第32章
林の中をしばらく走り、大きな幹の影に隠れるとしばらくして声が聞こえてきた。
「どこへ行った!」
「逃がすな、捜せ!」
男達はあきらかにあたし達を狙っているようだった。
なんであたし達を……?
「くそっ! ただの物取りじゃなさそうだな」
アシルが険しそうな顔で言った。
ただの物取りじゃなかったらなんだっていうのよ。
すると木の影からガラの悪いひとりの男が出てきてあたし達の方を見ると、男は下品にニヤリと笑いいきなり襲いかかってきた。
アシルはすかさず剣を手に抜き、剣と剣が交わる音が響いた。
しかし剣の腕はアシルの方が勝っており、3度剣が交わった後、アシルは男の喉を切り、男は血飛沫をあげてその場に倒れみ、大量の血を地面に流しならしばらく苦しそうにもがいた後、動かなくなった。
……死んだ……の?
あたしはその様子とただ呆然と見ていた。
するとアシルは男から剣を取り、それをあたしに差し出した。
「持ってろ」
「な、なんでそんな物……」
「敵はまだ俺たちを捜している。相手が俺達を捜して分散している時に片付けておく」
「だからってなんであたしが険なんか……」
持たされた所であたしに人を切れる訳ないじゃない!
「護身用だ。何かあった時、死にたくなければそれで身を守れ」
何かあったときって何よ!
しかし、死というものを目の前で見せられたあたしは、剣を手にする意外選択肢がなかった。
「ここを動くなよ。すぐ片付けてくる」
えっ!
一緒に居てくれないの!
こんな状況でひとりにされたら不安じゃない!
離れていこうとするアシルの服をあたしは思わず掴んでしまった。
アシルはあたしの方を振り向くと優しく笑った。
「大丈夫、お前の事は俺が守る。だからここで大人しく待ってろ」
そう言ってアシルはあたしをそっと抱き締めると、もと来た方向へと走って行った。
その場に残されたあたしは剣の柄を握りしめ立ち尽くしていた。
チラリと目線をやるとそこには死体がひとつ。
一体これはどうゆう状況なのよ!
あえないっ!
出来たての死体がすぐ近くにあるなんて……、しかもここから動けない。
あたしはだんだん泣きそうになってきた。
なんであたしがこんな目にあわなきゃいけないの。
もう嫌だ!
誰もあたしの所には来ませんように。
しかし、その願いは無情にも神様は聞き入れてはくれなかった。
「ここに隠れていたのか」
声のする方へと目線をやると、大柄な男が立っていた。
どうしよう、見つかっちゃった……。
あたしは汗ばんだ手で剣の柄を握り直した。
「女を殺すのは俺の趣味じゃねぇが、今回ばかりは大金が貰えるんでな、悪く思わないでくれよ」
男はそう言うとあたしに向かって剣を振り下ろしてきた。
反射的に握っていた剣で受け止めると、男は迷わずもう一度剣を振り下ろした。
あたしは二度目もかろうじて受け止めると、男は剣を交えたまま今度は力づくで押してきた。
女のあたしが男の力に勝てる訳も無く、必死に力を入れても押される一方だ。
このままでは本当に殺されてしまう。
どうしよう。
どうしたらいいの。
ああ、ハタチという短い人生をこんな異国の地で終えてしまうのだろうか。
本気で死を覚悟した時、男が短くうめき声を上げると急に力が抜け、その場に膝をついて倒れていく。
そして倒れた男の後ろにいたのは、アシルだ。
「遅くなった」
た……、助かった……。
あたしは力尽きたようにその場に座り込んだ。
「おい! 大丈夫か」
アシルは座り込んだあたしの前に膝を着くと、心配そうにあたしの顔を覗き込んだ。
しかし、あたしは返す言葉が出てこない。
それどころか無意識に体が震え始めた。
目の前の死体。
初めて人と交わした剣。
そして、本気で死を覚悟したあの瞬間。
震えと共に目から涙がこぼれ落ちてきた。
そんなあたしをアシルはそっと抱き締めてくれ、あたしは今さっきまで感じた恐怖を吐き出すかのようにアシルにしがみつき声を出して泣いた。
怖かった。
死を感じたときの恐怖は言葉ではいい表すことなど出来ない。
そして、二度と味わいたくないと、心底思った。
アシルはあたしが泣き止むまでずっと抱き締めていてくれ、落ち着きを取り戻すとアシル親指でそっと涙を拭ってくれた。
「怖い思いをさせたな」
あたしは小さくクビを左右に振った。
あたし達はその場を後にし、丘に置いてきた馬まで戻った。
そして気になったのは襲ってきた男の言葉だ。
『大金が貰える』
あたしを襲った男は確かにそう言った。
大金……、その言葉の意味は考えなくても明らかだ。
誰かがあたしを殺そうとしている。
そして、その誰かとは……エンバー……。
『帰ると言わなかった事を後悔するんだな』
その言葉が今、現実になった。
あたしを殺せなかった事をエンバーが知ればまた同じ事が繰り返される。
あたしはそれを黙って受け入れるしかないのだろうか。
嫌だ!
殺されるかもしれない、そうおびえて暮らすなんて絶対嫌だ。
それならいっそのこと……。