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ぼくはこの世界に対して嫌悪を抱いているのではなくて、人間という特定のものに対して良い印象を抱いていないということなのかもしれない。
そしてそれは厭世的な世界観へとシンプルに繋がっていく。
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人間の悪意、あるいは暴力性についてのぼく自身の体験を簡単にまとめておきたい。それはぼくの世界観を形成する際の根っこのようなものになっている。
ぼくが病気がちであったことは前述した通り。ぼくにはその理由はよくわからないけどまぁ子どもの時は不思議なことがよく起こるものだよね。
小学生の低学年の時だったと思うんだけど、やはりその時に何かしらの(たぶん風邪だったんじゃないかな?)病気に罹っていたんだ。
それが朝起きたらだいぶ元気になっていたものだから、そして学校には行かなくていいものだから、ぼくはずいぶん機嫌が良かった。そういうことってあるよね?
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それで朝からイチゴジャムとマーガリンをたっぷりと塗ったトーストを食べた。そしてそのまま倒れてしまったんだ。
卒倒したようなものだったのだろう。本当に、幼少期のぼくの身体には信じがたいことがよく起こった。
例えば、ぼくが学芸会の出し物でちょっとした脇役を演じることになった時のまさに本番当日の朝に、ぼくはトイレで用を足していて、そのままばったりと倒れてしまった。
あれは緊張していたからなのだろうか?薄れゆく意識の中で便器の角に思い切り頭をぶつけたことをうっすらと覚えている。
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とにかく、ジャムトーストがぼくを病院送りにしたんだ。悪いやつだね、イチゴジャムトースト!そうしてなにかよくわからない検査が行われた。糖尿病を疑われたんだ。さらに精密な検査をする必要が出て来たから、隣の県の病院に入院することになったんだ。
片田舎の総合病院では限界があったらしい。車で何時間もかけて母親はぼくに会いに来てくれた。面会時間が終わると母親はまた何時間もかけて自宅に帰らなくてはならない。ぼくは泣きながら引き止め、彼女もまた後ろ髪を引かれる思いで泣く泣く病院を後にした。というのも、ぼくには兄姉がいたものだから、その二人の面倒を見る必要があったんだ。
あの時の絶望感をぼくは今でもありありと思い出すことができる。
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世界でたった一人、振り向いて欲しい人に置いていかれる感覚。
当時は自分を形成しているあらゆる物、それは物理的な構成要素でもあり、精神的な構成要素でもあるのだけれど、それらがあまりにも柔らかくできていたものだから、ぼくはそれを一生懸命頑強にすることでその悲しみ、子ども心にぶつかった世界のどうしようもないものに抗おうとしていた。
その結果、ぼくは二十歳になるまで明確に感情を押し殺すことになる。その名残は、今でも残っていると自覚している。嘘っぱちの心理的防衛に、疑いを持つにはずいぶんと時間がかかったのだ。
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結果的にこの入院は一ヶ月ばかり続いた。当時のぼくには半年ほどの長さに(あるいは永遠にさえ)感じられたが、それは全てが新鮮だったからだろうか。
病室にはベッドが六台並び、隣には恐らく難病を抱えていたのであろう、年上の少年が横たわっていた。ぼくは彼と話をした記憶がないけど、どうやらぼくの母親が与えてくれた玩具を少年が横取りしたことがあったようだ。
ぼくは何も言わずにされるままになっていたらしい。その時のぼくにはまだ物心というものがしっかりと出来上がっていなかったんだ。
言い換えれば、周囲の状況を大人が考えるみたいに把握できていなかった。病室の中はずっと霞がかかったようにぼやけていたし、周りの人間が何を考えているかなんて見当もつかなかった。
どうやら聡い子どもというわけではなかったようだね。
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それにしても、ずっと思い出そうとしているんだけど思い出せないことがあるんだ。
つまり、ぼくは面会以外の時間をベッドの上でどうやって過ごしていたんだろうか?具体的なことは何一つ思い出すことができない。
ただ周囲の環境に耳をそばだてていたのではないのだろうか?なんて健気な小さき人!