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ぼくが生まれたのは今から三十年以上も前のことになる。日本という国の(機能的な意味ではなく地理的な意味で)ど真ん中に生まれた。最寄りの湖がちょうど大陸のへそのように位置しているから、やはりど真ん中なのだと思う。
ちゃんと地球上に生れ落ちることができて内心ほっとしたのを覚えている。
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ぼくは幼少期からあるいは少し敏感過ぎる子どもだったのかもしれない。人の目を気にするあまり上手くしゃべることが出来なかったし、友達もなかなか出来なかった。
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子どものころの印象に残っている出来事と言えば、ぼくは喘息持ちだったんだ。こんな時のために母子手帳を母親からくすねてきておいた。確認すると二歳の時からすでに喘息の症状が見られたらしい。
医者には成長することで改善するだろうと言われていたようだが、母親にとっては悩みの種の一つになっていただろう。当然それはぼくの悩みの種でもあった。
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喘息の苦しさをどうやって表現してみようか。あれは言ってみれば常にサウナでスチームを吸い込んでいるような息苦しさが続く、子どもの自分にはゆるやかな拷問とでも言えるものだった。
もちろんずっとその症状が続くわけじゃない。だいたいは夜になると喘息の症状が出始める。そしてぼくの両親は寝る事ができずにぼくの面倒を看るはめになるってわけだ。
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辺りは真っ暗。発作が出た夜にはまだ本当に小さなぼくを助手席に乗せて母親(もしくは父親)はあてもなく車を走らせてくれた。ぼくは毛布に包まれながら車の振動を感じていた。あれは民間療法的な話になるのだろうけど、それがなぜだか喘息にぴったり効果的だったわけだ。
終わることのない道のりは、ぼくが眠りに就くことでいつの間にか終止符を打たれていた。
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また、ある時に(おそらく保育園児だったのではないだろうか?)ぼくは母親の隣に敷かれた座布団の上に正座していた。来客と母親はすっかり話込んでいて、ぼくは良い子を演じるためには行儀よく座っているべきだと思っていたんだ。だから喘息の発作が現れても何も言わずにただじっと座り続けていた。
なぜあの時ぼくは何も言わなかったんだろうか?すぐにでもSOSを求めるべきだったのだけど、おそらくただ遠慮したのだ。なんて健気な子どもなんだろうとぼくは思う。
その後、母親は呼吸困難に陥ったぼくを見て愕然としていた。大事には至らなかったけど、その後こっぴどく叱られたよ。
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ぼくは散々、ぼくの病気のせいで母親に迷惑をかけていたから、せめて来客があった時ぐらいは面倒を起こしたくなかったんだろうな。
今まさに呼吸が止まりそうだ!なんてことを打ち明けたら、母親も来客もびっくりするだろうなんて考えていたんだから。
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喘息の症状が重かったせいもあって、病気がちな子どもとして周囲から認識されるようになった。
ぼく自身はといえば、病気がちな子どもにありがちな、大人の目を気にする子どもに育っていた。なんでこんなに生きているのは面倒なのかと漠然と思っていたように思う。
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世界観の話。幼少期に起こった出来事はその人間がこの世界をどうやって捉えるのか、ということに強く影響しているとぼくは思っている。
然るに幼少期からぼくはこの世界について(あるいはぼくの身の回りの世界について)それは決して病気のせいだけではないのだけれど、あまり良い印象を抱いていなかったということを君に伝えておきたい。