千年クッキング
夕日が沈む。
エジプトでは人はナイル川のほとりに住むが、近くにナイル川がない。
自分とクフ王の他には誰も居ない岩山に放り出されても、ツタンカーメンは泣かなかった。
ファラオだから。
ファラオは泣いちゃダメだから。
泣き言を言うのもダメだから。
「何じゃ何じゃ、ここはいつじゃ? ワシはどこじゃ? なぁんでこうなるんじゃぁい~っ!」
「アンタのせいだーーー!! 光の扉を通る時に、おならなんかしたからだーーー!!」
それでもなおもツタンカーメンは、嘆きに身を任せるようなファラオではなかった。
試しに光の扉を呼び出してみると、体が通れるほど大きく開かなかった。
これでは光の小窓だ。
王家の谷まで遠くて霊力が届かないのだ。
外国に来てしまったのかもしれない。
おそるおそる腕を突っ込むと、お供え物を取り出せた。
時間は合っているようだ。
ここは自分達が居るべき新王国時代で間違いない。
とりあえず今夜はここで野宿。
光の窓から王墓を手探り。
物が多すぎて調理器具があるのかないのかもわからない。
仕方がないので黄金のマスクを鍋の代わりに使う。
料理をすると決めてしまえば、ツタンカーメンの切り替えは早かった。
食事の中心になるのはお供え物のパン。
エジプトの食生活にパンは欠かせない。
同時代のギリシャ人に“パン食い人”と呼ばれるほどにパンが好きだ。
それと、お供え物の羊肉やヒヨコマメを、クフ王が持ってきたタマネギと一緒にして煮込む。
心臓の代わりにミイラの胸に入れていた、アヌビス神が見繕った最高級のやつである。
「近頃のファラオはやるものじゃのう」
クフ王が、手伝うでもなく覗き込む。
「ミイラ職人が作っているのを見て覚えたんです」
「生前は?」
「専門の料理職人に任せていました」
出来上がったスープは、王宮の調理師の料理の味に慣れてしまっていると物足りない気もしたけれど、素材はいいし、キャンプで自分で作ったのだからとてもおいしく感じられた。
しかし二人は野宿については完全に素人だった。
寝ているところに物音が響き、ツタンカーメンが目を覚ますと、立派なたてがみを持つ大きなライオンが、前足のツメで鍋をつついていた。
鍋に残った肉のにおいに興味を示しているようだ。
「タマネギが入ってるからダメ! 猫科の動物には毒だから! 鍋を舐めるだけでもダメ!」
叫び、ツタンカーメンは鍋を掴んで、クフ王が急いで開いた光の扉に放り込んだ。
ほっと一安心。
だけどライオンにはその意図は伝わらなかった。
ライオンは低い唸り声を上げて、ツタンカーメンとクフ王に詰め寄ってきた。
「あ……やばいかも……」
「くっ、やむをえんわい……戦え! ツタンカーメン!」
「何でおれ!?」
「お前さんもファラオなんじゃからライオン狩りぐらいできるじゃろ!?」
「武器も従者もナシじゃあムリです!!」
ライオンがクフ王をペロリと舐めた。
防腐剤が苦かったようで、ぺっぺっと吐き出した。
クフ王はへなへなとへたり込んだ。
続いてライオンは、ツタンカーメンのにおいを嗅ぎ始めた。
「うううっ」
猫は好き。
ライオンも、ライオンの姿の神の像とかなら好き。
でも本物のライオンはダメ。
ツタンカーメンは幽霊の力でパッと透明になって逃げ出した。
けれどライオンはにおいをたどって追ってきた。
ツタンカーメンが逃げた先には、追ってきている大きなライオンよりも、もっと大きな……
ありえないほど巨大なライオンが居た。
「ひゃ!?」
二頭のライオンにはさまれてしまった。
良く見ると、巨大なほうのライオンは、石でできた彫刻だった。
まだ作りかけなので魂は宿っていない。
どうやらここは、建設中の神殿のようだ。
(こんなのを作ってるなんて聞いてない。ファラオのおれが知らないってことは……やっぱりここはエジプトじゃないんだ! それじゃあ、いったいどこなんだ?)
ハッと我に返った時には、本物のほうのライオンが、ツタンカーメンに息がかかる距離にまで迫っていた。
本物のほうのライオンが牙を剥く。
ツタンカーメンが息を呑んだその時……
像のほうのライオンの目が光った。
ライオン像が高らかに吼えた。
ライオン像の口から砂嵐が吹き出す。
本物のほうのライオンは驚いて逃げ去った。
ライオン像の後ろからクフ王が出てきて、ツタンカーメンはやっと仕組みに気がついた。
像の目が光ったのは、小さな光の扉を二つ発生させたから。
口から砂嵐を吐いたのは、口の中に呼び出した光の扉を砂漠と繋げていたのだ。
「こんな使い方があったなんて……クフ先輩ってば、光の扉の開け方は、ちょっと前に覚えたばっかりなのに……」
ツタンカーメンは目を丸くした。
「年寄りなのに飲み込みが早いのはおかしいか?」
「はい」
「馬鹿正直め。年寄りだからこそじゃよ。過去の経験が生きておるからこそ、新しいことを始める意味があるんじゃ。
年だからできぬとぬかすやつは、若い頃から大したことはしとらん。
……若い頃にな、砂嵐の被害を抑えてくれと神の像に祈っても、応えてもらえんかったことがあってな。
その時に自分がしてほしかったことを、ちょいとアレンジしてみたんじゃ」
「ちょいと?」
クフ王がどんな願いを祈っていたのか、ツタンカーメンにはいまいち想像できなかった。
「この作りかけのライオン像については、以前、トート神から聞いた覚えがあるぞ。ここは隣国ヒッタイトのアインダラ神殿だぞい」
「えええ!?」
クフ王の言葉にツタンカーメンは、脅えた顔で辺りを見回した。
ツタンカーメンの時代のエジプトにとって、ヒッタイトは長年の宿敵なのだ。
「トート神の述べられるところによれば、のちのファラオのラムセス二世が、エジプトとヒッタイトの間に、世界初の平和条約なるものを結ぶのだそうじゃ」
「ラムセス二世って、未来で見てきた、アブシンベル神殿を建てた人?」
「ん? おお、そうじゃそうじゃ。そういえばそうじゃった」
「じゃあそのラムセス二世は、このライオン像の完成した姿を見られるのか?」
ツタンカーメンは目をきらきらさせた。
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