来年は海じゃなくて、蛍見に行かないか?
「俺さあ、余命あと1年なんだわ」
唐突に吐き出されたその言葉に対し、俺は冷静に対処する。
「そうか」
どうせまた安藤のでまかせだ。真に受ける必要はない。
「おいおい、一年だぜ? もっと関心持てよなあ」
安藤は呆れたように肩を竦めて、「これだから最近のワカモノは。ゆとりか、ゆとってんのか? いいや、むしろお前は悟ってる」なんて訳のわからない言葉を口走る。
「お前も若者だろう。俺と同い年なんだから」
「それもそうだ、いいねえ正論!」
何がおかしいのかケタケタ笑う安藤を尻目に、俺はどうしてこんなやつと一緒にいるのだろう、と首をひねるのだ。
首を捻って、ひねって、捻りまくった末の結論はいつでも『たまたま』に落ち着く。
俺と安藤とは大学で会った。
たまたま講義を受ける席が隣だった。
たまたま帰る電車が同じ方向だった。
たまたま入ったお店に安藤がいた。
たまたまラスト一冊の本を買ったら「それ、俺も狙ってたんだぞ!」と言い掛かりをつけてきた。それが安藤だ。いや、もう俺買った後だから。
「ナニ、お前俺のストーカーなの?」と安藤。
「そんな訳ないだろ。そっちこそ、俺の行く先々に現れてなんの真似だ」と俺。
「だよなあ。って事は、俺らめちゃくちゃ気があうって事だ。ハハッ、笑えるな!」
確かに、気は合うかもしれない。
「そうだな」
安藤が何が面白くて笑ってるのかはわからなかったが、まあこいつにとっては面白いんだろうな、と納得した。
十人十色、人それぞれだ。個性があって当然だろう。
今となっては、『気があう』の所に断固として拒絶の意思を見せておくべきだったと後悔している。
「ところでさあ、俺は今カウンセラー目指してんだよ」
つい先ほど『余命一年』とほざいた口で、よくもまあ将来の事をいけしゃあしゃあと語れるものだ。ずっと先まで生きる気満々じゃないか。
「臨床心理士の事か。お前が?」
コイツに勤まるとは到底思えない。
臨床心理士はカウンセリングを行い、精神状態が不安定な子を対話で救済する人のことだ。その過程でカウンセラー本人が病んでしまう事も少なくないらしい。
そう考えるとあいつは、図太さ人類ナンバーワンだから、鬱病とか無縁だし『適職』と言えるかもしれない。が、こいつと話して救われる奴なんているのだろうか。むしろストレス抱える奴の方が多いと思う。
「おう。立派なカウンセラーになってやるよ。俺がカウンセラーになったら、お前来いよ」
そうしたら俺はまず病まなきゃいけないじゃああないか。
「いやだよ。行くとしても、お前の所には行かない」
「なんで?」
「なんとなく」
お前が信用ならないから、とは言わない優しい男だ、俺は。
【春】
テレビには桜が咲き誇ったつるまい公園の映像と、楽しそうな人々の様子が流されている。一週間程前から『開花前線』なるものが明示され、俺の友達も「部活仲間と花見に行く」とはしゃいでいた。「一年居ないから俺ら二年が花見の場所取りなんだよね、最悪だよ」とも。
その友人は、テレビの中で楽しくピースサインをしていた。無事場所は取れたようだ。良かったな。
「花見とか、無意味だと思わねえ?」
そんなニュースを見ていた時、安藤はそう言った。
「いいだろ、花見。風流じゃないか」
伝統じゃないか。満開の桜が一面に広がり、淡い桃色が降ってくる。毎年恒例の綺麗な景色。俺も小さい頃は桜の花びらを集めては家に持ち込んで、母親によく叱られたものだ。
「ちげえよ、そう言う事じゃない」
何が違うのか、と俺はテレビから目を離し、安藤を見る。説明をしろ。
「花見なんてのは、一生に一度きりでいいんだ。そうじゃなかったら有難味とか感動する心を忘れちまう」
「そうか? そうでもないと思うけどな。寧ろ歳を重ねるごとに動かなくなってく心を、毎年春に解すんだ。感動って、そういうものだろ」
