02
女のような腰まである長い髪を揺らしながら、男は早足でクラン本部基地の廊下を進んでいた。上階級の階層である事を示す絨毯が、足音を吸収しているからか、はたまた男は最初から足音を立てていないのか、辺りは静寂だった。
一際重厚な扉の前に立ち、ノックをする。返答を得て、扉の向こうへと足を踏み入れた。
部屋に入り、まず目に入るのは前方の壁にかけられた絵画。炎の海の中、様々な人が苦悶の表情を浮かべている。そして、その絵画に重なるように一つの剣が固定されている。何の変哲もない剣だが、このクランの誓いが表れている。
そして、視線を下に逸らせば天蓋が三つ。それぞれの元に人影。人影は若干ぼやけており、体格などがわからないようになっている。
彼らは三元帥。このクランを率いる最高責任者たちである。三人による公平な判断を、とは表向きで実は三人のうちの一人が本当の支配者なのではないかと噂されているが、真相は定かでは無い。
天蓋は、三人がそれぞれどの天蓋にいるか分からなくする為だ。過激な行動に出る者が多いせいでクランは敵が多い。
「突然呼び立ててごめんなさいね」
「先日の遠征の疲れはとれたか?」
「はい」
女性の声と、男性の声。三元帥の一人は女性である。声がこだまし、何処から発せられているのかハッキリしないのも、防衛の一つだ。
「で、だ。その先の遠征でお前が拾ってきたものについてだが」
気のせいかと思うほど一瞬、男の目が細まった。
「知っての通り、今は情報を搾り出すためにスレジートに任せている。しかしな、問題が発生した」
淡々とした声色に呆れが交じる。どこからかため息も聞こえた。
「どうも壊したらしくてな。壊れた玩具は要らないと言ってスレジートが仕事を放棄しやがった」
スレジートはクランで唯一の拷問官である。彼には欠点があり、それは時折やり過ぎてしまうことだ。結果、死ぬ事が許されない中で死んだ方がマシだと思える辛苦を味わい続けた者達は廃人となる。
「情報を搾り取った後なら良かったんだが、どうも何も聞き出せていないらしい」
「すぐに壊れた癖に頑固だった。調子を狂わされるからあんなのは嫌いだ、って言ってわ。とっても興味深いけれど、もう壊れてしまったのよねぇ」
拷問官が調子を狂わされるとはそれなりの問題だ。それほどのものが、あの女にはあったのだろうか。否、こうなることを自分はわかっていたはずだ。
「カルデンツァ。お前、そいつを引き継げ。やり方はこちらが指示するが、お前の力なら口を割らずともある程度は搾れるだろう」
「了解しました」
「要件は以上だ。下がれ」
軽く頭を下げて、男は退室する。扉が閉まると同時に女の笑い声が響いた。
「ふふ。あの玩具、どうなるかしらね」
「あー、女だったか?なら痛み以外のやり方もあるよな」
「けど、彼にそんな器用な真似出来るかしら」
「命令には素直に従う奴だから、やってみないことにはわからんな」
壊れてしまっていることなど気にも留めていない元帥たちによる会話が続く。
「能力者でも無いくせに一人であいつの部隊を相手取ったんだったか。ギルドも捨て駒を使うことを覚えたのかね」
「可愛そうな人ね。ふふふ」
「スレジートが調子を狂わされた奴に、カルデンツァが何らかの影響を受けないとは言いきれん。監視を付けたほうがいいかもしれん」
「そうかぁ?あいつなら大丈夫だとは思うけどなぁ」
三元帥からカルデンツァへの信頼は厚いものである。それだけ、カルデンツァは義に厚い男だ。礼も欠かぬ者であるが、それ故に焔緋による足止めをまんまとくらい、結果的に撤退することとなった。元よりちょっかいを出すつもりで出した部隊だ。三元帥もあまり気にしていない。
そう、違和感の無いいつも通りのカルデンツァであった。今はまだ、この時は。
*
スレジートの部下に案内され、カルデンツァは地下の聴取施設に足を踏み入れていた。複数の扉が並ぶだけの無機質な廊下を進む。扉の向こうでは血なまぐさい行為が繰り返されているのだろうが、廊下は嫌味たらしくそんな気配は無い。
「こちらです」
部下が鉄扉の鍵を開け、促されるままカルデンツァは部屋に入る。チャリ、と鎖が擦れる音がした。
格子窓から差し込む日光だけが頼りの薄暗い室内。服としての機能は一切失っている布をぶら下げ、体のあちこちにある裂傷や打撲痕を晒し、ざんばらな髪が顔を覆い隠している。
「くっ、ひひひ。あははははは!」
女は唐突に狂ったように笑い出した。後ろに控えていた部下が舌打ちをしたのが聞こえた。なるほど、壊れたと言っていたがこういうことか。
冷静に状況を分析していると、不意にピタリと笑い声が止まる。俯いていた顔が上がり、女が鬼のような形相でカルデンツァを睨み付けた。
「うぐぅあああああああああ!がぁああああああああ!」
獣のような雄叫びを上げ、今にも噛み付かんと暴れるが、手枷の鎖に阻まれてカルデンツァには届かない。カルデンツァは女を見つめたまま部下に問いかけた。
「いつもこうなのか」
「はい。何を言っても何をしてもこの調子です」
カルデンツァは女の瞳を覗き込む。青い瞳は濁った光を宿し焦点が定まっていない。目の前にいるカルデンツァの事など見えていないようだ。
女の首を掴まえて顔を近付ける。随分と細い。あまり力を入れ過ぎると折れそうだ。
「おい。俺を見ろ」
青い瞳がゆらゆらと揺れ、やがてカルデンツァの銀色の瞳を捕らえる。緩慢に見開かれたと思えば、それは苛烈な炎を宿した。
「……… 」
無言でただ睨みつける女を睨み返し、掴んでいた首を離す。そして、おもむろに部屋の壁に鎖で繋がっている枷を取り外し始めた。
当然のように枷が外れた一瞬に抵抗した女を軽々と押さえ込み、新たな枷を付ける。
「お前はもう下がっていい」
スレジートの部下に声をかけ、引きずるように女を連れて行く。行先は別の尋問部屋だ。
暴れる女をそう遠くない目的の部屋に放り込む。部屋には香炉と一つの簡素なベッドが置かれていた。
女は鈍っている思考で察する。これからまた地獄が始まるのだ。
固いベッドに放り投げられ、女は銀色の瞳に焼かれた心を再び闇へと葬り去った。
スレジート
趣味と実益を兼ねて拷問官をやっている男。頑固に口を割らないので楽しめると思って本気で拷問したら焔緋がすぐ壊れちゃったので拗ねてる。
治癒系の能力者だが、自分で傷つけた者しか治せない。それを利用して骨を折ったり爪を剥いだりしても治してまた折ったり剥いだりを繰り返して拷問している。
カルデンツァの能力については敢えて書かないでおきます。お楽しみに