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お食事中のかたはご注意を!

タイトルどおりです。

お食事中のかたはご注意ください。

 勝手に寝ていた他人の棺を抜け出して、クフ王はナイル川越しに東を眺めた。

 町並みの向こうに朝日が昇る。

 豪華な祭壇なしで礼拝をするのは久しぶりだ。


 ふと足もとを見ると、クフ王の視線の先を一匹のフンコロガシが“例の玉”を転がしながら横切っていった。


「ほほう、これはこれは……」


 ひじを曲げた形で両手を挙げて、神を称えるがごとくフンコロガシを称える。

 球体を運ぶフンコロガシは、太陽を運ぶケプリ神の化身とされているからである。




 古代エジプトで太陽神といえば、最も偉大なのはラー様だけれど、他にも幾名もの有名無名の太陽神が居られる。

 というか、よっぽどのこだわりでもない限り、大体のエジプトの神様は何かしらで太陽神的な属性を持っていて、月の神のトートですら頭に太陽の冠を乗っけている。


 その中でも誕生と復活を司るケプリ神は、前夜にぼっした太陽がよみがえる朝日の時間において、ラー神と同位の存在とされる。

 生命の誕生と死者の復活。

 フンコロガシが運んだ“例の玉”が土に埋められ、そこからフンコロガシの幼虫が出てくる様子は、まさに没しては昇る太陽の運行であり、生命が地上に生まれ、死に、死後の楽園で永遠に生きる姿そのものなのだ。




