第9章
あたしがこの城に来て3日程たった。
城での生活は贅沢そのものだ。
食べきれない程の食事、肌触りの良い衣服、大勢の使用人がいる為、老師様の所にいたように水汲みや薪割りをする必要もない。
城の中を歩けばどこも、すばらしい装飾品に囲まれている。
いつも時代も権力者というのは贅沢をしているものだけど、城の外に出れば生活に困っている人がたくさんいるというのに、こんな贅沢をしていていいものだろうか。
たとえ困っている人がいないとしても、もともと貧乏性のあたしには、城の生活はあまり馴染めるものでは無かった。
その日の夜、湯浴みを終えたあたしはカリナと部屋へ戻る途中、廊下を曲がると人だかりが見えた。
人だかりはこちらの方向に向かって歩いてきているが、壁に等間隔に置いてあるロウソクの明かりだけでは、誰だかよくわからない。
「鈴様、別の道から戻りましょう」
こんな夜に何をしているのかと思っていると、カリナが慌てた様子であたし腕を引っ張った。
「えっ、なんで? こっちから行った方が早いんじゃないの?」
このまま行ったらなにかマズイことでもあるのかな。
あたしがモタモタしている間に、近づいてきた人だかりに向けてカリナが頭を下げた。
カリナの様子にあたしが目を細めよく見ると、数人の女性に囲まれたアシルだった。
アシルはあたし達に気づくと、あたしから数メートル離れた所で立ち止まった。
「まだこの城に居たのか、二度と俺の前にその顔を見せるなと言ったはずだぞ」
ロウソクだけの明かりでは、表情はよくわからないが、その口調は明らかに不服そうだ。
「あら、おあいにくさま。でも、あたしだって好きでいる訳じゃないわ」
「どれだけここに居ようが、お前のような常識外れを花嫁なんかに迎える気はまったくないからな。さっさと諦めて自分の国に帰れ」
常識外れって……。
自分の事を棚に上げてよく言うわ。
一体あんたってどうゆう教育受けてきたの。
あたしだって、帰れるものならとっくに帰っているわよ。
アシルは言いたい事を言うと女性達を連れて廊下の闇へと消えて行った。
それにあの女性達は一体なんなの。
アシルと一緒にいた女性達は、あきらかに女性としての敵対心をむき出しにした目であたしを睨んで通り過ぎていったのだ。
いくらあたしがトラブルメーカーでも、知らない相手から睨まれる覚えはない。
「鈴様、お部屋へ戻りましょう」
「ね、あのアシルと一緒にいた女性達はなに?」
あたしの質問に、カリナは困ったような顔をした。
その様子は、なんだか聞いちゃいけないこと聞いてしまったかのようだった。
「あっ、言いにくい事だったら無理に言う必要ないから」
そう言ってあたしは自分の部屋へと歩き出すと、カリナはあたしの後を追いながら、言いにくそうに口を開いた。
「隠していてもすぐに分かることですから……。あの女性達は、アシル様の夜のお相手の方です」
カリナの言葉を聞いてあたしは立ち止まった。
「夜の相手って……、一緒に居た女性は4人も居たけど……、全員?」
「……はい」
はいって……、恋愛経験の無いあたしにとっては、その後の言葉をどう繋げたらいいのか分からず困ってしまった。
「夜のお相手と言いましても、鈴様との婚儀が整えばきっと……、そのような事も無くなるかと……」
黙ってしまったあたしをカリナは、どうとったのか慌てた様子でフォローした。
あぁ、そうか、カリナはあたしがアシルと結婚すると思っているんだ。
「ありがとう、カリナ。でも、気にしなくていいから」
再び歩き出したあたしの後を申し訳なさそうに後を追う。
「私、何か暖かい飲み物をお持ちしますね」
部屋の前まで来ると、気まずいと思ったのか、カリナは元来た廊下を戻って行った。
あたしは部屋に入り、部屋のロウソクに火を灯すと、ベッドの上に座りそのまま背中から倒れ込んだ。
まったく、あのアシルは何を考えてんだろ。
女遊びしている暇があれば、世の中の事にもっと目を向ければいいのに。
国民が大変な思いをしている事を、彼はちゃんとわかっているのだろうか。
あんな人を王に持った国民は、かわいそうだわ。
それに、あたしに早く帰れって。
あたしがなぜまだこの国に居るかをまったく理解していない。
というか、理解する気がないんだろうな、そんな気がする。
ベッドの上で寝返りをうつと、窓の外にきれいな月が見えた。