俺はそう言ったが、安藤は俺の意見など聞いていないようで「さらに」と付け加えた。
「花を見る為だけに朝早く起きて場所を取らなきゃいけない」
まあ、それはそうだ。
「桜だろ? 虫だってわんさかいる」
外だからな、仕方ない。
「加えてあの人混み。俺は何よりあれが堪んないね。誰が好き好んであんな劣悪な状況に身を置くのか」
それは完全にお前の好みの問題だな。
俺は都会暮らしが長いせいか、対して気にならない。そりゃ空いてるに越したことはないけれど。
「その劣悪な状況に耐えてでも、桜を見たいんだろ」
「うーん、わかんねえなあ」
しきりに首をひねる安藤。こいつは毎年花見のニュースが流れる度に、そんなことを思っていたのだろうか。なんて面倒な生き方をしてるんだろう。
「来年、一緒に花見に行くか」
つるまい公園ほど賑わった所に行くと安藤がうるさそうだから、他の、桜の木がある穴場へ行こう。俺たち以外誰もいないような、そんな場所。
「ん? 俺の話を聞いていたのかな、出口くん。俺、花見は嫌だって言ってたんだけど」
訳がわからない、といった顔でこっちを見る安藤。安藤がそんな顔をするのは珍しいな。いつもその表情は俺の担当なのに。
「お前の花見嫌いを直しに行こう。一生に一度だったら、きっと後悔するぞ。『もっとたくさん見ておけば良かった』って」
「ははっぜってーしねえ。お前、そんな花見好きなの?」
「いや、別にそう言うことではないけれど」
ただ、なんかお前が寂しそうだったから。
そう言えば安藤は絶対否定するし、俺も言おうとしてなんか違うな、と思った為、口には出なかった。
「……ま、いいぜ。気が向いたら行ってやるよ」
はあー、やれやれ出口くんは。そんな雰囲気を滲ませてくる。鬱陶しい。
「来年な」
「ああ、来年」
と言って俺は気づく。
俺、来年もコイツと連んでるつもりなのか。
嫌だな、と思うが、仕方ないな、とも思う。多分、こいつに振り回され続ける大学生活も、そんなに悪くないはず。
「その為には単位取得頑張れよ。留年したら一緒に行かないからな」
「努力するわ」
「そうしてくれ、頼むから」
頼むから、単位テスト三週間前に「俺イタリア語覚えるわ」とか言い出さないでくれ。去年のアレは心臓に悪い。そしてきっちり三週間でイタリア語マスターしてくる辺りに、本気度がうかがえる。教授に「お前は何のテストを受けるつもりなんだ?」とつっこまれていたのは伝説になっても良いんじゃないだろうか。
「そういえば、お前イタリア語まだ話せるのか?」
「グーテンターク!」
「それドイツ語な」
「いいんだよ。俺がイタリア語って言ったらイタリア語なの」
三週間で覚えたイタリア語は、忘れてしまったらしい。もしくは、あの時覚えたのはイタリア語ではなく、ドイツ語だったのかもしれない。
どうでも良すぎて聞く気にもなれないので、真相は分からずじまいだが。
【夏】
「海に行こう」と安藤。
「いやだ」俺は見向きもしないで断る。
「よしっ、決まりだな。行くぞ!」
だが安藤は俺の意見など求めていない。おい、聞けよ。
「嫌って言ったんだが」
「なんで嫌なんだよ」
「焼けるから」
「女子か!」
自分でもそう思うが、仕方ないだろう。
俺は焼けると、後で赤くなって痛いんだ。この季節は必要最低限しか出歩きたくない。海なんて以ての外だ。
「日焼け止め塗れば良いだろ? 頼むよ、俺海行きたいんだ」
海で楽しく泳ぎたい、か、海でナンパして楽しみたい、のどちらかだろうと見当をつける。
「お前、人混み嫌いって言ってなかったか?」
「あ? 誰だそんなこと言った奴。人が沢山いるから楽しいんだろうが。人がいない海なんざ歩けない盲導犬並に無意味だろ」
お前が春に、人混み嫌いって言ったんだろうが。どれだけ適当に生きているのかがわかる。
「歩けない盲導犬か。また分かりにくい例えだな」