「おはようございまーす、クフせんぱーい!」

 ツタンカーメンの、のほほんとした声が響いた。


 辺りに他の人が居ないので気を抜いているのか、小鳥に化けて飛んできたのが、くるりんぱっと人間に戻る。


「先輩、何を見てるんですか? ……うげっ」

「こりゃ、太陽神様の聖なる甲虫に向かって何ちゅー態度じゃ」

「だってこの玉ってウン……」

「お前さんだってスカラベ(フンコロガシ)の護符ぐらい持っとるじゃろ」


 ミイラの心臓を守護するお守りである。


「あるけど宝石でできてるやつですゥ! さすがに本物のウン……」

「言うでない」

「だってェ! ……でも……ん……うん……確かに……」


 ツタンカーメンもファラオとして神とゆかりの深い身の上。

 この玉を汚がるのは正しくないと考え直す。


「そうだよな。これは神聖なモノなんだ。うん、そうだ」

 ぶつぶつと自分に言い聞かせる。

 でも臭い。



 フンコロガシは逆立ちをした格好で、後ろ足で“例の玉”を押して、上り坂を越えていく。

 転がすうちに“例の玉”に砂がついてコーティングされて、そこまで汚い感じではなくなっていく。


“例の玉”はフンコロガシの体よりも何倍も大きく、何倍も重い。

 坂を上り切る直前に、フンコロガシは“例の玉”ごと後ろに転げ落ちてしまった。



 ツタンカーメンはクフ王がひどく神妙な顔をしているのに気づいた。

 ミイラの表情なんて普通は読めないが、ツタンカーメンは死者同士なのでなんとなくわかる。

 そう。どんなにとぼけていても、彼らは二人とも死者なのだ。


 ツタンカーメンもクフ王も、冥界の長く苦しい旅の果て、オシリス神の審判を仰ぎ、死後の楽園において魂を永遠の存在とすることが認められて、今ここに居る。

 フンコロガシは冥界の旅の守護者であり道しるべだ。

 でも臭い。



「何をキョロキョロしておる?」

「この辺に牧場でもあるのかなぁって」

「何故じゃ?」

「この玉の材料はどんな動物が出したものなのかなぁと」

「動物?」

「牛とか豚とか羊とか」

「ワシじゃ」

「?」

「ワシのじゃ」

「???」

「みなまで言わすな。ワシが出したのじゃ」

「…………ッ!!」


 先輩の言葉の意味を理解するのと同時に、ツタンカーメンのバーは、空の彼方へすっ飛んでいった。






 ギザの南のメンフィスの都。

 プタハ神を奉る神殿の、整備の行き届いた池いっぱいに、青いスイレンがたゆたっている。


「いい香りだ……」


 スイレンから作られた香水は王族も愛用している。

 スイレンはエジプトを代表する花であり、プタハ神の息子のネフェルテム神は、美の神であるのと同時にスイレンの神でもある。

 ツタンカーメンは芳しきスイレンの香りを胸いっぱいに吸い込んで優雅に微笑んだ。






「困ったことになったわい」

 気持ちを切り替えて戻ってきたツタンカーメンに、開口一番、クフ王がぼやいた。

 なんと、どこからともなく現れた二匹目のフンコロガシが“例の玉”を奪い取ろうとして、最初のフンコロガシに襲いかかったというのだ。


「横取りを見過ごしたくはないんじゃがなぁ。もとがワシのものなだけになぁ」

「だったら助けたらいいじゃないですか」

「わかっておらぬな、小僧」


 クフ王は悲しげに首を振った。


「やつらにはやつらのおきてがあるのじゃよ。やつらはその掟のもとに闘っておる。

 虫には虫、鳥には鳥、獣には獣の定めがある。人間同士ですら掟の異なる者同士で争いになるのに、ワシらの正義を虫に押しつけても、より大きなゆがみを生むだけじゃ。

 ……もっとも、お前さんがどうしても手出ししたいと言うのならば止めぬがな」


「手は出したくないです。やっぱ汚いし」

「だからワシも嫌なんじゃい」



 フンコロガシのバトルはなかなか決着がつかず、ツタンカーメンはだんだん退屈になってきた。


「いつまで見てるんですかー? もう帰りましょーよー」

「小僧、どっちが勝つと思う?」

「後から来たほうが大きいし強いみたいですよ」

「ワシは先に居たほうに賭ける」

「賭ける?」

「お前さんが勝ったらおとなしくピラミッドに戻ってやる」

「待ってくださいっ。それじゃおれが負けたらクフ先輩は徘徊はいかいを続けるつもりなんですか?」

「徘徊と言うでない。おさんぽじゃわい」



 そこから二人は声を上げて応援を始め、しばらくして、後から来たほうのフンコロガシが勝利した。

 クフ王が目頭を押さえた。


「そんな大げさな」

 たかがフンコロガシの勝負で。


「ちと思い出してしまってな。若僧よ、お前も王ならばわかるであろう。奪うことも奪われることも」

「…………」


“例の玉”は、人間から見ればただの……

 だけどフンコロガシにとっては生活の糧であり、卵を産みつけ子に継がせる財産なのだ。


「すまぬな。一人にしてくれ」

「……大丈夫ですか?」

「案ずるな。すでに出かかっておる」

「?」

「負けたフンコロガシのために、ワシがもう一発いたす」

 ツタンカーメンは慌てて逃げ出した。






 広大な麦畑の隣。

 小さな畑に、濃い紫色の愛らしい花が咲き乱れている。


 もうすぐマンドラゴラの実がなる。

 ナスの親戚の実在の植物である。


 マンドラゴラの根は複雑な形をしているので、中には人っぽい形のものもある。

 けれどヨーロッパのファンタジックな伝承とは異なり、エジプトのマンドラゴラは引っこ抜いても悲鳴なんか上げないから、悲鳴を聞いた人間が死ぬなんていうこともない。


 ただし薬効成分があるのは本当で、他の多くの薬草と同様、使い方を誤ると毒になる。


「かわいい花だ」

 ツタンカーメンは畑の隅に腰をかけ、頬杖をついて景色を楽しんだ。






 気を取り直してツタンカーメンが戻ってくると、クフ王がまた居なくなっていた。

 ただクフ王の痕跡だけがまざまざと残っており、先ほどのフンコロガシがそこから新たな玉を作り出そうとしていた。


「ああ……生命の神秘だ……」


 ツタンカーメンは遠くを眺めた。

 日はすでに、ずいぶん高くなっていた。


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