妾、もう駄目かもしれん。
帰ったら清書します。今回はシリアスですが次回からはきっと……!
生まれる時代を間違えた。
妾は周囲にそう呟かれながら育った。前魔王であるお父様は世界を支配しようと画策し、後寸前の所で勇者によって滅ぼされた。
お父様は世界中の人間。いや、魔族以外の全ての種族を武力によって統一出来ると信じ、暴虐を持って壊していった。
そのやり方は、他者全てを拒絶するやり方だった。善はこちらにあると唱え、悪は向こう側だという決めつけ。
古来から人族と魔族は分かり合えなかったらしい。互いが互いを憎しみ、互いが互いを悪だと定めていた。だからこそ、その関係に正しきお父様に皆が付いて行った。
物心覚えた頃から、血生臭く仲間は疲弊して国は困窮していく姿を見ていた。そして、敵側も同じだという姿も見てしまっていた。植民地として奴隷に堕とされ、家畜以下として扱われる。その中には妾と変わらぬ年端の子供もいた。
だから妾は次代の魔王として、支配による統治に異を唱え続けた。そう、お父様の手段に反する形で。
お父様が死んでしまった事は良い事、ではない。他種族に対して、特に人族に対して弾圧的なだけであって、お父様は優しい方だった。正反対の事を叫び続ける妾に、その道を進むのなら前を向き続けなさい。と諭してくれたのだから。
けれど、妾は妾なりのやり方でやろうと思った。全ての種族と共和出来る世界を作ると。例えそれについてこれない者がいようと。
だが、だが。
それが、この結果だ。
「魔王様、お逃げ下さい。貴方様は魔族にとって必要な存在。生きて、もう一度魔王軍を立ち上げて下さい」
「このスクラダ、貴方様に忠誠を誓った身です。……いいえ、言い間違えました。ここにいる魔族皆が貴方様に付いていくと心の底から望んだ者達で御座います。ですからどうか、……生きて、下さい。私達が死んでも貴方様が生きて下されば、それだけで―――グゥッ!? 」
「貴方はッ!! ここで死んでいいようなお方ではありません!!! 」
「どうか私達が。……いえ、我らが幸せに暮らせる世界を」
腹心とも呼ぶべき家来、スクラダが密かに用意していたらしい隠し通路を走る。走る、走る、走る。
魔王軍は壊滅しかけていた。
否、魔族はほぼ絶滅までおいやられていた。他ならぬ、人族の手によって。
不意に暗闇を照らす月の光が見えてきた。
月光に誘われ外と思しき場所に出てみると、どうやら森の中に出たらしく木がさざめく音が聞こえる。
「……逃げれたのかの? 」
呟くと同時に嗚咽が漏れる。涙が零れる、悲しみに身が包まれる。
余裕が出来ると、いろいろな事が思い起こされる。
妾を逃がす代わりに残ったスクラダは生きているのだろうか。或いは、もう既に……。
「駄目じゃ……」
独りとはなんと心細い事なのだろうか。先ほどまでの喧騒が嘘かのように周りは静まり返っており、更にその事を際立てていた。
――妾の隣にはいつも、スクラダがいた。彼はお父様と親友であり、二代に渡って支えてくれていた存在でもあった。そして家族でもあった。
お父様と滅多に顔を合わせぬ妾にとっては、スクラダは二人目の父そのものだった。
『魔王様。みなが反対なさっても、私はそういう考えは素晴らしいと思いますよ』
魔族の、それもトップなのに人族と仲良くしようと率先する妾に、ついてくる魔族は少なかった。けれども、スクラダはついてきてくれた。
それだけではない。今魔王城で戦ってくれている魔族達も妾を信じて残っているのだ。
そう、残って戦ってくれているのだ。
「こんな所で、感傷に浸っている場合ではないの……」
妾はバチン! と両頬を叩いて喝を入れる。ヒリヒリと痛む頬が、うつつから目を覚まさせた。
「――魔王」
そんな妾に木陰から忍び寄る影が一つあった。心当たりは数え切れぬほどあったのだが、大よそ分かってしまった。分かってしまったのだ。
「――勇者、アンナ」
アンナは誰が見て分かる程に憎々しげに、妾を睨む。まるで勇者の気持ちを代弁するかのような真っ赤な髪と瞳は、月光に照らされ更に燃えていた。その髪が腰元まで伸びており、まるで成就までの年月が込められたかのような長さだった。
「……復讐しに来たぞ、魔王」
静かに、告げる。復讐という炎に呑まれたアンナは、胸に燻ぶっているであろう思いを表に出すことなく、一言一句呟いていた。