きっと歩けない盲導犬も、吠えるとかボディタッチとかで役に立つ筈だ。少なくとも安藤よりは。
「そんな事はどうでもいいんだ。海行くぞ海。ほら、三十分で支度しな!」
その言葉に、ああ金曜ロードショーか、と察してしまう。もっとも彼女は三十分も待ってくれない。
そう考えると、安藤の待ち時間三十分はずいぶん良心的なのかもしれない。
「今からか?」
「おうとも。思い立ったが吉日、って言葉知らねーのかよ」
「行き当たりばったりって言葉知ってるか?」
そんなことを言いながらも、流されてしまう俺も俺だな。重い腰を上げて、海へ行く用意をする。
「お金は?」
「持った」
「俺の水着どこにある?」
「知らねーよ。知ってたら怖いだろ」
「正直引くな。二度とウチへ上げない」
「だろ?」
俺は高校二年の修学旅行の為に買った海パンをなんとか探し当て、その間安藤は勝手にチンするご飯を使っておにぎりを作っていた。
「よし、三十分だ、行くぞ!」
「はいはい」
正直何か忘れ物をしている気もするが、まあ、何かあれば現地で買えばいいかと思い、お金は少し多めに持って行く。
「あれ、荷物少なくね? 大丈夫なん?」
「大丈夫、のはずだ。何かあれば向こうで買えばいいだろ」
俺は昔から心配性で、出かけるとなればとにかく沢山物を詰めないと心配だった。
もしかするとこれを使うかもしれない、これがなかったら困るかも、とアレコレ思案した結果、救急箱丸ごと持って行くこともあった。今思えば重いだけの無駄な荷物を、あの時は持ち運んでいたのだ。役に立った事など殆ど無かったというのに。
はて、いつ心配性が治ったのだろうか。成長とともに治るものなのか、それとも……。
「この金持ち思考め。貧乏大学生を見習って沢山荷物持ってけよ」
そう言われて安藤を見るが、大して荷物を持っているようには見えない。
「お前こそトートバッグ一個じゃないか」
ああ、そうだ、安藤の影響を受けてるんだ。安藤が外へ行くのに荷物なんて要らないと言い張るものだから。
俺が安藤っぽくなってきてるって事だ。マジで気を付けよう、こいつみたいにはなりたくない。
「二個だ、あほ。お前の家の保冷バックも持ってるって」
「何勝手に持ち出してんだよ」
「いいって事で」
安藤の言う通り、別にいいけれど。
「お姉さん、俺らと遊ばない?」
「いえ、結構です。友人といるので」
安藤はそう言って去っていく女性をみて、首をかしげる。
「おかしいな、俺の見立てでは絶対成功するはずだったんだが」
「怪しいナンパ男の声かけに乗るのは、若くてノリが軽い女の子だけだろ」
今まで安藤が声をかけているのは全てちょっとお堅い感じのお姉さんだ。
「そういう奴らは俺の趣味じゃない。清純派が好みなんだ」
「意外だ。小生意気なギャルとか好きだと思ってた」
「ビデオはそういうのがいいけどな」
「そうか」
こんな奴に声を掛けられる女の子が可哀想だ。安藤に誘われて俺も付き添う事になったのだが、正直女の子の味方をしたい気分である。「こいつ、不審者です」と通報してやってもいい。
「ま、次は絶対成功するって、見てな」
安藤の宣言も虚しく、この後無残にも八連敗を記録した後、諦めて海に入った。最初から海に入っておけば良かったものを。
【秋】
今俺たちは焼肉屋にいる。
俺は大学生で、バイトで塾の先生をやっているとはいえ、一人暮らしをしているとお金なんて無いのが普通だ。焼肉なんて豪華なもの、食べる余裕はない。これが寮生活なら望みはあったかもしれないが、残念ながら、家が近所だからという理由で寮には入れなかった。勿論、申請は出したが断られたのだ。世の中世知辛い。
その点、安藤は寮生活だ。だが、安藤は色んなバイトを転々としてるらしい。この前寿司屋で働いていると言ったのに、いつの間にかデパートに勤めている。どれも安藤の性に合わないだろうな、と俺はこっそり納得している。だから、安藤も金持ちな訳ではない。なんせ最長バイト歴3ヶ月という男だ。まともな人間じゃないから雇われない。
