ファラオが来たりて笛を吹く
「実はワシも楽器をやっておりましてのう」
クフ王は包帯にはさんでいた、ナーイという笛を取り出した。
未来で団体旅行の観光客と遭遇した際に、その団体についていたガイドがくれた、エジプトを含む北アフリカの民芸品だ。
(あやつらが何を言っとるんかはさっぱりわからんかったが、ワシに敬意を表しての貢ぎ物じゃろう)
団体との記念撮影に応じたお礼、と言う発想は、古代の王には存在しない。
二十一世紀の笛といえども、葦の茎に指孔を開けた構造は、目の前の楽団員が使っている物はもとより、クフ王の時代の笛ともほぼ同じ。
縦笛と横笛の中間の、斜めに構えて息を吹き込む。
音色は尺八に似ていて、尺八よりも小さいので高い音が出る。
クフ王が奏でたのは、太陽神ラーを称える楽曲だった。
楽団員の感嘆の声を聞き、クフ王はツタンカーメンに向けてニヤリと笑った。
「若僧、お前さんは楽器は?」
「ラッパなら……」
王家の谷の墓所に副葬品として納められている。
けれど、光の扉が使えないので呼び出せない。
「僕のスペアでよければ」
楽団員が貸してくれた。
古代のラッパは、朝顔の花のような形の、金属の筒の二つセット。
二つを重ねて、隙間を開けたり縮めたりして音階を出す。
ただ鳴らすだけでも難しい楽器を、ツタンカーメンは見事に演奏してみせた。
クフ王が耳打ちする。
「その腕前は生前からか?」
「ないしょです」
「ところでお前さんがた」
クフ王が楽団に向き直る。
「ワシらもファラオの葬列に参加させてはくれんかの? ファラオと聞けば他人事ではないのでの」
楽団は二人を快く受け入れてくれた。
葬列が動き出す。
王宮を出て、都を練り歩き、ナイル川を越えて王家の谷へ。
「ピラミッドがないとは不憫じゃのう」
出番待ちをしながらクフ王がツタンカーメンにささやいた。
「今はなくていいんですよ」
「お前さんはピラミッドは?」
「……小さい模型なら持ってますけど」
「カッカッカ。素直じゃないのう。やはりピラミッドに憧れとるんじゃないか。まあ、今さら何を作ってもワシには勝てんがの。
過去にも未来にもワシより偉大なファラオなぞおらぬ。未来の書物にもワシのピラミッドが一番デカく描かれておったわい」
観光パンフレットのことである。
王の棺を乗せたソリを、廷臣達が引いていく。
運ばれる副葬品は、王が日常で使っていた家具など。
お供え物には、花輪、フルーツ、好物のパン。羊の肉に、牛の肉。
生前と変わらぬ豊かな暮らしが、死後にも続くように祈って。
偉大な王が栄光たる神々の国へ導かれるのは喜ばしいこと。
けれどその偉大な王に置き去りにされるのは辛いこと。
泣き女は葬送の儀式の一環として涙を捧げることのプロ。
葬列の中で楽団も全力で悲しみを奏でる。
「ヤバイ。知ってる人がいっぱい居る。しかもおれが知ってる頃の年齢と変わってない」
ツタンカーメンが冷や汗を垂らした。
「何と。それではやはりこれは、お前の跡を継いだアイとやらの葬儀なのか?」
「それはないです。てゆっかそのアイのじーさんが喪主をやってますッ」
喪主を務めるのは後継者の証。
すなわち……
「これ、おれのお葬式です! トート神がタイムスリップからおれ達を戻す先を、一年ぐらい間違えちゃったんですゥ!」
「落ち着け、ツタンカーメン。あまり騒ぐと目立つぞい」
幸いにも王と直接面識のあるような貴族や高位の役人は、葬列の中でもずっと前のほうに居て、楽団なんか見ていない。
けれど急に逃げたら気づかれる。
「過去の自分と遭遇したら、時空が狂って世界がバーンってなっちゃいます」
「そんな心配せんでも、仮にもファラオの魂じゃぞ。おのれの葬式の間ぐらい、自分の棺のところでおとなしくしとるもんじゃろ。
……待て。何故に首を振るのじゃ?」
ツタンカーメンが示した先では、過去のツタンカーメンの幽霊が、自分の姿が生きている人間には見えないのをいいことに、そこら中をふよふよ飛び回って貴族や役人にアッカンベーをして回っていた。
未来のツタンカーメンは、冥界の長い旅を終えてオシリス神から祝福をもらっているので“自分の正体を含む神々の世界の秘密”を生きている人間にバラさないという制約つきでならば、物質世界に干渉できる。
一方、死んではいても旅には出る前のツタンカーメンは、魂と霊力の結びつきが弱くて不安定なため、物質世界に触れることも、肉体を持つ人間の眼球に姿を映すこともできない。
「いくら見えないからって、ありゃないじゃろうに」
クフ王が未来カーメンの背中を小突く。
未来カーメンはラッパを吹きつつ、体をよじって過去カーメンから顔を背ける。
「そんな必死にならんでも、ファラオが楽団なんかに寄ってくるわけないじゃろ」
などとクフ王はタカをくくっていたが、しかしそこはどちらもツタンカーメン。
何で未来カーメンがラッパを手にしているかといえば、生前からラッパが好きだったからで、当然のように過去カーメンは楽団のラッパ吹きに興味を示してしまった。
まさか自分自身だとは夢にも思わず、ふよふよ無防備に飛んでくる。
マズイマズイマズイ!
未来カーメンから滝のような汗が噴き出す。
クフ王が、未来カーメンからラッパをひったくった。
それを自分のお尻に突き刺し、おならで「ぶおおっ」とラッパを鳴らす。
過去カーメンは、目を点にして、Uターンして去っていった。
「不届き者め!」
兵士達に追いかけられて、クフ王と未来カーメンは、走り回って転げまわって、副葬品の衣装箱の中に逃げ込んだ。
未来カーメンが光の扉を呼び出す。
兵士が衣装箱を開けた時には、二人の姿は消えていた。




