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じごくのしろくろ

 人間の本質、魂は、心臓に宿る。

 ものごとを考えるのは心臓の役目で、脳みそは鼻水を作るだけの器官だと、古代エジプトの人々は信じていた。


 死者の霊が冥界の旅の終わりに受けるオシリス神の審判では、天秤の片側に死者の心臓を、もう片方に正義の女神マアトの羽飾りを乗せて、釣り合うかどうかを計る。


 釣り合えば、心臓は死者に返され、死者は永遠の楽園で幸せに暮らせる。

 不合格だった心臓は、オシリス神の足もとにはべる聖獣アメミットにむさぼり食われ、心臓を失った死者は地獄に落ちる。

 ミイラにとって心臓は、それほどに大切なものなのだ。


 ツタンカーメンとセティが謎の獣の足跡を追って路地を進んでいくと、そこにはアメミットが――ワニの頭にライオンの体に、他にも何種類かの動物を混ぜたような姿の怪物が居た。



 セティが悲鳴を上げる。

「落ち着けよ。こいつは見た目が怖いってだけで、悪いやつじゃないぞ」

 ツタンカーメンがなだめる。

 が。


 アメミットがゲップをした。

「こいつは……悪いやつではないんだけど……だけど……」


 アメミットは気まずそうに舌を出した。

 地上が騒がしいので様子を見にきたら、おいしそうな心臓が落ちていたので、つい食べてしまったといったところだろう。


 ツタンカーメンは真っ青になった。

「クフ先輩の心臓おおぉぉぉっ!」


「知ーらない!」

 セティとツッチーは逃げてしまった。




「どうしよう、どうしよう……アヌビス神ーーーっ!!」

「どうしたツタンカーメン!?」


 かの神は、呼ばれるとすぐに飛んできてくれた。

 半泣きで状況を説明する。

 アヌビス神はアメミットの口に鼻を近づけてにおいを嗅いだ。


「確かに食われているな。しかし大丈夫だ。心臓の物質面はこちらで何とかする。ツタンカーメンは地獄へ行って、クフ王の魂をサルベージしてきてくれ」

「わかりました!」


 ツタンカーメンは光の扉を開いた。

 いつもながらの白い光……

 しかしそれは一瞬で赤色に染まった。


 扉の中では地獄の炎が燃え盛っている。

 それでもツタンカーメンは、臆することなく飛び込んでいった。




 扉が閉じて、テーベの路地を冷たい夜風が吹き抜けた。

 アヌビス神はセティが曲がり角に隠れてこちらを覗いているのに気づいた。

 目が合うと、セティは脅えた顔で走り去った。




 古代のエジプト人が悪霊について語りたがらなかったのと同様、地獄も恐れられている割に、その中身の記述は少ない。

 浮遊するツタンカーメンの眼下には炎の池が広がっている。

 そこから炎の魚が飛び出して、ツタンカーメンに襲いかかった。






 自宅に戻ったセティは、ツッチーと一緒にベッドにもぐったものの、目はパッチリと開いていた。


 古代では床に直接、ござみたいなものを敷いて寝ている人も多いけれど、セティは軍の幹部の子息なので、木製の立派なベッドを使っている。


 帰りが遅かったので両親に怒られて、一度は眠ったのに怖い夢を見て目を覚ましてしまった。



 炎の魚の群れを振り切ったツタンカーメンは、炎の池を越えた先でクフ王の魂を発見した。

 けれど、心臓を失ったクフ王は理性を失くした悪霊みたいになっていて、ツタンカーメンに攻撃してきた。

 クフ王がツタンカーメンの足にしがみついて、重さでツタンカーメンが飛べなくなったところに、本物の悪霊が牙を剥いて……



(……眠れない……)

 セティは身をよじり、何度も寝返りを打った。


 カーテン越しに月光が射す。

 ツッチーがセティに鼻をすり寄せた。


 セティは起き上がり、あしくきのペンを手に取った。

 パピルスは高価なので、ちょっとしたメモには陶器の破片などを使う。

 水で洗えば何度も使える、ホワイトボードのようなものだ。


 ツッチーにうながされるままに、セティは、ツタンカーメンが使っていた光の扉の絵を描いた。

 扉の中に、見えた光景も描く。

 セティ自身も自分が何故こんなことをしているのかわからなかった。


 薄茶の陶器に墨で描かれた景色が、突然、真っ赤に燃え上がった。

 小さな陶器に描かれた小さな扉は、まるでブラックホールのように、セティとツッチーを吸い込んだ。




「わああっ!?」

 そこはいきなり悪霊の群れの真ん中だった。


「ばーかばーか」

「しねーしねー」

 全身灰色で、人間の形をかろうじて保っているだけの、薄ぼんやりした煙のような悪霊の群れが、汚い言葉を吐きながらセティとツッチーを取り囲む。


「おれがこんな悪霊なんかになった理由はグギャギャギャパ!!」

「みんなみーんなギョギュギャゲゲ!!」

 悪霊の言葉は幼いセティには半分も理解できなかった。


 けれど……

「オマエもオレ達みたいになれーーー!!」

 それだけは駄目だというのはわかった。



 邪神セトは悪霊どもの王。

(ボクはこんなやつらの親玉を崇めていたの……?)