それなのに俺らは焼肉屋にいる。しかも今回は安藤の奢りらしい。どういう風の吹き回しなのか。俺は気が気じゃない。
後から何かもっと高いもの請求されるのではないか。もしくは何か俺に対してやらかしてしまった事に対する前もっての謝罪のつもりか。いや、こいつの事だ。俺が払っておくと言っておきながら俺に払わせるつもりなのかもしれない。まあ常識の範囲内で収まるこんなものならまだ許そう、後から請求すればいい話だ。だが、もし食い逃げしようとしてるなら俺は全力で止める。流石に友人を犯罪者にしたくはないし、俺も食い逃げ犯で捕まる可能性があるからだ。なるほど、ついに元陸上部の底力を見せる時がきたのだ。県大会に行った時の努力は無駄じゃ無かったらしい。
「やっぱうまいなあ、焼肉。常食してえわ」
「うまいな。けど、常食はやめとけ。健康に悪いぞ」
「流石の俺も豚になるのは嫌だから、常食はしない。けど、月一ぐらいで食べたくねえ?」
「苦学生にそんな余裕はない」
「そうなんだよなあ。だからやっぱり俺、超運よかったんだよ」
「何かあったのか?」
「競馬で予想がバッチリ当たってさあ。俺は百円だけだよ、賭けたの。オッズが百倍だったから、百円ぐらいならって思うじゃん? そしたらなんとなんとミラクル奇跡が起こって大逆転! 俺の懐には一万円が転がり込んだのです」
「なんで焼肉?」
「折角ならうまいもん食いたくねえ?」
「まあ」
そりゃそうだけど、他に使い道あるだろ。
「今日は奢りだからな。俺の懐の広さに感激したまえ」
「自分のために使えばいいのに」
「バカ言え。賭博で稼いだお金は、ちゃっちゃとくだらないことに使うに限るんだよ」
「お金を稼ぐ為の賭博なのにか?」
「賭博なんてろくなもんじゃない。どう足掻いたって店側に利益が出る」
「そうだな。それが商売ってものだ」
「ろくでもない方法で稼いだお金は、ろくでもないことに使う前に、しょうもないことに使い切っちゃうべきなんだよ」
「それで、焼肉」
「そういう事だ」
「ばかなのか」
「馬鹿げてるだろ?」
安藤は心底楽しそうに笑った。
俺は乳酸菌が入った白いジュースを飲んだ後、安藤にこう言った。
「ろくでもないって言うぐらいなら、競馬やらなきゃいいのに」
やれやれ、わかってねえなあ、と安藤は呆れた笑いを浮かべた。
「なんでやるんだ?」
「ロマンだよ、男の」
男のロマンってなんだよ。男の俺にすら分からない世界だな、と考えるのをやめた。
焼肉美味しい。
【冬】
冬になるとめっきり安藤の姿を見なくなった。安藤がいなくなると俺の生活は静穏そのもので、一人粛々と日々の積み重ねを繰り返すのみとなった。ふむ、これもこれで悪くない。というかこれが普通だ。安藤がいるとどうしても騒がしくなるからな。
夏はあんなにはしゃいでいたのに、冬になると大人しくなるなんて、よっぽど寒いのが苦手なんだなと思った。が、よくよく考えてみると昨年はスキーもスケートもスノボーも全部やり尽くしていた。誘われた俺も全てやった。中々アクティブな冬休みだったと思う。塾のバイト休むのにめちゃくちゃ言い訳したけど、後悔はない。遊びに行った後はちょっとお高いお土産買ってったからチャラでお願いしたいところだ。
いつも安藤が俺の家に遊びにきていたが、俺は安藤の部屋に行ったことがない。寮生だし、二人部屋を俺が行って更に狭くするのも気が引けた。というのもあるが、最大の理由は俺が行く前にいつの間にか安藤がウチにいることだ。
「お前、俺のスケジュール把握してるのか?」
「そんな訳ないだろ、たまたまだよ、たまたま」
「そんな訳ないだろ。どういう偶然だ」
「気があうなぁ、俺ら」
「むしろ気持ち悪いぞ」
