいで部屋なのか分からないが、取り敢えず行き止まりにある空間なのだ。
ここも平衡感覚が狂うほどのコントラストで奇麗なんだか汚いんだかよく分からない。いや芸術とはこういうものな気もする。美術の成績は1だったけれど。
「此処は操舵室でもあり、艦の全てを掌握出来る……つまりは心臓部です」
「ああ……なるほど、ここに居れば何でも操作出来るのね、ですね」
「そうです」
つまりこの宇宙船の主の部屋と言っても過言ではないのだ。
ということは。
「つまり娘さんを私に下さいと、君の親父さんに挨拶しろというわけですね」
「……非常に広義的でファジィでニューロに答える――」
「いやそれはいいから」
「違います」
「あれ?」
違うらしい。
「私の父親ではなく、主であるお方はもうこの世界には存在しません」
「……」
余計なことを聞いてしまったらしい。
俺は湿っぽい話は大嫌いなのだ。俺つえー小説でも戦争ものは嫌いなのだ。
「それはその……人は何時か別れる時が来る。その時までに過ごした時が別れの時をいやしてくれるぅ……なに韻を踏んでいるんだ俺は」
「主からのメッセージです」
「うぉろろおろろろろろおろろっろろろろろろ」
盛大に俺はリバースした。
胃がひっくり返るぐらい盛大にだ。
家を出る時は柿ピーくらいしか食べていなかったにも拘わらず、物凄い量のソレが出た。わあマーライオンだー。あれ? 俺あんな物食べたっけ? あれなんか虹色だし。
「……嘔吐という生理現象だけで済んでいるようですね。問題ありませんね。胃洗浄の手間も省けました」
いやいやいや問題あるだろう。俺がオロロとお侍さんの如く嘆いているというのに、このクール系美少女は……好き。
「画面はぼかします」
「はい……そうしてください……しかし今の化け物は……なんかどっかで見た事があるような……お母さん?」
「モニターに注目を」
「うう……うすぼんやりでもSAN値が減る」
リバースの原因になったブツに、俺は薄目を向けた。
少女がモニターと呼んだソレは、テレビにも立体画像にも見えない。
実際にそこにいるようにしか見えないのだ。ぼかしているというが、それが逆に霧の中のナニか感が増して怖い。
「でも……有難いな」
ちなみにSAN値というのは、サニティ値の略で、人が健全な精神である値という意味である。
これが零になると人は発狂するぞ気を付けろ。
「発生……いえ発声も、貴方のような原始的な生物ではまたくる――取り乱してしまう恐れがあるので加工します」
「そうしてください」
「それでは続けます。ご清聴下さい」
その合図で目の前の化け物は話し始めた。
「よっす、俺だよ俺、オレオレ」
「……」
霧って言ったけどこれすりガラスだ。
すりガラスの向こうから聞きなれた声が聞こえてきて、これあれだ匿名の証言者とか犯人だ。
「いきなりで面食らってると思うけどめんごっ。でもこういうのはサプライズっしょ!」
「……」
かっる~。
「ボクチンが君にこうして話しかけているのは単純に君にこの船を譲りたいからだ」
「ボクチンというのは+**@>・¥に於けるもっともフランクな言い方をこちら風に言語化したもので――」
フランクかなあ? まあ翻訳お疲れ様と心の中で言っておく。
「こっちも急ぎなんよ。詳しい話はそこにいる@+**#”7&?<L*`P@::;\]\/に聞いてくれっしょ」
あんだって?
「つまりはそこにある物は全部君のものってことよ。ボクチンが*¥*&%塩に掛けてカスタムした一品なんでそこんとこよろしくぅ――あやっべ」
そこでフッと化け物は消えた。
「主はフランクな方でしたので処理しきれない部分に関してはご了承下さい」
ぺこりとお辞儀をする美少女かわいい。
「これで契約は更新されました主」
なんか終わっていたらしい。
元主の化け物の声を聴いた時点で契約は問題ないらしい。「魂などという曖昧なものよりも深い」なにかに刻まれるらしい。怖くて俺はそれ以上聞けないらしい。
なぜ契約とやらが新規ではなく更新なのか疑問に思った。
だがそれは、これからの質問で取り敢えずは解決することになる。
「なんで俺なんですか?」
一番聞きたかったことを聞いてみた。
俺は誰が見ても一般人で――とここで自分語りが始まりそうな場面ではあるが割愛する。
本当に一般的な小市民なのだ。ほんとうだよ。誰もが裸になるという誘惑に気づいていないだけで真実人は衣類を纏ったおかげで体毛を失い退化したしそのせいで奇麗な肌が見えるのはうれしいけれどそれは異性限定でそれでもいんも――
「それ以上は割愛した意味以上に無意になります、貴方自身が」
「ないのも好きだよッ‼」
いけないいけないまた俺の悪い癖が出てしまった。
話を元に戻そう。
「なんで――」
「貴方が主と同位体だからです」
わあ簡潔。
「同位体?」
「正確に言えば、非接触界面境界外異種同位体です。これも正確ではありませんが」
「かいめん……」
海綿た――
「見かけ上の断絶です。次元でも時空でもないそれ以上の見かけ上の隔たりです」
「見かけ上なんだ」
「見かけ上です」
この少女は語彙に乏しいね、ははは。
「つまり主と元主は同一人物です」
「うそっ、あんなチャラい奴と!」
「問題はそこではないはずです」
「はいそうですねすみません」
う~んこの美少女は堅いなあ……。
別に俺が主とやらになってもそれは変わらないらしい。それに主というのもなんか萌えない。