あたしは起き上がり、バルコニーに出て夜空を見上げる。
元の世界でも夜空をなんてまともに見上げたこと無かったけど、月ってこんなにきれいだったんだ。
あぁ、早く元の世界に戻りたい。
夜空を見上げていたら、なんだかセンチメンタルな気分になってきたその時、どこからか乾いた笛の音が聞こえてきた。
こんな夜に笛の音なんて、どこから聞こえてくるんだろう。
バルコニーの階段を下り、笛の音が聞こえる方向へとあたしは足を進めた。
しばらく歩いていると、池の近くに誰か立っている。
「誰?」
あたしはそっと近づいたつもりだったが、足音が聞こえていたらしい。
「ごめんなさい。邪魔をするつもりはなかったの。ただ、あまりにもきれいな音色だったから、近くで聞いてみたくなって」
相手に警戒されない様、しゃべりながらそっと近づいた。
近くでよく見ると、10代後半の若い男性だった。
「君は? 見かけない顔だね」
「あたし、鈴。少し前からこの城でお世話になっているの」
あたしが自己紹介すると、彼はあたしの顔をジッと見た。
「王の花嫁って、君の事か」
なんでわかったんだろうと不思議そうにしていていると、彼はクスッと笑った。
「黒い髪と瞳を持つ女性は、君以外にこの城には居ないからね」
あぁ、そうか。
夜の暗闇で髪や瞳の黒さなんて分からないと思っていたけど、夜でもやっぱり目立つんだ。
「今夜は特に月が明るいから、君の黒髪がとても奇麗に見える」
何気ない一言のつもりだったんだろうけど、男の人に髪が奇麗なんて初めて言われた。
しかも、真っすぐ見つめられて言われてしまうと、なんだかとても照れて下を向いてしまう。
「そうだ、なにか聞かせて」
照れているのを見透かされない様、話を逸らした。
「いいよ」
そう言うと彼はさっきとは違う音を奏で始めた。
それはとても繊細で、なぜか切ない気分になってくる音色だった。
最後まで演奏が終わると、あたしは精一杯の拍手を送った。
「とても良かった」
素直に感想を述べると、彼は照れたように笑った。
笛を吹いている時にはとても大人びて見えたけど、笑った顔は年相応に見える。
「鈴様!」
名前を呼ばれて振り向くと、カリナが慌てた様子でこちらに向かって来る。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「良かったぁ、お部屋にお飲み物をお持ちしたら、お姿見えなかったので……」
走ってきたカリナは息を荒くしながら言った。
「もしかして、探してたの?」
「探してたの、じゃありません! 何かあったのかと、私は心底心配しました」
カリナの声が若干涙ぐんでいる。
「ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど……」
「鈴様、ここにおられましたか」
カリナを慰めていると、そこにルカがやって来た。
「ルカも捜してくれてたの? ごめんね、なんだか迷惑かけちゃったみたいで」
いつの騒ぎが大きくなってしまったみたいで、黙って部屋を出て来てしまった事を申し訳なく思った。
まさか、こんなに騒ぎになっているとは思わなかったんだ。
「こんな所で、何をされていたのですか?」
「ああ、彼がね……」
ルカの質問にあたしは彼を紹介しようと振り向くと、そこには誰も居なかった。
あれ、何処に行ったんだろ。
あたしは辺りをキョロキョロと見渡したが、まったく姿が見えない。
「どうされたんですか?」
挙動不審な行動にルカが不思議そうに聞いた。
「え、いや……。さっきまで、ここに人が居たんだけど……」
「人……、ですか?」
「ええ、そこに居たんだけど」
ホント、何処に行っちゃったんだろう。
そういえば、あたし彼の名前をまだ聞いていない。
「私が来た時には、誰もおりませんでしたよ」
ようやく落ち着きを取り戻したカリナが言った。
ルカは近くに居た兵士を呼び寄せた。
「不審者が近くに居るかもしれん。この辺りを全て調べろ」
その言葉を聞いてあたしは焦った。
「ルカ、あたしの勘違いだと思う。暗いからきっと何かと見間違えのかも」
「……それなら良いのですが」
あんなやさしい音色を奏でる彼が、不審者だとは思えない。
急に姿が見えなくなったのは何か用事でも思い出したのだろう。
「ゴメンね、いろいろ心配かけちゃって。さ、部屋に帰ろ」
あたしはふたりを促して、その場を後にした。