「ははっ、冗談だって。お前の手帳と、そこのカレンダー見て来てるだけだ」
そんな話をした記憶がふと蘇る。
安藤の部屋番号は知っているので、久しぶりに声をかけに行ってやろうと思う。なんだかんだ友人なのだ。風邪でも引いてるのかもしれない。いや、バカは風邪ひかないって言うし、ただ寮でダラダラしてるだけかもな。
自室を出ると、白いものが降っている。
あ、雪だ、と口を動かしたが、声には出なかった。
俺の知ってる限り、初雪だ。それも積もりそうな感じで降っている。積もったら雪合戦でもするか。いやいや、子供っぽいだろう、安藤に侵食されてるぞ、と自分を戒める。せめて雪ウサギぐらいにしておこう。
遊ぶ想像の中に安藤がいる事に気付く。やはり、こんな子供っぽい事をしようと思うのは、安藤のせいだ。
小学生の頃は雪が積もると楽しかった。
中学はちょっと大人ぶって雪なんて、と口にしてたが、実際降ると超楽しかった。
高校の時は雪で電車が止まるのが純粋に嬉しかった。積もった雪が凍って、滑るようになると滅べと思った。
今は、もうあまり感動しない。心が動かなくなるって本当だな、と冷めた心を叱咤する。遊ぶときっと楽しいぞ、と。
寮に着く。入り口で雪を払い、安藤の部屋をノックする。
「はい? って、出口じゃん」
「入口、安藤いるか」
入口とは授業が一緒で、俺が出口なこともあって絡まれた。入口と出口が同じクラスという偶然を運命と言い換えて、皆に揶揄われたし、入口も乗っかった為収集がつかなくなった。今ではなんだかんだ良き友人だ。安藤と違って、社交的で明るい、いい奴だし。
「出口のとこじゃないの? 最近ずっと居ないから、出口のとこかと思ってた」
ほら、安藤って出口の家に入り浸ってるし、と笑う。嫌味に聞こえないから不思議だ。
「いや、来てないが」
「じゃあどこ行ったんだろうな? 電話した?」
「してない」
「いやまず電話でしょ。そういうとこ、出口は抜けてるよなあ」
あははと笑った後、待ってて俺が電話してみる、と入口は安藤に電話をかけてくれたが、俺にはある確信があった。多分、安藤は電話には出ない。
どこに行ったのだろう、とあいつの行動範囲を思い返す。
あいつ今、なんのバイトやってたっけ。
「あれ、ごめん、繋がらないや。安藤、どこ行ってるんだろう」
「そうか、ありがとう。見つかったら連絡する」
「俺も探そうか?」
入口は心配そうな顔をして尋ねた。安藤なんか放っておけば、二人部屋が一人部屋になって丁度良い広さになるというのに、本当に入口はいい奴だ。
「いや、いい。大丈夫だ」
そうだ、焼肉行った後に「俺もうバイトやらねえわ」と宣言してた。その数日後、給料日の直後に安藤は「バイトを初めて自分から辞めた」と言っていた。それまでは辞めさせられたんだ、とも言っていたが、それは本当かどうか怪しい。どうせ気にくわない店員とか客とか殴って店長に叱られて、「こんな店辞めてやる!」って辞めてるに違いない。ほらな、自分から辞めてるじゃないか。
一度、安藤が酔っ払ってた時がある。その時に「俺は父親が嫌いだ。いつも澄ました顔して、冷静気取って偉そうにふんぞり返ってる癖に、女子高生手篭めにしてんの。許せねえ」と言っていた。なんなら「チャラそうな顔してふざけた奴がそういうのをしてるなら許せる。仕方ない。だがな、偉そうなフリして女子を買って、見つかっても悪びれず『商売だろ』なんて言い切る奴を、俺は許せねえんだ」とも。俺はどんな奴でも、そういう行為はいけないと思う。
「余命一年なんだよ、俺」と言われたこともある。その時は嘘だ、と決めつけて跳ね除けた。それ以降、そんな素振りを見せることもなかったので、すっかり忘れていた。まさか、それが本当だった、なんて事ないよな。
嫌な予感に首を振るが、モヤモヤは消えてくれない。もし、もしそうだとしたら、安藤は今、病院にいる?
