王のミイラ、メンフィスへ行く
「これで荷物に紛れていた毒蛇は全部だな」
「待って! 感知したのより二匹少ないわ!」
「はて。一匹はソカル君が食べていましたが……」
「クエーッ!」
鳥の鳴き声と羽音。
「もしかしてネクベトちゃんも?」
「ウフフ。ごちそうさまっ。残りもあたしが引き取るわね」
「クエーッ!!」
「じゃあ半分こ」
ソカル神はプタハ神の相棒の黒い鳥。
ハゲタカの女神のネクベトは、コブラの女神のウアジェトと対を成す王家の守護神である。
「ついでに人間達に眠りの魔法をかけておくわね。これで目が覚めた時には全部夢だったって思うでしょ。えいっ!」
「ぐう」
「あ、つーたんは寝なくていいの」
その後、神々は空を飛んだりスッと消えたりして引き上げ、ツタンカーメンは水面を浮遊して、クフ王が待っているはずのメンフィスの港へ向かった。
回復したアスクレピオスは、神々に助けられたことは覚えていなかった。
記憶にあるのは、自分の症状を覗き込んでいたミイラの顔のみ。
どうして自分が生きているのか不思議で仕方がない。
口もとを指でなぞると粉がついていた。
(ミイラの粉末……万病に効く薬だとは本当だったのか……)
嘘である。
迷信である。
粉は飲ませてなどおらず、包帯の隙間から落ちたのがかかっただけである。
(恐るべしエジプト医学……きっと我が師匠・ケイロン様も、半人半馬のケンタウロスという目立ちすぎる外見の持ち主でさえなければ、自らエジプトの神殿で学ぶことを望んだはずだ……!)
神殿ではミイラの粉なんか使わずに、ちゃんとした医術を教えてくれる。
船員達が力を込めて櫂を漕ぎ、眠っている間に下流へ流された分を取り戻す。
進む先ではプタハ大神殿が陽光に白く輝いている。
「何だか僕も死者をよみがえらせられるような気がしてきた!」
アスクレピオスの声に答えるように、心地良い風が髪をなでた。
少し未来の話になるが、ギリシャに帰ったアスクレピオスは実際に死者を生き返らせ、神々を驚愕させて、神の仲間に加えられることとなる。
もちろんミイラの粉の効果ではない。
同時刻、メンフィスの船着場。
見覚えのある客船の前で、ツタンカーメンは半泣きになっていた。
「待っててって言ったのにイィ」
またしてもクフ王とはぐれてしまった。
メンフィスはどこもかしこも人だらけで、外国人の姿も多い。
輸入物の鮮やかな色の布。
輸出される金や宝石。
それにも負けず美しいのが、いたるところで見られるスイレンである。
スイレンはエジプトを代表する神聖な花で、野生のものはナイルの川辺に咲き乱れ、神殿の池では栽培されている。
水中に長く伸びた茎とその先に広がる花びらの形は、ナイル川の、南から長く延びて、海に近づいてからパッと無数の支流に分かれる形に似ている。
ナイル川をスイレンに見立てると、メンフィスは、がくの付け根、種のできる場所になる。
異国から海を越えて運ばれてくるさまざまな品は、ナイルの支流のいずれかをさかのぼり、メンフィスに集う。
メンフィスは商業の中心地だ。
そんな華やかな町で、ツタンカーメンはあちこち飛び回ってクフ王を捜したけれど、見つからないまま日が暮れてきた。
(……もう一度、船着場に行ってみるかな……)
その前に、肌寒くなったので、光の扉で王家の谷にワープして、墓所にしまっておいたシリア風のチュニックに着替える。
船着場ではクフ王が、待ちくたびれた様子で腕組みしていた。
「何じゃその上衣は。外国人か」
「今時、エジプト人でもこれぐらい着ますよ。それよりクフ先輩こそ、その格好……」
古の王は、ミイラの包帯の上に、ピンクの花柄の腰布をまとっていた。
「それって外国の女の子の巻きスカートなんじゃ……」
「知らん。ワシの時代のおなごは異国の者でもこんなん着とらんかった。そんなことよりじゃな、お前さんが迷子になっとる間にテーベ行きの船が出てしもうたぞい」
「おれなの!? 迷子になってたのって、おれのほうなの!?」
「お前さんが居らなんだせいで、丸一日、買い物でつぶすしかなかったぞい」
「だったらおれなんか置いて一人でテーベに行けば良かったじゃないですかっ!」
「そういうわけにもいかんじゃろ」
「っ! 先輩……っ」
「腰布との物々交換で護符を使い切ってしもうたで船賃がないんじゃ」
「ファラオが使うような護符が、布一枚!? 先輩! それ、ぼったくられてますよ!!」
「そうか? じゅうぶん良い布に思えるが?」
「あー、もう!! またおれが船賃を出すんですかぁ!? 香油、まだ残ってたかなぁ……」
ツタンカーメンは空中に手を掲げて、光の扉を呼び出した。
ふわっと浮遊して、白く輝く扉に飛び込む。
と、クフ王もついてきてしまった。
「ちょ!? 先輩!?」
「この向こうがテーベなんじゃろ?」
「王宮とはナイル川を挟んで向かい側ですけど……」
「だったらこれを通ったほうが早いじゃろ」
「無理やり入っちゃダメです!! あ!! ぎゃああああ!!」
扉がゆがんだ。
白かった光が、赤と青の点滅をくり返して二人を飲み込む。
「うわあああああ!!」
「ぬおおおおおお!!」
空間が暴走し、気がつくと二人は見たことのない場所に居た。
頭上を、鳥とも虫とも異なる姿の、奇妙な何かが飛んでいく。
それがヘリコプターという名称であることを、ツタンカーメン達はまだ知らない。