「あの時、私は誓ったんだ。必ずお前を討つと。誓ったんだ、彼女の為に。……いや、彼女の為だけじゃない。今までのみんなの為に」
フッ、とアンナの灼熱の瞳に陰りが入る。その目に映っているのはきっと、妾ではなかった。しかしそれもつかの間。その瞳にまるで炙り出されているかのような決意が宿る。
「―――お前を、討ちに来た! 私の名は勇者アンナ!!! 魔を、負を、悪を、討ちに来たぞ!!!! 」
静かな森に響くくらいに、高らかに剣を掲げ宣言するアンナ。掲げられた剣はその意思を受け継ぐかのように、月光によって照らされていた。
「そうか、……妾を、殺しに」
「そうだ」
「どうしてもか」
「そうだ」
「妾にその意思は無いと、してもだな? 」
「くどいぞ魔王。私は復讐しに来たと言った筈だ。お前の意思なんて関係あるものか、私はお前が死ねばそれでいい」
もはや、語る事など無かった。彼女は勇者で、妾は魔王だった。たったそれだけの事。
「……どっちが、悪なのだ」
「無論、お前だ」
淀みなく、世界の意志と言わんばかりに告げるアンナ。
神なんてものを信じた覚えは無かったが、この時ばかりはいるかもしれない神に言いたかった。何故、このような不条理を作ったのかと。何故、何故、と。
「く、クククク。下らぬ、下らぬの、本当に。こんな世界……、本当に。どうして、分かり合えぬ……」
「言いたい事はそれだけか」
「そう、じゃ。そうじッ!? 」
喋っている途中で軽い衝撃と共に胸元が熱く、冷たくなった。
見ればアンナは先程までの怒りを嘘かのように冷たくし、その剣を妾の胸元に突き入れていた。
「……卑怯、とは言わない。お前達魔族にはこれぐらいされて当然だからな」
そうやって剣を抜くように妾を蹴り飛ばし、その反動で地面へと転がるように叩きつけられた。碌に受け身も取らなかったお蔭か、抜き刺された場所から体温が抜けていく感触がひどくなっている。
痛い、痛い、痛い。
味わった事のない痛みに耐え、口から零れる血を擦り、こちらに向かってくるアンナを見る。
「どうして抵抗しない」
「……妾達はお主達人族を、手に掛けたりなどしないッ」
「そうか」
ハッタリだった。魔王城での戦いで魔力はおろか、体力の一欠けらも残っていなかったのだから。
アンナは一瞬ぴくり、と眉を動かす。おそらく満身創痍なのだと気付いたのだろう。けれどその眼には憐憫が宿ることなく、炎が更に激しく踊り狂っていた。
一歩、一歩アンナは距離を詰めてくる。妾はそれよりも短い半歩を倒れた状態で後ずさりする。
砂利の音がまるで死期を早める音色のようだった。後ずさりする度に擦れる土は底冷えするかのような寒さだった。刺された傷よりも、抜け出る命よりも、目の前に迫りくる恐怖の方が勝っていた。
そう、妾は怖くなっていた。死ぬことが。戦場で死ぬならまだ良かった。だが、妾は妾の為に死んでいった者の為に、世界を変えるという願いの為に何も出来ないまま死ぬ事を何よりも、怖くなっていた。
ジャリ、ジャリ、ジャリ。
生きなければ、
右手に土を握りしめアンナに投げる。アンナは意に介せず読めていたとばかりに手で防ぐ。
ジャリ、ジャリ、ジャリ。
生きなければ、
衝撃が身体を突き抜ける。夢中で下がっていたからか、振り向けば森の木に背がぶつかっていた。
ジャリ。ジャリ。
いきなければ、
急いで逃げなければと考えていても、身体は金縛りの如く動かない。
ジャリ。
いきたい。いきたいっ。いきたいッッ。
アンナは妾を見下ろす。右手には剣が断頭台のように高く高く掲げられていた。
「死ね、魔王」
ああ、死にたく、無い。
なみだがこぼれる。いきたいからなのか、なにもできないからなのかは、わからない。
世界を象徴するかのような、剣が振り下ろされた。
思わず目を閉じる。いつ来るかも知らぬ、もうすぐ来るかも知れぬ未知の恐怖から逃げる為に。
―――けれどもそんな沈黙を破ったのは聞きなれた金属の音と、初めて聞く声だった。
「助けてやる。俺の全てを以て、俺の全てを賭けて」
其れはまるでお伽噺に出てくる王子の台詞のようだった。此れはまるで世界を救う英雄のお伽噺のようだった。
妾は強張っていた目を見開く。そして最初に視界に入ってきた、アンナの剣を剣で受け止めている男は。
「だから、俺の奴隷になってくれ! 」
子供の頃夢見た想像の世界よりも遥かに眩しい笑顔で言っていた。