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長い休暇  作者: 宮ノ木 渡
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 ぼくは小さき人を自分の胸の内に飼い続けている気がする。どうやら彼とはずっと(恐らくは死ぬまで)共存していかなくてはならないのだろう。

 いつ頃からか、ぼくは小さき人と自分とを切り離して物事を考えるようになった。だから、今では彼の考えていることはわからない。

 わかるのは、彼が感じてきた感情だけだ。ぼくはそれを、理性の力でもって代弁しているに過ぎない。

   

   * * *


 ぼくは病院の陰鬱な雰囲気を敏感に感じ取っていた。病室を出て廊下を進むだけなのに、白衣を着た大人たち、用意された簡易的なパジャマのような病衣を身にまとった患者たちとすれ違った。

 そして、見舞いに来た人間、皆が病人に対して気を回している。まるで息が詰まりそうだった。どのような人間を見ても気が滅入る。どこかに境界線があって、その中では誰もが元気な素振りを見せてはいけないようだった。


   * * *


 まだまだ退院の目処が立たないある日の夕方に、(母との面会中だった)担当医だろう男が病室に入ってきた。

 なにかしらの注射を打たなくてはならなかったのだけれど、ぼくはそれを頑なに拒否した。なぜそんなことをしなくてはならないのか、ぼくには理解できなかったし、恐怖を感じてもいた。

 母親が目の前にいたこともあり、ぼくは必至で助けを求めていた。ぼくの泣き叫ぶ声は宇宙的規模でアッという間に部屋の中に広がった。

 医者の男に時間がたっぷりとあるわけではなかったのだろう。二人の看護師に目配せがされ、母親は扉の外に出された。

 ぼくはシーツのようなものを被せられ、その上から手足を拘束された。手足が引き千切れそうなほど抵抗してみたけれど、結局それは何の意味をもたらすこともなかった。

 ただぼくの目にはオレンジ色の蛍光灯の光が、布越しにぼんやりと光っているのが見えるだけだった。注射は終わり、ぼくはその時から自分の感情を抑制するというまったく嘘っぱちの防衛手段を無自覚に身に付けた。

 同時に、親に対する信頼を、無意識の内に失ってしまっていた。簡単に言えばぼくは迫害されたのだろうと思う。

 確かにあれはぼくを治療するための過程だったのだろうけど、ぼくはどうしても暴力だと捉えてしまうし、感じたものは絶対的な悪意だったと思う。

 暴力には抗うことができない、だからそれは暴力なのだ。


   * * * 


 親に対する不信は、人間に対する信頼感をも疎外してしまった。ぼくは人目につくことを恐れ、極端にしゃべらなくなった。

 人間というものを部外者として観察、理解しようとするようになったし、あの時に自分は人間という集合体の中からはじき飛ばされたのだと思うようになった。

 あるいは、生まれた時からぼくは普通の人じゃなくって、その傾向にてこの原理でもって拍車をかけたのがあの一件だったのかもしれない。

 でも、それはどちらでもいいんだ。そんなことは重要じゃない。


   * * *

    

 今から思えば、あの担当医は世界規模の巨大な悪(とは一体なんだろうか?)の一端をぼくに垣間見せてくれたのだと思う。

 社会におけるドレープ状になった負の感情のたまり場みたいな装置に、偶々あの男はなっていたのだろう。

 そしてそれをぼくに、恐らくなんの自覚もなく(あるいは意図的に)押し付けたのだ。ぼくはそれをなぜだか(それはぼくの性質によるものだと考えるが)何倍にも増幅させて受け取ってしまったようだ。

 ぼくは後に他人の悪意に鈍感な人間がいることを知る。


それにしても、知らずの内に他人の感情を吸着して、それを吐き出さずに生きている人間はどうなってしまうと思う?十中八九そのうちに壊れるだろうね。





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