J:最高の切り札
「でもたった三体なら、こちらも経験者三人でちょうどいい」
いくら歩ける人間だとしても、戦力外の私は少し邪魔らしい。
「ま、ここは私たちが何とかするから、伊織はマスターの所でマピュスたちと待ってな」
「でも…」
いいから、早く。とキリーさんに背中を押され珈琲店Atoutへと向かった。
「私じゃ力になれないのかな…」
少し落ち込みながらとぼとぼと、道を歩いていく。
「でも、もし日が暮れても帰って来なかったら、加勢しに行こう」
よし、と心の中で決心して曲がり角を曲がった時、何かにぶつかった。
「あ、すいませ…」
感触的に人の背中にぶつかったような気がして見ると、私の思考は停止した。
何故ならぶつかったのは、黒い悪魔だったからだ。
「あ…わ…」
悪魔は振り返って、穴が空いたような目口のある顔をこちらに向ける。
咄嗟にキリーさんから貰った閃光玉を投げた。
それは見事目の前にいた悪魔に命中し、悪魔を白い光へと変えた。
だが、ほっとするのも束の間。
新たに路地裏から何体もの悪魔が姿を現す。
「冗談よしてよ…!」
見るだけでも悪魔は四体。
閃光玉も残っているのは後四個。
一つでも外したら、お仕舞いだ。
何とか避けて逃げることも考えたが、案外悪魔は走るのが速い。
まずは打つ手を打たないと。
私は拳を握りしめて、やって来る敵目掛けて一つ一つ玉を投げた。
一体、また一体と倒していき、最後の一体に玉を投げた時だった。
背後で、うおおおおー…と低い唸り声が聞こえた。
「嘘でしょ…?」
ゆっくりと振り返ると、無数の悪魔がこちらにぞろぞろと向かって来ていた。
目の前からやって来ていた悪魔は全部倒したので、道が開け前に進もうと試みた。
試みたはいいが、恐怖で体が強張り動けない。
やがて、悪魔が私に掴みかかる。
数秒と経たないうちに沢山の悪魔の腕が私を襲った。
ああ、私は喰われてしまう。そう思い目を閉じた。
すると、悪魔たちの声が聞こえた。
「…どうして……どうして…私は……生きた…かっ…たのに……」
「……寒い……冷たい…ここは……暗…い…」
「生きたい…よ……あなた…あったかい……命…ちょうだい…」
悪魔は喋ることは出来ない筈だ。
ただ唸ることしか出来ない。
今私に聞こえてきたのは、彼らの心の声だ。
悲しい感情の数々が私の中に流れ込む。
「あなたたちが生きることを望むなら、元に戻る方法がきっとあるはず。私の命は分けられないからあげれないけど、一緒に考えてあげることは出来る。帰ろう、あなたたちの還る場所に」
無意識に私はその言葉を述べていた。
瞬間、私の体が光始めた。
「え…?」
私を取り囲んでいた多くの数の悪魔は、その光を浴びて元の人の体へと戻る。
白い光の中で人々は笑って涙を流した。
「ありがとう…」
幾重にも声が重なって聞こえたその言葉と共に、人々は泡のように淡く光って消えた。
気がつくと私一人だけ地べたに座り込んでいた。
「伊織さん」
私の名前が呼ばれたかと思うと、目の前にマスターが私の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「あ、マスター…」
マスターは静かに私にハンカチを渡した。
「何か辛いことがあったのですね」
マスターに言われるまで気づかなかった。私は泣いていたのだ。
「騒がしいので来てみたら、物凄い光が走ったので…あの量の悪霊を貴女が倒したのですかな?」
「わかりません。何だかわからないけど、兎に角悲しいんです」
理由のない感情に戸惑いながら、私は暫く泣き続けていた。
**************
「行くったら行くのよ!」
「お前じゃ何も出来ないだろ!それに今行けば、お前も悪魔になってオッドたちの仕事増やすだけだ!」
店の中でマピュスとルゥが騒いでいた。
どうやら、外に出ようとするマピュスをルゥが止めているようだ。
日は時期に沈み、もうすぐ夜になる。
「そんなのわかってるよ、わかってる…」
暗い顔をしてマピュスは俯いた。
その様子を見て、ルゥは困った顔をする。
「俺だって出来ることならあいつらと戦いてぇよ…」
しんみりした空気の中、店の扉のベルが鳴った。
伊織とマスターが帰って来たのだ。
「ただいま…って、あれ。二人ともどしたの?」
伊織が帰って来た時、ルゥがマピュスの両腕をホールドしている状態だった。
二人は急いで距離を取り、何でもないと答えた。
「伊織、オッドたちは?」
「今、外で戦ってる。悪魔が増えてなければいいけど…」
不安そうに顔を歪める伊織を見て、余計にマピュスたちも不安になる。
「ねぇ、オッドたち帰ってくるよね?悪魔なんかに襲われないよね、あたしたち…」
「大丈夫だよ、オッドなら。もし、悪魔が襲って来たら私が守ってあげる」
私はマピュスの頭を軽く撫でた。
そして私はマスターの方を向いて言った。
「マスター、教えて欲しい事があります」
