文学少女
鍵を開けて図書室に入る。
本と埃の混じった匂いがする。
入学してから本棚を掃除した記憶がない。
潔癖な図書委員がいれば、即日辞めるのは間違いない。
でも俺はこの匂いが嫌いじゃない。
職員室で図書委員担当の小室先生にお使いを頼まれた。
どうやら新刊が入ったらしく、整理してタグを張っておいてほしいらしい。
帰宅部だし、急ぎの用もなかったので、今日やりますと即答して鍵をもらった。
クラス委員以外は1年通して継続する。
クラス委員の仕事といっても大したことはないので、もしクラス委員に選ばれると兼任することになる。
まぁ俺がそんな大層な役目を全うすることは人生上なさそうだ。
カウンターに入ると机の上に、まだバーコードが張られていない本が積まれていた。
これが小室先生のいっていた新刊か。
新刊といっても寄贈されたものだったり、有名な文学賞を受賞した本だったりと、この図書室に対しての新刊だ。
一番上の本を手に取ってぱらぱらと捲ってみる。
純文学の本だった。
『呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする』。
作者の思う人間像らしいものが書いてある。
とりあえず早速作業をしよう。
カウンターに備え付けられたパソコンのスイッチをいれる。
じりじりと音がするあたりだいぶ古い。
まぁネットサーフィンをするでもなく、ただ生徒の貸し借りを管理するだけだ。いまのところ問題ない。
引き出しからバーコードを生成する機械を取り出して、1冊ずつにバーコードを張り始めた。
張った後でデータベースに登録し、本棚に差し込めば終わりだ。
誰もいない図書室に、外のセミの声がずっと響いている。
単調な作業を続けていると、図書室の扉が開いた。
視線だけをちらと向けると女子がいた。
よくみかける1年生だ。
週1度の図書当番、僕でみかけるくらいだから、かなり頻繁に通っているのだと思う。
彼女は窓側の椅子に座り、本を読み始めた。
俺はちょうど新刊をデータベースに登録し終えたので、貼りたての新刊と返却されたまま本棚に戻されていない本をカートに乗せ、本棚へ向かった。
本棚をみると、有名な文学作品はほとんど揃えられているように思う。
海外のミステリーから最近の和書もある。
見た感じ傷みの激しい本もあるけれど、それほど読まれてきた証なのだろう。
俺は本自体に感情移入はほとんどしないので、無心になって本を並べる作業を進めていると、横に人影が見えた。
さきほど図書室にきた1年生の女子だった。
「返却と、また借りたいんですけど....」
そう俯きがちに話しかけてきた。
「わかりました。すぐにいくのでカウンターで待っていてください。」
いくら基本一人の高校生活とはいえ、当たり障りのない対人スキルは持ち合わせている。
でなければそもそも人に触れあわなければいけないカウンターの担当など希望するわけがない。
残りわ行だけだったのに、とタイミングの悪さに少し心残りを感じた。
カウンターに入り彼女から本を受け取ると、夏目漱石の本だった。
俺は純文学には疎い。
というよりも、読んでみたけれどただ難しく感じた。
難解な言葉のオンパレードで、辞書をひくことすらためらった。
全ての言葉を引いていくなら、1行ずつ調べることになってしまう。さすがに疲れる。
それ以来、純文学とカテゴライズされる本は読んでいない。
この森見登美彦の本は好きだ。
それほど読書をしていなかった頃、初めて本屋でページをめくったときの感動は忘れられない。
好きな作家だからか、途端に目の前の少女にかなり親近感が湧いた。
けれどそこは独り身高校生。話しかけはしない。
人は興味を持つことも持たれることも、面倒だと感じるのだ。俺だけかもだけど。
「返却期限は2週間後の15日です。ありがとうございます。」
バーコードを通して彼女に本を渡す。
彼女は一瞬戸惑ったような顔をした後、すぐに表情を戻して本を受け取った。
「...ありがとうございます。」
そのまま彼女は受け取った本をカバンにしまい、図書館を後にした。