バスルームから歴史を込めて
「……お清めをしなければ……」
マアト女神が低い声でうなった。
「嘘つきの罪に汚れた体を、一刻も早く清めるのです」
お清めの儀式といえば、お祈りをする、供物を捧げる、など方法はいろいろある。
ツタンカーメンは手っ取り早く、両手を上げてお祈りのポーズを取ったが……
「ここは沐浴でありましょうな」
クフ王の手には、旅行会社のパンフレット。
そこには見慣れぬ文字とともに、女の人がお風呂に入っている写真が載せられていた。
「何この絵!? どうやって描いてんの!?」
ツタンカーメンは、それこそ絵に描いたような古代人的な反応を示した。
「フッフッフ。すごいであろう」
「何でクフ王がいばるの?」
マアト女神が覗き込んで首をかしげる。
「何と書いてあるのでしょう?」
「借り受けよう」
いつから居たのか、トート神が横から手を伸ばした。
どんな文字でも読める知の神が、パンフレットに目を通す。
その間に、ツタンカーメンとクフ王でひそひそ。
「トート神ってば、もしかして……」
「マアト女神の怒りが収まるまで隠れておられたのじゃろうな」
知の神が咳払いをした。
「これは“にほんご”と呼ばれる文字だな。
異国の客のためのものなのだろう。“クレオパトラの美容体験ツアー”とある。クレオパトラはお前達よりもずっとあとの時代の女王だ。
今日は薔薇風呂の予定……しかしツアー客はこの時間は別の場所を観光しているようであるな。良し、今のうちに行ってみよう」
トート神が両腕を広げると、光の扉が現れて、ファラオ達を飲み込んだ。
高級ホテル。
アロマキャンドルが照らす大理石のバスルーム。
ツタンカーメンは湯船の真上に出現し、そのままドボンと水しぶきを立てた。
一瞬だけ慌てたものの、すぐに魂は溺れないんだったなと思い出す。
仰向けになって見上げた水面は、真紅の花びらで埋め尽くされていた。
(きれいだ……)
湯の温度も最高に心地良い。
亜麻の腰布が揺らめく。
服のままで入ってしまったけれど、エジプトの気候ならばすぐに乾くはず。
(このまま眠ってしまいそうな……でも目を閉じるのも惜しいような……)
湯船の外はどうなっているのだろう。
ツタンカーメンは体を起こした。
水面をくぐる際に頭に花びらが張りついた。
眼前に飛び込んできたものが何であるかを理解するのに時間がかかった。
それは、クフ王の股間だった。
クフ王もツタンカーメンと同様、湯の真上にワープしていたわけだが……
自分で来たいと言ったくせに、ミイラの体を濡らすわけにもいかなくて、風呂桶のふちに両手両足を引っかけて必死で踏ん張っていた。
ちょうどツタンカーメンの顔面に覆いかぶさるような位置だった。
ミイラの包帯を巻いているので、ツタンカーメンが直接クフ王の“それ”を見たわけではないけれど、ピンクの花柄の腰布の中を覗き込むような格好になり、ツタンカーメンはお清めの意味がわからなくなってしまった。
「待たせたな」
トート神が大きなビニール袋を持ってきて、クフ王を中に入れた。
「息苦しいのう」
「ミイラでなければ窒息死する」
「だいぶ前に死んでおいて良かったわい」
「ミイラでなければ普通に入浴できる」
「これでお清めになるんですかのう?」
「霊体や魂にはじゅうぶんだ」
ちなみにマアト女神は外で待っていた。
薔薇風呂を堪能したものの、クフ王がまだまだお清めが足りないと言うので、トート神の力でタイムスリップ。
一日後の同じ浴槽は、今度はワインで満たされていた。
こちらも楽しみ、次の日はミルク風呂。
そんな調子で、柚子湯、レモン湯、ニガヨモギにショウブ、チョコレート風呂からコーヒー風呂まで。
古今東西、ありとあらゆるお風呂のフルコース。
湯上りにココナッツオイルでスキンケアして、アロエベラのゼリーをいただく。
「クレオパトラの時代のエジプトにはなかったはずのものが山ほど紛れ込んでいるな」
ハイビスカス・ティーを飲み干してからトート神が言った。
「まあ、未来ではクレオパトラは人気者だからな。名前を借りてあやかろうとしたのだろう」
「えー? どれがですか?」
「いろいろやりすぎたので、どれがどうだったのかもう覚えていない。全部ではないが、一つや二つでもない」
「ええー?」
「一つ目の薔薇風呂からして、こちらの時代で品種改良されたものだな。香りが良すぎる」
「それじゃお清めの効果はどうなるんです?」
「最初から未来の風呂として入っていれば良かったのだが、クレオパトラの風呂と言ってしまったからな。これでは……」
男達の上に不意に影が差した。
天を指すようにスッと伸びた、ダチョウの羽飾りの影だった。
「嘘はアァーーー、罪イィーーー!!」
「待て、マアト女神! 嘘とは限らぬぞ! 冥界に来てから使っているかもしれない!
誰かがお供え物としてどこかの神殿に捧げていれば、クレオパトラの霊魂の手に渡っている可能性はある!」
「罪はアァーーー、許しまーーーせーーーんーーーッ!!」
「マズイッ!」
トート神はツタンカーメンとクフ王を引っ掴み、光の扉に逃げ込んだ。
飛んだ先は、本物のクレオパトラの時代の薔薇風呂だった。
絢爛豪華な宮殿を、慌ただしく駆け回る人々。
お鍋で一杯ずつ沸かしたお湯を、奴隷達がせっせと湯殿へ運んでいる。
電気、ガス、水道といったものの通っていない時代では、風呂桶一つ満たすだけでも大変な労力がかかる。
「未来の風呂のほうが良いな」
クフ王が、湯船に浸かってつぶやいた。
「昔は良かったなんてウソですね」
そのクレオパトラも、二人から見れば未来人なのだが。
クレオパトラが実際に使ったものと使っていないものについては、諸説あり過ぎて筆者も混乱しています。
ある資料ではクレオパトラの時代のエジプトにはキダチアロエはあってもアロエベラはなかったとあるのに、別の資料ではアロエベラは北アフリカ(エジプトがある辺り)原産って書かれていましたあああっ!
どれが本当なんだあああっ!?