私がそう言うと、マスターは眼鏡越しに見える瞳を一瞬光らせた。
「さ、もう夜になる。今日はここに泊まりなさい。奥の部屋があるから」
マスターがそう促してマピュスたちをカウンターから遠ざけるようにした。
二人が部屋に入ったことを確認すると私は話始めた。
「マスター、私さっき悪魔に襲われた時、彼らの声を聞いたんです」
「ほう、声ですか」
「彼らはこう言っていました。『生きたい。ここは寒い、冷たい。あなたの命をちょうだい』と。まるで、死んだ人の言う言葉です。…彼らは……死人なんですか?」
マスターは静かに目を閉じた。
次に目蓋を開けた時、私が来た時のような曇った目をしていた。
「真実を知りたいかい?」
「はい」
マスターはカウンターに立つのを止め、私の隣の席に座った。
「人が悪霊化するのはね、この世界を受け入れられないからなんだ。この街はあたかも桃源郷のように詠われているようだけど、実際は違う。」
マスターはただ一点を見つめて淡々と語った。
「…この街は死人の街なんだよ。だから生者は辿り着けない死の世界」
誰も辿り着けない街の正体は、死の世界―――。
行こうとしても行けない―――辿り着くには逝くしかないのだから。
マスターは話を続ける。
「大抵の街人は自分が死んでいることを知らない。生前の記憶は消されるからね。だけど稀に覚えていたり、思い出したりする者がいる。前者が私たち『アンセルム』で後者が『ディアボロ』です」
この街を守る者とこの街を汚す者。紙一重の差で真逆の者になってしまうなんて、信じられない。
「と言っても、思い出したら皆が皆悪霊化するわけじゃない。自分が死んだということを受け入れられない者がなるんです。
『自分はもっと生きていきたい』とね。伊織さんが聞いたのはきっと、彼らのそんな思いだったのでしょう」
私は流れ込んできた感情の数々をなぞるように思い出す。
まだはっきりと頭に残っていて、思い返す度に何とも言えない哀愁に駆られる。
「貴女はもしかすると……"番外の切り札"なのかも知れませんね」
「"番外の切り札"…?」
「どんな世界にも想定外のものは在ります。私も長年ここに居ますが、貴女のような存在を見たことも聞いたこともありません。ですが何となく、貴女は必然的にそれだったのでしょう」
マスターの瞳には確信に満ちたものが宿っていた。
その瞳を見て私はある決心をした。
「私ここに来る前の記憶が無いんです。もしかしたら、いつか悪魔になるかもしれません。どうせそうなるなら、その前に自分が出来ることをしたいんです。さっき悪魔を祓った光で何かしら役に立つ筈です」
すると、マスターは真剣な顔から穏やかな顔になり、目元に皺を作りながら笑った。
「私は止めませんよ。若い者の決心は、尊重すべきですからね。私も一緒に行きましょう」
そう言って私の手を握った。少しひんやりとした手だった。
外に出ると、もうすっかり夜になっていた。
人は誰も居なく、閑散と静まり返っている。
夕方の騒動で余計に夜の街に出ようとはしないだろう。
ふと、仰ぐとカンテラの明かりがいつもとは何か違うように見えた。
「今日は騒動で点け忘れたのかな…」
いつもは殆どのカンテラに灯火がともっているのに、今日はまばらだ。
オッドたちを探して暫く街を回っていると、道の向こう側からぼんやり人影が見えた。
「伊織さん、一応下がっていてください」
悪霊かもしれないと、マスターが身構えて持ってきていた杖を取る。
段々近寄る黒い影。
背筋に一つ冷や汗が流れた。
だが、よく見るとその人影はオッドたち三人の姿だった。
「オッド、キリーさん、アドルフ!無事だったんですね!良かった、帰りが遅いので心配したんです」
駆け寄って見ると、三人ともボロボロで眉間に皺を寄せていた。
「…何かあったんですか?」
マスターも強張った表情の三人に問う。
「……向こうへの扉が…開いてたんだ」
キリーさんが険しい口調で言った。
「どうもおかしいと思ってたんス。こんなにディアボロが出て来るなんて」
「向こうの扉とは……?」
私の質問にマスターが答える。
「この街と生街とを繋ぐ扉です。本当なら死者がこの街に来る時にしか使えない筈なのですが…何故…」
「これじゃあ、生街へ帰ろうとする悪霊が増え続ける一方だ」
頭を抱えてキリーさんは唸った。
「その扉は閉められないんですか?」
「開いた原因がわからなければ、閉めることが出来ないんス。鍵になる物を通さないと」
アドルフが説明していると、近くで何かが這う音がした。
「……来る…」
オッドが呟いたと思うと、暗闇からぞろぞろと悪魔たちが押し寄せて来た。
アドルフはショットガンを構え、キリーさんは閃光玉を指の間に挟み、マスターは先程の杖を持った。
「行くよ!」
キリーさんの合図と共に皆駆け出した。
ショットガンの乾いた音と閃光玉の光が飛び交い、次々と悪魔を倒していく。
