2:日が昇る刻
街に入ってもとても静かだった。
私たち二人以外誰も見当たらない。
「ねえ、他に人は居ないの?」
不思議に思って青年に尋ねた。
「この街の人間は夜は姿を隠すんだ。日が沈むと皆眠る。」
「こんなに綺麗なのに眠ってしまうの?勿体ない。」
街の家と家の屋根から電線みたいな物がそこら中に張りめぐらされていて、その線にカンテラが幾つも掛けられている。
だから上を見上げると、数多のカンテラが星の如く光りとても美しい。
「綺麗か……俺には儚い瞬きにしか見えない。」
青年は仰ぎ見てそう呟いた。
その言葉は少し冷たく聞こえた。
閑散とした町並みを歩いていくと、空が明るみ始めた。
カンテラの灯火がそれを悟るように一つまた一つと消えていく。
その光景にまたも驚き感動していると、目の前を歩いていた青年が急に立ち止まり、彼の背中にぶつかる。
「ぶっ…ああ!ごめ…」
「此処は俺の家だ。どうぞ入って。」
間髪入れず、彼が言う。
指差す先にはアンティークな家が建っていた。
「…お邪魔します。」
さっきから落ち着きがない自分を恥ずかしく思いながら、家に入った。
家の中も外見と同じようにレトロで、物語に出てきそうな古めかしい雰囲気を漂わせていた。
そして何より沢山の不思議な物が置いてあった。
象を模した置物や唐模様の絨毯。四角い頑丈そうな箱から何に使うのかわからない物まである。まるで骨董店か美術館みたいだ。
「ただいまーただいまーマピー!」
青年の肩に乗っていた鳥が羽ばたきながら言った。
すると奥から可愛らしい女の子の声がした。
「あ!オッド、バッビーお帰りなさい!」
タタタタッと軽い足音とともに小さな女の子が姿を現す。
物陰から急に飛び出して来たので、近くにいた私に気づかなかったのか、私のお腹に直撃する。
「だぁっ!」
「ぐふっ!」
人とぶつかるのは本日二回目だ。
ぶつかった勢いで床に倒れ込む。
「あれ…?オッドじゃない!?」
ムクリと起き上がった少女は、目を丸くしている。
「マピュ、客人だぞ。謝れ。」
「ねえ、オッド!この人だあれ?」
「いいから、先に謝れ。」
はあい、と生返事をして栗色の毛を三つ編みにした少女はこちらを向いて謝った。
「飛びついてごめんなさい。オッドだと思って…。」
私は「大丈夫。」と苦笑しながら返した。
「で、貴方誰なの?この街の人間ではないでしょ?」
少女は責めるように私を問い詰める。
「どこから来たの?何でオッドと一緒に……あっ!さてはオッドのストーカ…もごっ」
質問責めをする少女を見かねてか、オッドと呼ばれる青年が少女の口を塞ぐ。
「悪いな、こいつはお喋りで知りたがりなもので…。」
「いえ、平気です!寧ろ私から話すべきですから。」
そして私たちは自らの事をお互いに語り始めた。
「私は伊織と言います。日本人です。何があったのか記憶が無いんですけど、気がついたら暗闇にいました。」
「ふーん。」
テーブルを挟んで向かい側に座って私を見つめる少女。怪しんでいると言うより、面白がっているような…。
「あたしはマピュス。好きに呼んでね。で、あの鳥はヨウムのバッビーノ。とっても賢いのよ。」
バッビーノは「よろしくよろしく」と話した。
「あのー彼は?」
キッチンで紅茶を淹れている青年を指差した。
「え?オッド自己紹介してないの!?」
「ああ」
「もー!」
それぐらい自分でしなよね!と文句を言う、マピュス。
プクーっと膨らました頬が丸くて可愛らしい。
「あの人はオッドマン。呼びにくいからあたしはオッドって呼んでる。」
「アウトじゃなくて?」
先程言っていたことを思い出して聞いてみた。
「違うよ。アウトって?」
「いや、出会った時に彼がそう言ってたから。」
何の事だかサッパリといった感じでマピュスは返す。
…聞き間違いだっただろうか。
「それにしても変な名前だね。家も変わってるし。」
キッチンでお茶の準備をしているオッドを横目にヒソヒソ話す。
「"オッドマン"は本名じゃないよ?」
「え」
その応えを聞いてやっぱりというか、じゃあ何で本名を語らないのかという疑問がよぎった。
「この家はオッドの仕事模様になってるからね。オッドは凄いんだよ!何たって道化師なんだから。」
「道化師って…ピエロのこと?」
「ちょっと違うけど、似たようなものかな。」
「オッドの本名は?」
「知らない、あたしも。教えてくれないもの。きっと永遠の謎ね。」
そう答えるマピュスの目は、少し曇った。
「紅茶と茶菓子、どうぞ。」
オッドがキッチンから紅茶とクッキーを運んで来た。
私は喉まで出かかっていた疑問の数々を押し込み、紅茶で流し込んだ。
オッドが出したクッキーを食べ終えると、マピュスは突然私の腕を引っ張った。
「ねぇ、外に行かない?いいや、行きましょ!」
有無を言わさずマピュスはぐいぐい私を引っ張って、遂に家の外まで連れ出した。
「ちょっと、待っ……うわ…」
外に出るとさっきとはまるで違う光景が目に入った。
軒を連ねて並ぶ店。道行く人々は思い思いに談笑し、歌を歌い、酒を酌み交わす。賑わう街がそこにある。
「凄い…さっきとは別世界だ……」
「この街は夜が静かな分、昼間は皆思いっきり楽しむの。あ、そうだ!伊織を連れて行きたい所があるの。」
そう言うと、マピュスはまた私を引っ張り走り出す。
(そう言えば、オッドさんには何も言わずに出て行ってしまったけれど、大丈夫かな…?)
そんな事を気にしながら、引っ張られるがままに走る。
それにしても、この子は容赦ない。歩くという事を知らない様だ。
「着いたよ、ここ!」
息が切れ、胸を押さえながらマピュスが指す方向を見る。全体的に黒っぽいクラシカルなお店だった。お店の屋根下から覗いている看板が見えた。
「珈琲店ア、アトウト…?」
珈琲店の後に何と書いているのかわからない。英語の知識はまあまあある方なのだが、読めない。…と言うことは、他の言語だろうか。
「atoutだよ。さ、入りましょ!」
私の疑問をさらっと答えて、マピュスは強引に私の背中を押して店に入った。