 セティは泣きながら逃げ出した。


 悪霊は空を飛んで追ってくる。

 セティとツッチーは地面を走ることしかできない。


 岩場に転がり込んで隠れて、悪霊達が頭上を通り過ぎるのを見て、胸を撫で下ろす。

「ツッチー、大丈夫だった?」

 居ない。

「ツッチー!」

 いつの間にはぐれたのだろう。


 セティの足もとで、地面を破って、ボコッ、ボコッ、と何かが出てきた。

 ツチブタの頭だ。

 目が赤く光っている。


(ツッチーじゃない……!)

 邪悪な表情をした、悪霊の一種。

 それが、何頭も何頭も現れた。



 笑い声がして見上げると、去ったはずの人型の悪霊達が宙をただよい、セティを眺めてニヤニヤしている。

 逃げ道はない。


 ツチブタ型の悪霊が嫌な声を上げた。

 群れの中にツッチーは居ない。


(ツッチーも悪霊だけど……でもツッチーは、こんなやつらの仲間じゃない!)

 それだけ信じてセティはギュッと目を閉じた。




 聞こえたのは、悪霊の悲鳴。

 セティが目を開けると、ツタンカーメンが光の杖を振るって悪霊を退けていた。


 ツタンカーメンの足にはまだクフ王がしがみついたまま。

 それでも飛べているのは、ツッチーの背にまたがっているから。

 ツッチーの背中からは、白と黒の繊細な縞模様を持つ、ハヤブサの翼が生えていた。


「何で!? ハヤブサって……」

「ああ。邪神セトの天敵、光の神ホルスのシンボルだ」

「それが何でツッチーに!?」

「話は後だ!」


 ツタンカーメンがセティの腕を掴んで、ツッチーの背に引っ張り上げる。

 直後、先ほどまでセティが居た場所を……


 人間ぐらいならば立ったままの大人でも一飲みにできそうなほどの、巨大なヘビの頭が通り過ぎた。





 大蛇は体を伸ばしてツッチーを追いかける。

 ツッチーは、さすがに三人は定員オーバーなのか、なかなか高度を上げられない。


 大蛇の牙が鋭く光る。


 そこに、ハヤブサの頭に人間の体の神が割って入った。

「ホルス神!」

 ツタンカーメンが叫んだ。



 鳥の神といっても翼はなくて、霊的な力で浮遊している。

「邪悪よ、退け!!」

 ホルス神の全身がカッと輝きを発すると、それだけで大蛇はおとなしくなって引き下がっていった。



 ツタンカーメンはホルス神に親しげに手を振ってお礼を言った。

 ホルス神は王権の守護者。

 だからホルス神にとってのファラオは、もう一人の自分のようなものなのだ。


「ホルス神! セト神との戦いは?」

「向こうが勝手に引いた。急に興が冷めたとか言い出してな」


「ボクのせいだ」

 セティはかすれた声でつぶやいた。

「ボクがセト神さまの期待に応えられなかったから」

 ツッチーの姿も、邪神の眷属としてふさわしいものではなくなってしまった。



 ホルス神がこちらを向いて、セティは思わずツタンカーメンの背中に隠れた。

「おい、セティ。何でそんな怖がるんだよ?」

「……だって……ボク……」


 邪神セトを崇拝していたのだから、怒られるのではないか。

 何だかもう、全方向からすでに怒られているような気分だ。


 何よりも気になるのが……

「あのさ……ツッチーのこと……」

 邪神の眷属だからって、ひどいことをされたりしないだろうか。


「おう! おまえがツッチーを連れてきてくれたおかげで助かったぜ!」

 ツタンカーメンは満面の笑顔だった。


「ほんとに? でも、だって、ツッチーは悪霊で……」

「悪霊? そいつが? どこが?」

 問うたのは、ホルス神だった。


「セト神さまが、そう言って……」

「セティよ、そいつはセト神に憧れるお前の心が生み出した、お前の分身。そいつは紛れもなく、お前自身の眷属だ」


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