第一話 俺氏、便器と会話する
つたない小説始めました。
不定期連載ですがよろしくお願いします。
ある日、目の前に宇宙船が降ってきた。
だがそれはまだ正確な証言とは言えない。
俺にはそれが宇宙船であると認識できなかったのだから。
話は当日にさかのぼる。
***
その日俺は素っ裸にロングコートという出で立ちで、日課の散歩をしていた。
いやまたも正確ではなかった。
最近観覧版に不審者の目撃情報と注意喚起のビラが挟まっていたその日から、しばし日課を自粛していたのだ。
「この辺も物騒になったな」
読んでいてそんな呟きが漏れたものだ。
しかし、読み進めていくにつれ、その不審者が俺のお気に入りと同じ特徴のコートを着ているという行で他人事ではないと気が付いたのだ。
「まったく……ただ散歩しているだけなのに不審者扱いとは。この国に必要なのはおおらかさと広い心だな」
日本の未来を嘆きながら深夜の住宅街を歩く。
歩みを進めるたびにコートの裾から冷たい空気が流れ込み、俺の肌を撫でる。
――気持ちがいい――
本当ならコートなんて着たくないが、法律で全裸で出歩くことが困難であるのだ。
本来なら動物である人間は全裸がフォーマルでグローバルなスタイルである。
だというのにその人の集まりである国が、裸という世界共通の自然体を拒否しているのは甚だ不合理である。
人間とはもっと自由であるべきなのだ。それを法律で規定してしまうとは……ああ、だから差別や貧富の差などが産まれるのだ。いや彼らはそれが目的なのだ。畜生エコノミックアニマルどもめ。
だからわざわざこんなロングコートを着て出歩かなければいけないのだ。
こんな格好をしていれば、不審者扱いされるのも、なにも可笑しくはない。
しかし脱いでしまえば法に抵触する。自分は犯罪行為をしたいわけではないのである。
「あちらを立てればこちらが立たず……」
思慮に富んだ推考をしならがも歩は進む。
何故人類はこんなにも気持ちのいい――もとい、素晴らしい行為を捨て去ってしまったのか。
散歩の方向は行き当たりばったりである。何故かと問われれば、それはもちろん不審人物の情報が出回っていない場所を求めてだ。
「ん……んん?」
俺は街灯に照らされた便器を前に立ち止まった。
この物語の題名をご覧になった読者諸君には、既にこれがなんであるかはご存知であろう。
しかし、しばし主人公である俺の驚きと困惑を共にお楽しみいただきたい所存である。
便器はいわゆる和式便器というものだった。
それが頼りない明りに照らされてなお、つやつやとその陶器の肌でもって健気に光を跳ね返していた。
こんな所に便器がある。それ事態が奇妙なことであるが、それが縦に立っている。
便器のどっちが縦なんだという話だが、つまり金隠しという名称の、おまるならばアヒルの頭とハンドルがついている部分を上にしているのだ。
「……便器……?」
「便器です」
「どうあぁ‼」
便器は俺の疑問にすぐさま返答した。いや本当に喋ったのが便器ならば、だが。
「……」
しばしの沈黙。
どうやら便器は自分から喋る気はないらしい。
「あの……便器さん? あなたはその……何故そこに?」
「あなたは何故コートを全裸で着ているのですか?」
「許さんぞ猿ども‼ この崇高な趣味を邪魔しおって‼ じわじわと――って便器だった」
「変わった処にスイッチをお持ちですね」
ううむ……何故便器はこのコートの下が裸だと分かったのだろうか。いや騙されるな、これははったりだ。しかし便器が人を試すとは……時代は変わったものだ。
「趣旨がずれていますよ」
「あっそうか、取り敢えずは目の前の問題に集中しないと。悪うございました」
「どういたしまして」
さてどうするか?
