ろじうらのたたかい
ツチブタに似た魔物は、古代のサイコロに当たる投げ棒を鼻で押して転がし、円形の盤の上の駒を口でくわえて前に進めた。
一対一のセネトとは異なり、メネンは多人数で行う。
ツタンカーメンとセティと魔物は、文字通りにゲームをしていた。
すっかり日の暮れた時刻、街灯もない時代の路地に座り込んで。
ツタンカーメンが取り出したランプの明かりだけを頼りに。
「やったぞ! ボクの勝ちだ!」
セティがツタンカーメンからイチジクのパンを取り上げて手もとに置く。
「ちぇー」
ツタンカーメンは新しくハチミツ入りのパンを取り出し、二戦目を開始した。
次の勝者はツチブタの魔物。
魔物はその場でパンを食べてしまった。
「なあ……こいつ、悪霊だよな? セトの眷属の」
「そーだよ。地獄から呼び出したんだ」
「どうやって?」
セティは生きている人間。
本来なら悪霊なんて、目で見ることすらできないはず。
「セト神さまが力を貸してくれたんだ」
「……何故?」
「……なぜって?」
「セトの目的は?」
「ボクをファラオにすることだよ。セト神さまにちなんだ名前の子供をファラオにすえて、セト神さまの時代を作るんだ。だから手始めに、何でもいいからファラオと勝負して打ち負かしてこいって」
「セティってのは本名なのか?」
「うん」
「名前をつけたのはパパとママか?」
「うん」
「パパとママは、邪神崇拝者なのか?」
「?」
言葉が難しかったらしい。
「パパとママは、セトのことが大好きなのか?」
「ううん」
「じゃあ、どうしておまえにセティなんて名前を?」
「体が丈夫になりますようにって」
拍子抜け。
だけど騒ぐほど珍しいことではない。
危険な存在の邪神セトも、強いことだけは間違いなく、性格と切り離して力だけを称える人も居る。
「でもボク、他の子よりも走るの遅いし、ケンカも弱いし、背も低いし」
「走るの好きか?」
「キライ」
「ケンカは?」
「キライ」
「おれもだ」
「ファラオがそれじゃダメだよー」
「いーんだよ、ファラオなんだから」
「えー?」
「メネンは好きか?」
「大好き!」
三戦目はセティの勝利。
ツタンカーメンは四つ目のパンを取り出した。
「セト神とはどうやって知り合ったんだ?」
「あのね、最初にね、夢にこの子が出てきたの」
セティはツチブタの魔物を示した。
「それでボク、この子の絵を描いたの。ボクね、絵を描くのが好きなの。
でもその絵を大人に見せたらすっごく怒られて、もう描くなって言われたの」
古代エジプトの遺物の中には数多くの魔除けの品が見られるが、それによって退けられる魔物そのものについての記述はほとんどない。
絵や文字には力が宿り、魔物の姿を記録に残せば、魔物を永遠の存在にしてしまうと考えられていたからだ。
セティが魔物の絵を描くことを禁じられたのはそのためだ。
「でもね、その日の夜にね、セト神さまが夢に出てきたの。それでね、魔物を絵の外に連れ出す力を授けてくれたんだ」
「…………」
ツタンカーメンは、邪神と関るのは危険だ、と、言いかけてやめた。
ここでそれを言っても、望む結果には繋がらない。
この子は洗脳されているわけではない。
ただ、子供だから、構ってくれた大人についていってしまったのだ。
「セティはファラオになりたいのか?」
「なりたい!」
「ファラオになったら何をしたい?」
「エジプトを“あんてー”させたい」
耳が痛い。
ツタンカーメンの死は、エジプトを不安定にさせた。
ゲームはセティの二連勝。
四戦四敗のツタンカーメンは、また新しくパンを出す。
「それじゃあキリがないよ。いったいいくつパンを持っているのさ」
「おれがほしいって言えば、エジプト中の全てのパンを集められるぞ」
「そんなのズルイー! これ以上、増やすのナシー!」
「……いいぜ」
そこからツタンカーメンは怒涛の三連勝を決め、ツチブタに食べられた分を除く全てのパンを取り返した。
「何でー!?」
「ファラオ・パワーだ」
自慢がてらにイチジクのパンを胃袋に収めたところで、近所の人がやってきた。
「何だ何だ。こんな時間なのに子供の声がするなと思ったら大人も一緒か。早く家に帰れや」
かなりあきれた様子で去っていった。
「ええと、このツチブタ、名前はあるのか?」
「ツッチー」
「今の人にはツッチーが見えてなかったみたいだな」
「生きてる人間でツッチーの姿を見られるのはボクだけだよ。だから他の子と遊ぶ日はツッチーと遊べないんだ。
それでね、ボクはツッチーと遊びたいのに、パパもママも他の子と遊ばなくちゃダメって言って怒るの。
でもセト神さまが、今日だけはどっちか選ばなくてもいいよって」
セティがゲーム盤を、ツタンカーメンは駒と投げ棒をまとめる。
「セティの家はどこにあるんだ?」
「まだ帰りたくない」
「おまえの家で続きをやるんだよ」
「パパやママにバレたくない」
「んじゃ、広場のほうへ行ってみるかな」
歩き出す。
「ところでパンは?」
「ツッチーが全部、食べちゃったよ」
「じゃあ次はケーキを出そうかな」
「やったー!」
「おまえはパンがないんだから最初からクフ先輩の心臓をベットな」
「あっ。ツッチー! クフの心臓は?」
セティに問われてツッチーは首をかしげた。
慌てて先ほどの袋小路に戻ったものの、そこにクフ王の心臓はなく、ただ、見慣れぬ獣の足跡だけが残されていた。




