8:夜に潜むモノ
隣の空き部屋へ行ってみると、殺風景な部屋だったが綺麗にしてあって、ベッドやタンスなどの家具が一式置いてあった。
前に誰かが使っていたのだろうか。
部屋の窓を覗くと、もう日は沈んでしまって外は真っ暗だ。
人影なんて一つも見当たらない。
ただ、昨夜と同じくカンテラの灯がゆらゆらと煌めいていた。
(はあ、私も寝よ…)
置いてあるベットに倒れ込む。
今日は色々あった。この街に来てオッドに出会い、マピュスに連れられて街を回った。
《伊織、あんた"夜の街"を歩けるのかい?》
不意に蘇るキリーさんの言葉。あれは一体どういう意味なんだろう。
確かに私は夜の時間にこの街に来た。
それはもう"夜の街を歩いた"というカウントに入るのだろうか。
だが、それを言ったらあの時オッドだって"夜の街"を徘徊していたという事になる。
(それじゃあ、彼は一体――…)
考えれば考えるほど疑問が溢れ出てきて、目が冴えてしまう。
浮かんだ疑問が気になって仕方なくなり、私は部屋を出てオッドが居る所へ向かった。
オッドに聞けば何か答えてくれるかもしれない。そう思ったのだ。
リビングに行くと、窓際の作業机に向かって作業をしているオッドの姿があった。
何時まで起きているつもりだろうか。
「あの…オッド、聞きたいことがあるんだけど…」
「…」
返事がない…。聞こえてないのか?
側まで寄って見ると、先程持って帰ってきた薬をフラスコに入れて何やら作っていた。
「オッド、お話があ…」
「この街の事か?」
目線をこちらに向けずに突然答えるものだから、少したじろく。
「えと…それもあるんですけど、今日キリーさ…キリーロヴナさんに会った時、『夜の街を歩けるのか?』と聞かれたんです。それがどういう意味なのか知りたくて…あ、夜の街が危険な理由はマピュスたちに教えてもらいました。」
私の話を聞いているのか分からないが、ひたすら手を動かすオッド。
しかし、暫くすると「何故?」と返してきた。
「何故伊織は俺にそれを聞いてきたんだ?」
私は自分が推測する事を話した。
「私とオッドが出会った時は夜でした。もし、それも"夜に街を出歩く"事としてカウントされるのであれば、オッドも"夜を歩ける人"に入ります。だから、キリーロヴナさんが言った言葉の意味を知っているんじゃないかと」
思ったことを言い終わると、オッドは立ち上がり私の方を向いた。
蝋燭の灯りが揺れる度、オッドの緑色の目が光る。
黙って私を見つめること三十秒。何だか恥ずかしくて私は思わず目を逸らした。
「話すのが面倒だ。今から外に行って実際に見た方が早い」
ソファに掛けてあった茶色いコートを私に投げて着るように言うと、玄関先へ向かっていく。
「え!?今から行くんですか?」
オッドは、「ん」と言って親指を外に向けるポーズをした。
早く行くぞ、という意味らしい。
渡されたコートを素早く着て恐る恐る外に出ると、頭上には幾千幾万ものカンテラが光を放っていた。
オッドは上着のポケットに手を突っ込んだまま、先へ先へと進む。
私ははぐれないように、必死になってオッドの後をついて行った。
どれくらい歩いたのだろうか。
まだ行ったことのない道まで来ると、何処からか奇妙な音が聴こえてきた。
うおおおおおぉ――…という動物の唸り声のような音だ。それも段々近づいて来る。
私は怖くなってオッドの背中にしがみついた。
「オッド、い今のは!?」
「…来たな」
オッドが見る方向――建物の曲がり角辺りを見ると、黒いモノがうごめいている。
「あれは……人?」
黒くうごめくモノはやがて姿を現した。
人の形をしているが、動き方は人のそれではない。黒いオーラを纏っていて顔ははっきり見えないが、目や口は真っ黒い穴になっていて怖い以外の何者でもない。
黒いバケモノは唸り声を上げてこちらに向かって来た。
「こ、こっちに来ますよ!」
私が悲鳴にも近い声でオッドに言うと、本人は黙ったままポケットに入れていた手を素早く出した。
そして黒いバケモノに向かって何かを投げる。
白いピンポン玉くらいの球体だ。
球体はバケモノの足元辺りに落ちて、やがて凄まじい閃光を放つ。
眩しくて反射的に目を瞑る。ドンッという音と振動がしてから目を開けると、黒いバケモノは倒れていた。
駆け寄ってみると、黒いバケモノは白く光り出して人の姿に変わった。
多分、街の住人の一人だろうか。三十代くらいの男の人だ。
男の人は少し目を開けて私たちを見ると、「すまない、ありがとう」と呟き涙を流した。
やがて白い光になって男性は消えてしまった。
「消…えた……」
私は呆然と立ち尽くすしかなかった。
「オッドさん、やるね」
何処からか声が降ってきた。