かみかみパニック
逃げようとしたクフ王は、走り出してすぐに砂利の山にぶつかった。
ツタンカーメンの王墓の入り口を隠すためのものだ。
王墓の扉が開けられた形跡はない。
(ツタンカーメンはどこへ行きよったんじゃ!?)
今の状況でなければ、ふざけて隠れているのかと思うところだが。
嫌な予感がする。
(ネフティス女神がついているのに、まさか魂が消えてしまったということもあるまい……!)
警備兵がクフ王を取り囲んだ。
四角い顔の兵士と丸い顔の兵士の二人組みだ。
角顔の警備兵がクフ王の包帯を掴んだ。
「はっ、放せ! ワシを誰と心得るか!?」
「何者か白状してもらおう!」
グイッと包帯を引っ張る。
「あ~~~れ~~~っ!!」
クフ王がクルクル回り、包帯が解けていく。
「おい! マズイぞ!」
丸顔の警備兵が叫んだ。
「このままでは中身が見える!」
角顔の警備兵がハッとしたが、間に合わなかった。
ミイラの包帯は、一本で繋がっているわけではない。
指を覆う包帯と、掌を覆う包帯は、太さの異なる別の布。
顔、首、胸、胴。
体の線に沿わせるために、何本もの包帯を使い分けている。
角顔の警備兵が掴んだ包帯は、背中に近いが、腰だった。
そのまま下へ……
「いやあぁーーーん!!」
クフ王の股間の包帯が解けた。
警備兵達は思わず目を塞いだ。
次に警備兵達が目を開けた時には、クフ王の姿は煙のように消えていた。
「ここはどこですじゃ?」
「ツタンカーメンの王墓の中だ。ちなみに時間も移動した。お前達の在るべき時に戻ってきている」
クフ王の問いに、トート神が答える。
ネフティス女神が指に口を当て、しーっとする。
数々の財宝が所狭しと詰め込まれた空間。
黄金の棺からは静かな寝息が漏れ聞こえていた。
トート神とネフティス女神はそれぞれに空間転移で去っていく。
クフ王は棺の置かれた玄室を出て、前室に収められたベッドに横たわった。
今日はもう疲れた。
翌朝、目を覚ましたツタンカーメンにクフ王が事情を説明しようとしたけれど、お互いに寝ぼけていたので要領を得なくて、ツタンカーメンは自分が丸一年も眠り続けたのかと勘違いして軽くパニックになってしまった。
「じゃあクフ先輩がおれを助けてくれたの?」
「テーベへの通り道だっただけじゃわーい」
何はともあれ元気になって王墓の外へ……
出た途端、去年と同じ警備兵と鉢合わせした。
逃げ回り、ナイルの川辺に追い詰められる。
水面ではワニがウヨウヨしている。
「開け、光の扉! 出でよ、我が船よ!」
ツタンカーメンの呼び声に、方解石という、大理石に似た白い石で作られた、模型の船が現れた。
小さな模型はみるみる膨らみ、人間が乗れるほどの大きさになる。
ファラオ達が甲板に飛び乗り、二人の体重を受けて、船体は川岸の泥を滑り降りてナイルの川面に進水した。
しぶきを浴びて、ワニが身を引く。
警備兵達は離れた場所にある船着場へと走っていく。
「こんな良い物があるなら何故さっさと使わんかったのじゃ?」
「船の素材を変える術をまだ練習中で」
「うむ?」
「今回はうまくいったかなーと……思ったんだけど……やっぱダメだったみたいっ」
石の船はドブンと沈み、あっという間にワニに囲まれてしまった。
「ぎょえーっ! 食べるでなーいっ!」
「食べないわにーっ!」
なんとワニの群れは、ワニの神のセベク神に率いられていた。
ワニ達は二人のファラオを背中に乗せて、ナイル川の東岸、テーベの都のそばまで運んでくれた。
お礼を言って、ワニ達と別れる。
だけどミイラが濡れてしまった。
「こんな時は……」
ツタンカーメンは空に向かって手をメガホンにした。
「アテンしーーーーーん!!」
「はあーーーーーーい!!」
空から太陽が降ってきた。
否、太陽そのもののような姿の神が舞い降りた。
太陽神アテン。
古代エジプトの神々の大半は、人間にそっくりか、人間の体に動物の頭がついた格好をしているけれど、アテン神の外見は人間とはかけ離れている。
太陽を表す円盤状の頭部から、無数の光の触手が生えているのだ。
大きさは、神なので自由に変えられるはずだが、今は人の背丈ほどになっていた。
クフ王が口をあんぐり開けた。
「ワシがちょっとピラミッドに引きこもっとる間に、こんなけったいな神が出てきよったんか!?」
「あ、やっぱクフ先輩の時代には居なかったんだ」
「少なくとも奉られとるのを見たことはないぞい」
神なので人類の誕生以前から存在していた可能性はある。
「うふふ~、よろしくね~っ! クフちゃんを乾かせばいいんだよね~?」
アテン神は触手をクルクルと回転させ始めた。
ふわあああ。
扇風機のように風が起こる。
あまりに急激に乾燥させればミイラにひびが入る恐れがあるのだけれど、その辺はしっかりと心得ているようで、ふんわり優しくゆっくりと水分を飛ばしていく。
「はーい、おっしま~い! じゃ、またね~!」
アテン神は触手をぶんぶん振って飛び去った。
「何じゃ、もう終わりかいの? いやはやあれは何ものにも例えがたい心地良さじゃ。ワシゃもうすっかりアテン神の信者だぞい」
「気をつけてくださいよ先輩。おれの父上はアテン神にはまり過ぎて、他の神々を蔑ろにしてエジプトを崩壊させかけたんですから」