究極の洗濯物
「さぁてと」
テーベの地に立ち、クフ王は王宮を見上げた。
建材自体は民家と変わらぬ、ナイルの泥で作られた日干し煉瓦。
だけど、デカい。
民家の百倍も二百倍もデカく、そこら中が神の彫像や神を称えるレリーフで飾られている。
豪華な服を着た貴族達が出入りしている門の脇では、青銅の槍を構えた兵士がいかめしい顔を見せつけていた。
「せっかく優美な王宮なのに、皆、やけにピリピリしておるのう」
「おれが跡取りを残さないで死んだせいで、いろいろ混乱して、まだ尾を引いているんです」
「こりゃ、忍び込むのは、ちと骨じゃのう」
「おれは姿を消せばいくらでも入れますけど、全身包帯なんていうどこからどう見ても不審な人を通しちゃうほど、うちの警備は……」
ツタンカーメンが肩をすくめる。
「あれなら行けそうじゃの」
クフ王の視線の先には、大きな籠を抱えた洗濯職人の姿があった。
ナイル川での作業を終えて、ちょうど帰ってきたところのようだ。
くるりんぱ。
ツタンカーメンは透明になって、洗濯物を一枚だけ籠から抜き出した。
もう一度くるりんぱ。
人に見える姿になって「落としましたよー」と気を引きつける。
洗濯職人は大きな籠をいったん下ろして、ツタンカーメンから洗濯物を受け取った。
それは三角形の亜麻布。
二辺をへその前で結んで、一辺をふんどしのように垂らして着用する、古代のパンツだった。
「わわわわわっ!」
ツタンカーメンは大慌て。
釣られて洗濯職人もワタワタする。
その隙にクフ王は洗濯籠にもぐり込んだ。
顔を真っ赤にして走り去るツタンカーメンに、洗濯職人は礼を言って手を振る。
洗濯籠を持ち直し、洗濯職人は一瞬だけ「あれ?」という顔をした。
けどまさか人間が籠に入っているとは夢にも思わない。
芯までしっかり乾燥しているミイラは、生きている人間とは比べ物にならないほど軽いのだ。
洗濯職人はすぐに気のせいだろうと考えてくれて、籠を抱えて王宮へ入っていった。
ツタンカーメンが姿を消してついていくと、洗濯職人はなんと女子寮のほうへ向かっていった。
(ヤバイ! このままじゃクフ先輩が女子寮に運び込まれちゃう!)
ツタンカーメンは透明な足を洗濯職人に引っかけて、すっ転ばせた。
洗濯物が飛び散って、クフ王が籠から放り出される。
洗濯職人は顔面を床に打ちつけた。
クフ王は今のうちに逃げようとしたが……
間に合わない。
洗濯職人が顔を上げるほうが早い。
「なっ!?」
洗濯職人は、目の前の光景に釘づけになった。
クフ王の姿にではない。
洗濯職人はクフ王に気づいていない。
それは、もっと手前で起きていた。
床にペタンと広がったシーツ。
人が隠れる余地なんかなく、ペタンと広がっていたシーツが、人の形に盛り上がっていく。
実はこれ、幽霊であるツタンカーメンが床の石材をすり抜けて上がってきただけなのだが……
「メ……メジェド様……!?」
洗濯職人は腰を抜かした。
オシリス神に仕え、オシリス神を守る、メジェド。
神なのか精霊の一種なのかはハッキリしないが、少なくとも人間よりかは神に近い存在である。
シーツをかぶったツタンカーメンの姿は、メジェドにそっくりであった。
ツタンカーメンは、シーツの下から指だけ出して、洗濯職人が今さっきぶつけたおでこのたんこぶに軟膏を塗って、床の下に戻った。
洗濯職人がペタンコに戻ったシーツを恐る恐るめくっても、そこには床石があるだけだった。
「ああ、メジェド様! 私の日頃の行いが良いと褒めに来てくださったのですね!」
洗濯職人は礼拝のポーズを取って感謝の祈りを捧げた。
ツタンカーメンとクフ王は、柱の陰で顔を見合わせ、神々はきっとこの洗濯職人を祝福するねとささやき合った。
洗濯職人が上機嫌で洗濯物を籠に戻していると、女子寮の奥から複数の足音が聞こえてきた。
洗濯職人は慌てて廊下の隅に退いて頭を下げた。
女子寮から出てきた一団は、王宮に併設された神殿のほうへ歩いていく。
ツタンカーメンとクフ王は、柱から顔を出して様子を覗いた。
たっぷりとひだを取った白い亜麻布のドレスが揺れる。
大半は、王宮に仕える男達の妻や娘。
緑の孔雀石や、ブルーのラピスラズリ、神秘的な紫水晶に、夕日のような赤玉髄で全身を飾り立てている。
アンクやシェン(どちらも生命のシンボル)を手にした女神官。
王の親族のおばさんやおねーさん。
その頂点に立つのが王妃アンケセナーメン。
ツタンカーメンの妻だった彼女は今、王位をアイに継がせるため、アイの儀礼上の妻となっていた。
「どの娘が王妃じゃ?」
「一番きれいな人です」
ツタンカーメンは真顔で言った。
「んー? 誰じゃー?」
「一番、可憐な人です」
「はてさてー?」
「一番の美人です」
クフ王は小さくため息をついた。
「わかっておるわい。王妃なんじゃから、髪飾りに一番大きな宝石がついとる娘じゃろ」
「そう! その宝石よりも輝いている人です!」
「わーった、わーった。何じゃか“かわいいかわいい言ってるお前が一番かわいい”と言わねばならんような気がしてきたぞい」
「何で!?」
「はて?」