前門の便器、肛門の便器。どちらも進退窮まっている。ちなみに後ろを振り返ってみると、点々と街灯に照らされた道が見える。閑静すぎて怖くなってきた。
「また考えが逸れていますよ」
「いやあ申し訳ない。悪い癖だとは思っているんだけどね」
いや目の前の便器の方が怖いぞ。なんだよ喋る便器って、しかも心を読んでるぞ間違いなく。
「あの……便器さん?」
「敬称は付けなくて結構です」
このやろ。
「で、便器さん。自分になにか御用でしょうか?」
「便器に用はありません」
こいつ自分を名前で呼んだぞ。いるんだよな、自分を名前で呼ぶやつ。
あれって言っている本人は変に思われないかとか考えないのだろうか? 自己顕示欲が強いのか?
「便器は私の名ではありません」
なるほどそうか。
便器は一般名称だもんね。TOT○かなIN○Xかな、と思ったらIN○XがLIX○Lになっていた今調べたらそうなっていてびっくりした。
「なにを言っているのですか?」
「ああいや今調べたんだよ! ほらスマホ!」
危ない危ない。壁をぶち破るところだった。
「それで、どうでしょうか?」
「……なにが?」
「だから便器が、です」
……この便器はいったいなにが言いたいんだ?
話が進まないのは俺のせいじゃない、便器がおかしいんだ。
「これでは駄目なのですか? こういう物は伝統的な方が良いと知識にあったのですが……」
おいおい、便器が悩み始めたぞ。便器が悩むって凄い字面だぞ。
いやそもそも――
「なんで便器なのでしょうか?」
物凄い大前提から始めよう。話が進まない、噛み合わないと感じたらまずこれだ。
「便器を提示するのは貴方達の文化では、敵意がないことの表明と友好の意思表示の意味があると――」
「ねえよっ‼」
いかん、つい敬語が乱れた。危ない相手にはまず敬語。これは処世術の初歩だぞ。
「……少々お待ちください」
……おいおい、便器が沈黙してしまったぞ。いや便器は喋らないからこれが普通で、しかし目の前の便器は直立不動でってどこが足なんだよ。
「お待たせ致しました」
逃げようと思っていたら便器が喋りだす。
「この事象界面上ではそのような文化が存在しないと観測しました。流石の私でも、この事象全域を精査するのには骨が折れました。お待ちいただきありがとうございます」
「お、おう……いやはい」
こいつ……聞きもしないことをべらべらと喋りだしたぞ。
つまり「アーつれーわー、むっちゃ仕事したから俺つれーわー」ってやつだ。
「違います事実を述べただけです」
「はい」
便器こわいですね。なんかこわいですはい。
「あなたが未踏で未開な事象界面にいたおかげでファーストコンタクトは失敗に終わりました。これからは次の策、プランBへと移行します」
なにか物凄く酷いことを言われた気がする。
これは全人類、いや全宇宙人代表として文句を言わなければいけない気がしてきた。
「……あのーなんだか変なんですけどー」
前言撤回、体がなんかおかしい。
「貴方がこの地でいう変態、変質者なのは調査済みです」
「ちッげーよ‼ これは誰もが理解できない崇高な哲学的趣味だから‼ 誰もが皆一度やれば理解できるから‼」
「おっと、またスイッチを踏んでしまいました」
「スイッチとかねーからッ‼ ……っていうか便器さん? なんだか体が変なんだ~、鈍いっていうか動けないっていうか~」
「プランBです」
「そのぷらんびーっていうのはなんなんです?」
「貴方達の言語で言うとキャトルミューティレーションです」
反論は許されなかった。
固まったように動かない俺の体が、便器に向かって恐ろしいスピードで吸い込まれていく。
便器が巨大化したのか、俺が小さくなったのか、分からない。
しかしぶつかる事無く、モツが流されるかの如く俺は便器の中に入った。
キャトルミューティレーションは牛など動物の臓物が血も流さず抜き取られることで、今の状態はアブダクションなんだ。あとそれは英語なんだ。
心の中でそう叫びつつ、俺は意識を手放した。