第33章
「お久しぶりです。エンバー様」
あたしは部屋の客間にひとりで入ってきたエンバーに、ニッコリ笑って挨拶をした。
「わざわざお越し頂きまして、ありがとうございます」
「話とはなにかね」
「立ち話もなんですから、お座りください」
エンバーが長椅子に座るのを確認してからあたしは椅子に座った。
「先日は大変失礼を致しました。何分突然のお申し出でしたので、早々に答えを出してしまった事を反省しております」
「ほぉ、素直に帰る気になったか」
あたしはカリナが用意してくれていたお茶をカップに注ぎ、エンバーに差し出した。
「帰りたいのはやまやまですが、お婆はまだあたしを帰す気がまったくないようで、困ったものです」
あたしは落ち着いた口調で言った。
「それで、わたしに帰して欲しいと言いたいのかね」
エンバーは満足そうな表情をしている。
「いいえ」
あたしは軽くクビを横に振った。
「最近はこの世界に居てもいいんじゃないかって思い始めているんです。元の世界に戻ってもあたしはただの一般市民に戻るだけ。それはあまりにつまらないと思いませんか?」
「……」
「この国へ来て思ったんです。ただの一般市民に戻るよりアシルと結婚した方がより贅沢な暮らしが出来るのではないかと。……ところで、エンバー様はアシルの後見人だそうですね。しかし、アシルが成人するかもしくは結婚すると王からの要請がない限り、政治には一切関わる事ができないとか」
あたしの言葉にエンバーは微かに険しい表情をした。
「……確かに、後見人とはそうゆうものです」
あたしは緊張で喉が渇いている事を悟られないように、ゆっくりとお茶を飲んだ。
そう、これはあたしの一世一代の大勝負。
エンバーに殺されると怯えて暮らすぐらいなら、いっそこっちから仕掛けて不正の事をエンバーの口から話させてやると決めたのだ。
そして、ラギィの実を炊かれないよう自分の部屋へとエンバーを呼び出した。
「もし……、エンバー様がアシルの後見人でなくなったら……、さぞお困りでしょうね」
「……何をおっしゃりたいのか、よくわかりませんね」
用心深くエンバーはあたしを見ている。
「後見人という立場を利用して、ずいぶん甘い蜜を吸われたのでは?」
エンバーは小馬鹿にしたように笑った。
「何を言うのかと思えば、くだらん」
「本当にくだらないとお思いですか?」
あたしはわざとけしかける様に言った。
「あなたが築いてきた今の生活は、アシルの後見人であってこそ。そうでなくなったあなたになんの魅力があるのでしょうね?」
「貴様はわたしを侮辱する気か!」
「侮辱だなんて、ただ真実を述べたまで」
「話にならん! 失礼する」
「アシルはあなたを調べ始めていますよ」
エンバーは勢い良く立ち上がったが、あたしがそれと同時に発した言葉で、それ以上動く事はしなかった。
「ずいぶん巧妙にされているようで、なかなか証拠が掴めないと言っていましたが、いずれあなたにたどり着くでしょう」
エンバーの顔色が変わった。
あたしを警戒し、どこまで知っているのかを探るような目をしている。
「今のアシルならあなたよりあたしの言葉を重要視するでしょうね。なんと言っても、今のアシルはあたしに夢中ですから」
あたしは不敵に笑ってやった。
「ご存知でしたか? 学校を造りたいと言い出したのも、あたしの助言があったからだって」
「……なにが言いたい?」
エンバーは座っているあたしを上から睨みつけた。
「あら、わかりませんか? お互いの利害関係が一致しているのが。あたしはここで快適な暮らしをしたい。でもそれに見合うだけの収入もなければコネもない。あなたはアシルの後見人でなくなれば今の地位を失う。新たにアシルの花嫁を連れてくるより、あたしを利用した方が手っ取り早いと思いませんか?」
あたしは座ったままゆっくりとエンバーを見上げた。
エンバーは黙ったまま思案しているようだった。
思案しているということは勝算はあると踏んだあたしは、畳み掛けるように条件を提示した。
「あたしがアシルと結婚したなら、エンバー様の事を詮索しないようにさせましょう。そして、後見人を降りた後もしかるべき役職に就ける様に言えば、あなたは今の生活を維持する事が可能なはずです」
「……」
「そのかわり……、作物を国外へ流すルートをひとつあたしに。もちろん多少の贅沢が出来る程度で構いません。あなたにとっては微々たるものでしょう」
すると、エンバーは突然笑い出した。
「ずいぶん大きく出たものだ。このわたし相手に取引をしようというのか。……とんだメギツネだな。……いいだろう、お前にサレーヌ国へのルートをやろう」
「サレーヌ国……」
「そうだ。セルビィの果実が高値で売れる国だ。お前の言う贅沢な暮らしをしていくには十分な金が入るルートだ。ただし、それにはわたしへの忠誠心を見せてもらおうか」
エンバーは懐から布に包まれた何かをあたしに渡した。
「そこまでだ」
そう言って隣の部屋から出てきたのはアシルとルカ、そして待機していた兵士達だ。
「あなたの口から不正の事実を聞く事になろうとは」
エンバーはアシルを見て目を見開いて驚き、あたしを睨んだ。
あたしは立ち上がり、負けじとエンバーを睨み返してやった。
「あたしは不正に手を染めるほど腐った人間じゃないんでね、おあいにく様。素直に捕まることね」
ついにやってやったと、あたしは心の中でほくそ笑んだ。
「小賢しい真似ををしおって。やれるものならやってみるかいい」
アシルは兵にエンバーの周りを囲む様に指示した。
エンバーは追い込まれたとは思えないほど落ち着き、あたしと目を合わせると不適に笑ったその時、あたしの頭の中で何かが聞こえた。
頭が痛くなり、あたしは右手でこめかみを押さえた。
この感覚どこかで覚えがある気がする。
そして、あたしの頭の中で聞こえてくる声は段々と鮮明になっていく。
『……ヲコロセ』
なに、これは……?
様子のおかしいあたしに気付いてアシルが近寄ってきた。
「どうした?」
頭の中の声はまだ聞こえる。
『アシルヲコロセ』
『アシルヲコロセ』
この声は何処から聞こえてくるの?
エンバーは勝ち誇ったように、面白そうにあたしを見ている。
ま……さか……。
でも、ラギィの実はここにはないはず……。
あたしはハッと気付いて握りしめていた掌を開くと、そこからはさっきエンバーから渡された布に包まれたものが落ちた。
もしかして、これって……。