マスターは体術を使いながら悪魔を投げ飛ばし、杖の先で頭をコツンと叩いて白い光へと返した。
よそ見をしていたら、目の前に悪魔が居た。
反射的に手を出すと、手の先が光だし悪魔を白く包んだ。
それを近くで見ていたキリーさんは、目を見開いて言った。
「伊織、何故その光を……それはオッドと同じものだ」
「え?」
オッドの方を見ると、閃光玉を使わず私と同じように手から光を放ち、悪魔の額を触って倒していた。
こちらの視線に気づいたのか、オッドが視線を返す。
「伊織も俺と同じ"オッドマンアウト"だ」
オッドが言った言葉に引っ掛かりを覚えた。
"オッドマンアウト"……何処かで聞いたような…。
思い出した。出会ったあの時だ。
オッドと初めて出会った時、彼が『……アウト』と呟いたのは"オッドマンアウト"だったのだ。
「『除け者』だって!?それじゃあ、この子は……『エキストラジョーカー』だってのかい?」
『エキストラジョーカー』…聞いたことがある。トランプのうちの二枚目のジョーカーの事だ。
「私が『エキストラジョーカー』…」
光出す両手を見ながら呟く。
「わかっているなら何でもっと早く言わないんだい!」
怒りながら立ちはだかる悪魔を一掃していくキリーさん。
ルゥに怒る時より怖い。
だが、全く動じずにオッドはさらっと話を流す。
「…それに伊織は向こうの人間だ。早く戻さないと……」
「向こう側の人間って……じゃあ、伊織さんが扉を開いた原因じゃないんスか!?」
アドルフが続けて言う。
「どちらにしても早く戻さないと手遅れになる」
「あの…私は一体……?」
悪魔たちが少し減ってきて、少し余裕が出来てきた。
落ち着いた状況になって『エキストラジョーカー』『向こう側の人間』の意味を、そして私のことをキリーさんが教えてくれた。
「伊織、いいかい。あんたはまだ生きている人間なんだよ。ここに居てはいけないんだ。早く帰らないと本当にここの住人になっちまう。あんたは向こう側とこの街を繋ぐ存在だったんだ」
私の両肩を掴んで真剣な表情を向けるキリーさん。
私は黙って話を聞いた。
「悪霊があんたを狙っていたのは、命があるからだ。そして向こうに行ける唯一の存在だったから。今から私の言うことをよく聞きな」
キリーさんは私の手に指先で何やら文字を書く素振りをする。すると、手に見たことのない文字が金色の光を放って浮かび上がる。
「呪いの烙印だ。この文字が向こう側へと導いてくれる。向こうの扉まで私たちが連れて行くから、伊織はこの手をかざして扉に飛び込んで欲しい。」
「そうすれば、この街を守れるんですよね?」
私が戻れば、扉は閉められ悪魔も居なくなる。
私が居なくなれば、その代わりにこの場所を救える。
「…」
不味いことを言ってしまったと思ったのか、キリーさんは渋い顔をして黙る。
「大丈夫です、キリーさん。悪魔になって皆に祓われるよりはよっぽどマシです。行きますよ、私」
少し名残惜しいけど、この場所ともお別れだ。
「じゃあ、行くぞ」
オッドがパチンと指先から音を作り出す。
その刹那で全く別の場所に着いていた。
いつの間にか瞬間移動していたのだ。
着いた場所は移動前の場所より黒々とした闇に包まれていた。
いや、正確には黒い悪魔たちが塊になってその闇を作り出していたのだ。
その闇の奥に一筋の白い光が差していた。
悪魔たちはそれに群がるようにして集まっていた。
「あれが向こうの扉っス」
「あんなに群がられちゃあ、行くに行けないね」
キリーさん煩わそうに顔を歪める。
「彼らは向こう側には行けないんですか?」
「死んだ者は元には帰れない」
静かにオッドが答える。
「払い除けしょうか」
杖を構えそう聞くマスター。
「いいえ、しなくていいです」
私はそれを制し、一歩前に踏み出した。
黒い悪魔たちの群がりに近づく。
近づいて行けば行く程、声が聞こえてくる。
「…帰りたい……帰りたい……」
「………冷たい……痛いよ……」
「……まだ………生きたいのに……」
小さく泣くような、叫ぶような哀しい声。
「ごめんね……還ろう、還るべき場所に」
私は文字が書かれた手で彼らの背中に触れる。
その手から光が溢れる。
「…ありが…と……」
悪魔たちが消えていくと共に扉に吸い込まれていく感覚がする。
「伊織!伊織!」
頭元で翼を羽ばたかせる音共に声が聞こえた。
「バッビーノ?」
そこにはバッビーノの姿があった。
「マピーから伝言、『You be good,see you again.』…バイバイ」
白い光の中、振り返る。
四人が見守って立っているのが見えた。
「さよなら」
街に浮かぶカンテラが煌めく。
それは何だか街の人たちが微笑んだような、白い光になって消えた者たちの涙にも見えた。
「ああ、あれは―――魂だったのか」
そう呟いた時、私は白い光に包まれた。
カンテラの街から私は消えた。