いやいや、と自分の予想を自分で否定する。病院なんて安藤と最も無縁な場所だろう。そもそも余命一年の重病なら、今年は丸ごと病院に缶詰だろう。海なんて行っちゃダメだ。
そうなるともう安藤の行き先に見当なんかつかなくて、結局俺は自分の家に帰るしかない。
最後にもう一回、と思って安藤に電話する。
『現在、留守にしております。ピー、という発信音の後にお話しください』
ピー、と独特の機械音が流れる。
電話したは良いものの、何を話せば良いのかわからなくて、最初五秒ほど黙り込んでしまった。
今どこにいる、なんて聞いたって絶対返事は返ってこない。自信がある。賭けてもいい。それに電話で訊いたらはぐらかされるのがオチだ。あいつは口が良く回る。口から生まれてきたような男だからな。
じゃあ俺は何の為に電話をかけたんだ。
「……雪、降ってるぞ。初雪だ。積もったら雪合戦やろう」
違うだろ、こんな事が言いたかったんじゃない。こんな事言ってると、出口子供っぽいなあ! と安藤に笑われてしまう。
「そうだ、約束、忘れてないだろうな。来年は花見に行くぞ」
俺も今の今まで忘れていた約束を引っ張り出す。いやいや、こんな事言いたいんじゃない。もっと他のことだ。
「臨床心理士の勉強はちゃんとしてるか? なるならちゃんとしたカウンセラーになってくれよ」
これも、違う気がする。ちゃんとしたカウンセラーになって欲しいのは事実だが、今言いたい事じゃない。結局何が言いたいかわからなくなって、また黙ってしまう。
「……」
俺は何の為に電話をかけたんだろう。
「気が向いたら、折り返してくれ。心配してる」
入口も、俺も。
それ以上続けるのは惰性だと思い、電話を切る。少しの間、ぼーっとする。雪が顔に当たって冷たい。結局、俺は何を話したかったのか。
思い返してみても、テンパっていたようで何を話していたのか思い出せない。変なことを口走ってなければ良いのだが、あまり期待はできなさそうだ。
【春】
結局冬の間、安藤の姿を見ることはなかった。折り返しの電話もかかってこないし、学校が始まったというのに授業も欠席してる。
いないのか、と残念に思う俺と、いないのか、と冷静に受け止める俺がいる。もしかして、本当に死んだのか。殺しても死ななさそうな奴なのに。
テレビでは今年も開花前線のニュースが流れていて、少しずつ桜が蕾を綻ばせ始めているのがわかる。入口の部活は後輩が入ってきたようで、「脱・場所取り」と喜んでいた。入口によると安藤はまだ帰ってきてないらしい。荷物はそのまま置きっ放しだから、そのうち帰ってくるんじゃないかな、と言っていたが、安藤は外出するのに何も持っていかない奴だ。荷物は置きっ放しに決まってる。
何かの事件に巻き込まれたなら警察に連絡しておくべきだが、どうにも気が乗らない。殺人犯に遭っても撃退してそうだし、人に襲われてるならそれは因果応報というか、あいつが買った恨みのツケが回ってきてるだけだと思う。そうだとしたら、警察が介入するより当人同士で解決した方がいい。
というか何故、俺は安藤の心配をしているのか。殺そうとしても死なない奴だ、無事に決まってる。もし仮に死んでたとしても、その方が世の為だ。臨床心理士になる前に死んで良かったじゃないか。未来ある若者や希望の持てない大人の心を折る前に、あいつの暴走が止まったのだ。祝杯をあげてもいいだろう。
というか、死んでたらきっとニュースになる。その方が発見が早まっていいのでは? なんてバカな考えも浮かんでくる。
安藤に関して言えば、心配することが馬鹿げてるのだ。だから、心配いらない。
ガチャ、とドアノブを回して家に帰る。明日はバイトも大学も休みだ。ゆっくり寝よう。起きてからレポートはやればいいさ。
俺はゆっくり目を閉じた。安藤の事なんてかけらも考えてない。どうせそのうちひょっこり現れるさ。
・
翌朝、けたたましいチャイムの音で目が覚める。基本どんな目覚ましのアラームでも目を覚まさない俺だが、今回ばかりは流石にひどかった。尋常じゃない鳴り方してた。
だれだこんな時間に。朝の六時だぞ、常識知らずめ。近所迷惑だろうが。
流石に相手がどんな常識知らずであろうとパジャマで出るのは気がひけるので、パジャマを隠す為に上着を羽織る。
その間もチャイムは鳴り止まない。うるさいな、今行くって。
「はい、なん」ですか、と言い切る前に、目の前の人物に言葉が止まった。
そいつはニヤリと笑って俺に言う。