「そういえば君の名前はなんていうの?」
「@+**#”7&?<L*`P@::;\]\/です」
「今コピペした?」
「何の話でしょうか」
さっきの映像の化け物が言っていた言葉が、こんな感じだったような気がする。
なるほどそれが彼女の名前だったのか……長いなあ。
「えーと……なりゃんほぉ~くぽ‼」
最後の「くぽ」は言葉ではない。目の前の人物に殴られたのだ。
眉間に突き入れられたこぶし。多分こぶし、見えなかったがそれは、俺の頭部を後方へと吹き飛ばし、それと繋がった首が胴体を運ぶ。
つまりは縦に回転しながら後方へと吹き飛ばされたのだ。凄いパワーだ、へへっオラわくわく。
「あぶうふうん」
変な声になったのは壁に激突した際の衝撃がなかったからだ。
その見た目によらず、宇宙船の一部であるらしい壁が俺を優しく受け止めてくれたのだ。
ありがとう壁。壁は見かけによらないな。今度から壁を見たら、見かけで判断せず、おもい切りぶつかってみよう。
愛してるよ壁。
「ではなくて、俺はなぜ殴られたのでしょうか?」
俺は優しい壁にもたれ掛りながら、至極真っ当な疑問をぶつけた。
「……」
「おや?」
その時俺は、初めてなりゃんほぉ~……彼女が目線を逸らすのを見た。あの真っすぐこちらを見つめていた目がである。
だから睨まないでください。心の声が筒抜けというのは駄目ですね、ごめんなさい。
「……貴方が物凄く卑猥なことを言おうとしたからです」
そうだったのか。何語でなのかは分からないがそれは悪い事をした。
ということはあれは照れ隠しだったわけだ。可愛いとこあ~るじゃ~ん。
「貴方はやはり元主に似ていますね」
「私はあんなにチャラくはありませんよお嬢さん」
ああ駄目だ。心を読まれるんだった。
ダンディ計画は開始前にとん挫した。
「つまり俺はあの化け物と同一人物で、あのなんとか界面から来た宇宙船を俺に託したと」
「そうです」
簡潔。
「なるほどなるほど。自分に自分の物を渡すから手続き不要っって感じか」
「そうです」
簡潔。
「ナルホはこの船の一部というわけか」
「……ナルホ?」
ふ、俺のセンスに驚いておるわ。
「君の名前さ。俺が言いかけた君の名前はその、卑猥になるらしいから。それを縮めて『ナルホ』。漢字を充てるなら成穂ってところかな」
「ナルホ……ですか」
どきどき。
「それで結構です登録しました」
ほ。よかった。
「改めまして。宙空界面機動艦個体ナンバー8903745―DD『成穂』はこれより貴方のお側へ着任致します」
よく分からない挨拶だったが可愛かった好き。
「こちらこそよろしく」
宇宙船ゲットだぜ。
*
「現実に逆戻りか」
今俺はとぼとぼと帰路についている。
その理由は、
「出て行ってください」
「あれ。あれ? 今あれしてあれ?」
いきなり三下り半を突き付けられた。
ちなみに三下り半とは江戸時代の離婚届の事だ。その定型文が三行半だったことから離縁の意味として使われているぞ。
「いやだいやだ降りないぞ! せっかく手に入れた僕の宇宙船!」
うーん我ながら子供じみたことをしている。幼児退行月間かな。
しかし仕方がないのだ。男の子が自分の宇宙船を手に入れたのだ。それを返せと言われて、はいと素直に頷けるだろうか、いやない。
「自分の宇宙船という考え方には含むものがありますが。それは今の問題ではありません」
あれれー照れているのかなー。
「改装です」
簡潔。
「出て行ってください」
「いや待って。俺も間取りとか話し合いたいぞ、リビングとかキッチンとか……二人の寝室、とか」
「わん」
「……」
もったいぶった仕草で最後の台詞を語って振り返ったら犬がいた。名前はまだない。
慌てて周りを確認するとそれはあの便器と語り合っていた街灯の下だった。
「夢……だったのか?」
「わん」
コートの下の愚息が俺の心に応えてしぼんでいくのが分かる。
ああ、あの場所は暖かかったのだ。
「わん」
「なんだこの馬鹿犬、俺が絶望に浸っているのを邪魔しやがって……ってお前相沢さんとこのチャッピーじゃないか。抜け出してきたのか」
足元には雑種の犬が馬鹿面を晒している。確か柴犬となんとかハスキーのミックスだったと小耳に挟んだ気がする。
「わん」
ワンしか言わねえ。当たり前なのになぜか腹が立つ。
俺の妄想では便器やアレだって流ちょうに日本語を喋っていたというのに……アレってなんだっけ? おかーさーん。
「改装が終わるまで大人しく待っていてください」
「おわぁ‼ チャッピーお前メスだったのか!」
「わん」
「なにと喋っているのですか」
「それはお前だよチャッピー……お前そんな美しい声をしていたんだな」
「わん」
「間取りは主のナカを覗いた時の記憶を参照しますから」
「おいッナカってなんだ中なのか‼」
「わん」
どうやら夢ではなかったらしい。夢オチ駄目ぜったい。
「改装に掛かる時間はそちらの自転周期で七周程です」
ということは七週間、ではなく七日ということか。紛らわしいな。
「それまで大人しく待っていますようにお願いします」
大人しく大人しくと煩い奴だ。オカンかっちゅうねん。あれ? これがバブみ……おぎゃりそう。
「……帰るか」
「わん」
「なに? 家に帰りたくないだと? 由紀ちゃんが構い過ぎて辛い? なんて贅沢な悩みなんだ。ほら行くぞ」
俺はコートを翻し、チャッピーを連れて元来た道を引き返し始めた。
それは冬の気配を感じる晩秋の夜の出来事だった。