部屋と包帯とファラオ
「トート神ならすぐに戻ってくるわよ。それまでお部屋のお片づけでもしてなさい」
イシス女神が宮殿のほうを示す。
「つーたんってば、ゲームとかアイドルグッズとか山ほど持ち込んじゃって、引っ越しの荷物を解くの大変なんだから」
王墓に副葬品として納められた、古代のすごろくと神々の偶像のことである。
暮らしなれたテーベの王宮を写し取ったような冥界の宮殿では、ツタンカーメンの祖父や曽祖父の代に仕えていた家臣達が、労働人形の指揮を取ってツタンカーメンの家財道具を運ばせていた。
さまざまな模様が描かれたいくつもの衣装箱、宝石箱。
筆記用具やランプや火起こし棒のような日用品。
黄金の玉座に、儀式用の椅子に、普段使う椅子。
「なかなか立派な二輪馬車じゃのう。しかしお前さん、本当にあれを乗りこなせておったんか?」
クフ王が尋ねたが返事がない。
ツタンカーメンはいつの間にか居なくなっていた。
クフ王の目の前を、金箔で飾られた黒檀のベッドが通り過ぎていく。
家臣のシャブティの一団がえっほえっほと担いでいるわけなのだが、シャブティが小さいせいで、ベッドが自分で歩いているように見える。
そのベッドでツタンカーメンが眠っていた。
クフ王はツタンカーメンをたたき起こした。
「お前さんのシャブティはどこで何をやっとるんじゃい」
「どこかの箱に入ってるんじゃないんですかね?」
「さっさと呼び出せい」
「呼んだけど出てきてくれなかったんですよぉ」
ツタンカーメンはあくびを噛みつぶした。
「過去の墓所に張られてるバリアは、過去のおれでないと抜けられないみたいッス」
「力が全く使えなくなったとかではないのじゃな?」
「浮遊とか変身なら……うん。できますね」
ツタンカーメンは空中でくるりんぱっとしてニワトリに変身して見せた。
「コッケコッコーッ!」
「ぴゃあ!?」
がしゃーっん!
急にやったせいで、近くに居た誰かのシャブティが、驚いて鏡入れを落としてしまった。
「こらーッ! うちの孫の荷物に何てことをするかッ!」
シャブティの主の老人が、ニワトリ状態のツタンカーメンを捕まえて窓から放り出した。
「わーっ! 待て待て! そやつは……!」
クフ王が窓に駆け寄ると、ツタンカーメンはもとの姿に戻って木の枝に引っかかってジタバタしていた。
クフ王はシャブティの主を振り返った。
(うちの孫と言っておったな)
アメンホテプ三世。
さまざまな神をバランス良く崇めてエジプトを豊かにした、評判の良い王である。
(その孫を自分で放り出したわけなのじゃが……まあ……感動の再会はそれなりの時にしたほうが良いじゃろ)
それはさておき、あいさつぐらいはしておこうと、クフ王が歩み出た瞬間……
「きゃー!」
「きゃー!」
「きゃー!」
クフ王の包帯に引っかかって、シャブティがドミノ倒しになった。
「こらこらこらーッ!!」
クフ王も宮殿から放り出された。
さすがに窓からではなく裏口からだったが。
「あらあら、まあまあ、困ったわねぇ。うーん、それじゃあ、つーたんを歓迎するためのワイン作りのお手伝いをお願いしてみようかしら?」
ネフティス女神はツタンカーメンとクフ王をぶどう畑に連れてきた。
「おれを歓迎するお酒をおれが作るの?」
「きっとおいしくできるわよ」
「お供え物のお酒だけじゃダメなの?」
「いくらあったって多すぎるってことはないわ。何たってファラオの歓迎会ですもの」
何となく納得できないものを感じつつ、ぶどうの収穫自体は楽しい。
アーチ状にめぐらせた蔦から、たわわに実った房をもぎ取る。
ぶどうの実を籠に入れて、壷がいっぱい置いてある場所へ運ぶ。
壷にぶどうを移し変えて、棒で突いてつぶす。
これをしばらく寝かせてから、皮と種を取って、また寝かせるのだけれど、とりあえず今日は、ぶどうをつぶすところまで。
ツタンカーメンは、きゃっきゃと楽しげに、追加のぶどうを取りに畑へ浮遊していく。
徒歩のクフ王は、遅れてのんびりついていく。
ツタンカーメンが、いきなり墜落した。
「何じゃ何じゃっ? まだ酒になっておらんのに酔ったんかっ?」
クフ王が駆け寄ると、先に来たネフティス女神がツタンカーメンの顔を覗き込んでいた。
「……眠っているわ」
「何じゃい。はしゃぎ過ぎて疲れたんかい」
「霊力が弱っているわ。この子、最近ちゃんとミイラで寝ていないんじゃないかしら」
ミイラごと移動する古王国時代のクフ王と異なり、新王国時代のツタンカーメンは霊魂だけで自由に飛び回って、夜になるとミイラに戻って眠って霊力を補充する。
ツタンカーメンはかれこれ二日もミイラで眠れておらず、いわば充電ができていない状態になってしまっているのだ。
「女神様の力で何とかなりませんかのう」
「時間の壁を越えた状態のつーたんに、王墓に張られた守護障壁を空間移動で越えさせるのは難しいですわ。
となると王墓のそばまで行って、手動で入り口を開けることになりますけれど、その間に警備兵に見つかったりしたら……」
「いざという時はワシが囮になりましょう」
「いいの? 危ないかもしれないけど、本当に大丈夫?」
「こやつをこのままにはしておけませぬ。なぁに、ワシとて歴戦のファラオですじゃ。そこらの兵士に遅れは取りませぬぞ」
「じゃ、お願いするわね! えいっ!」
三人が光に包まれる。
次の瞬間、クフ王の鼻先に、王家の谷の警備兵の顔が現れた。
「くせ者ーーーッ!!」
警備兵が叫んだ。
「ままま待たれよ女神様! ワシゃ、いざという時の囮と言うたのであって、この老体で正面切って戦うなどとは一言も……っ!」
しかしネフティス女神の姿はそこにない。
警備兵達が剣を抜く。
「ええい、お前ら! お前らの王の顔を忘れたか!」
と、クフ王はツタンカーメンを兵士達に見せようとしたけれど、ツタンカーメンもここには居なかった。