「三十秒で支度しな。花見に行くんだろ?」
ああ金曜ロードショー。今回は良心的じゃないようだ。
俺の寝ぼけた頭は何も考えずに、部屋へ戻り、身支度を済ませる。この時点でゆうに三十秒過ぎていたが、催促の声が飛んでこなかったのをいい事に、朝ごはんの支度をする。朝はパンだ。
「安藤、食パン何枚?」
少し大きめの声で言う。
「二」
ずっと玄関に立っていたらしい安藤が、慣れた様子で靴を脱いで家に上がり込んでくる気配を感じる。
「よく朝からそんなに食べられるな」
俺は素直に感心しながら、食パンを焼いてやる。ジャムがあれば良かったんだが、買ってなかったので今日はバターだけだ。
「お前が少食なんだよ」
俺の家に姿を現した安藤は、笑ってそう言った。そういえば、安藤と朝御飯を共にするのは初めてだ。
「ったく、三十秒で支度しろっつったのに」
「朝飯食べずに行くつもりか?」
「俺は食ってきた」
「なのに二枚も食べるつもりか」
相変わらず、わからない奴だ。
それにしてもあまりに馴染み過ぎていて、今まで安藤がいなかったのが嘘のようだ。
食べ終わって諸々の支度が終わった時点で時計の針は七時を指していた。
「よし、行くぞ。つるまい公園」
「人混みは嫌いなんじゃなかったか?」
それに、多分つるまい公園はもう人でいっぱいだぞ。
「他に花見スポットってあるのか?」
「ある。連れてくから、俺の車乗れ」
去年、調べたのだ。あんな約束をしてしまったから。そうか、だから安藤は花見に行こうと言ったのか。なんだかんだ義理堅い奴。だから憎めないんだ。
「なあ安藤。冬の間、どこ行ってたんだ」
そう言いつつも、きっと『色々』とか言って誤魔化されるんだろうな、と予想していた。答えてくれたら嬉しいが、聞いてみたのは形式上のものに過ぎなかった。
「ちょっと過去を清算しに。クソ親父ぶん殴ってきた」
だから、そうやって答えられて少し驚いた。
「いいのか、それは」
暴力はよくない。
「いいんだよ、これで」
だが、そう言った安藤の顔が妙に晴れやかで満足気だったので、俺もまあいいか、という気分になってしまった。人を殴るのはよくない事だが、それで安藤がスッキリするならいいんじゃないか。見た事ない安藤のお父さん、すみません。けど、安藤は手は出やすいが、理由なく暴力振るうような奴じゃないのです。
「今年の冬は、雪合戦しような? 出口クン」
安藤はなんだか思わせぶりな口調で言う。
「ふはっなんだそれ、子供っぽいだろ」
俺は「さすが安藤、心も少年だ」と笑う。
「いや、お前が言ったんだからな!? ふざけんな、自分の発言に責任持てっての」
それをお前が言うのか。いつも適当なことばかり言ってるくせに。
「言ってない」
「絶対言った! なんなら今聞くか?」
ってことは、電話でそんなことを口走ったのか、俺は。
「聞かない。運転中だ、静かにしてくれ」
そう言って突っぱねると、安藤はふてくされながらも押し黙った。少し記憶を遡ると、言った記憶はないが、思った記憶ならあった。雪合戦をやろうと思い立って、けど流石に子供っぽいから、雪ウサギでも作ろうってなったのに結局作らなかった、そんな記憶。
けど、わざわざ言ってくるって事は安藤も雪合戦が楽しみって事か?
「やっぱり俺たち、似た者同士だな」
「そりゃあ気が合うから一緒にいるんだろ」
それもそうだ、と俺は肯く。
目的地の桜は鮮やかに咲き誇っていた。
人は少ない。小さな子供を連れた家族が一組と、年配の夫婦が二組。それに俺たちだ。
「やばい、すげえな。超綺麗だわ」
「だろ」
「もっと来とけば良かったな。来年は早く起きて場所取りしよう。つるまい公園の屋台とか食べ歩いてさ」
「来年も行くつもりか? 一生に一度じゃなくなるぞ」
ほらな、後悔するって言っただろ。
「馬鹿言うなって。これを一生に一度きりしか見れないなんてもったいないだろ」
その馬鹿言ってたのはお前なんだよ。
「そうだな」
俺は言葉を飲み込んだ。安藤はそんな俺の様子を見て、笑った。
「また来年、だな」俺は来年も安藤といなければならない事実に打ちひしがれる。だが、悪くない。
「おう、また来年」安藤は心底嬉しそうに頷いた。
冬の間、安藤が何をしていたのか、詳しいことは分からない。けど、今ここにいるからいいじゃないか。正直特に知りたいとも思えないしな。
俺は、今年は何をしようか、と想いを馳せた。俺の人生は、まだまだこれからだ。