第1章
2016年12月27日、私は東京駅にやってきた。風が強いうえに小雨も降り出し、とても寒い夜である。
これから乗る予定の寝台特急「サンライズ出雲」の出発時刻は22時ちょうどであるが、その15分前くらいに東海道線ホームへ行くと、列車はすでに停車していた。
高松行きの「サンライズ瀬戸」を前につけた、14両の長大編成である。高松行きとは途中の岡山まで併結運転をする。
車両はJR西日本とJR東海が所有する285系電車で、黄色に近いオレンジ色の明るい塗装である。全体的に丸みを帯びた車体は、他の在来車両よりも一回りくらい大きい。ほぼ2階建て構造になっているからだが、首都圏のグリーン車よりも大きく感じるのは気のせいだろうか。
車内に入ると落ち着いた色合いのデッキがあって、ドアを開けた先にあるのが客室である。客室は木目調を意識した温かな雰囲気で、光もオレンジと柔らかい。それは私の乗ったノビノビ座席も例外ではなく、全車両とも近い雰囲気の内装になっている。ノビノビ座席は、2段のカーペット席が整然と並んでいて、各座席の間に木製の簡素な仕切りがある。
私の座席は上段だった。
4、5段ほどの階段を上り、上の段のスペースに座る。薄い布団が1枚だけあって、それを掛けて寝ろということらしい。アメニティーは、申し訳程度の使い捨てコップがひとつだけ、と至って簡素であるが、寝台料金不要であることを考えれば妥当か。
ピッチは思ったよりも広く、足もきちんと伸ばせるので しっかりと横になることができ、意外と快適そうではある。
そうこうしているうちに、列車は静かに動き出した。客車列車ではなく電車なので、走り出しは大変静かである。ノビノビ座席の車両は当然ながら電動車(モハ)であるが、そこまで走行音は気にならない。
自動放送で停車駅や車内案内が行われている中、品川をゆっくりと通過し、そこから一気に加速する。
同車の走行機器は、かの223系電車と共通らしい。だとすれば時速130kmは出ることになるし、加速性能もなかなかのはずだ。581・583系電車以来の“寝台電車”であるわけだが、思えばこれが唯一残った定期運転の寝台特急なのである。
電車は本線に入って速度を上げ、隣を走る京浜東北線を何本も追い抜く。そちらは大変混んでいて、乗客がぼんやりとこちらを眺めているようにも思える。
横浜で満席となり、さらに走ると車窓の光もまばらになってくる。
横浜を出てしばらく走ったあとに おやすみ放送が入り、岡山到着前まで車内放送は中断となる。それと同時に通路の明かりが若干弱められ、ノビノビ座席の乗客も寝る人が増えてきた。
私はせっかくなので まだ寝ないことにし、10号車のラウンジに行ってみることにする。
ラウンジは車端部の小さなスペースに、窓に向かってカウンター席がいくつかあるだけの簡素なものだが、ノビノビ座席よりも窓が大きく、外は少し見やすそうである。
先客が3人程いて、携帯電話をいじっている。私は進行方向右側の席に座った。
電車は熱海を過ぎ、丹那トンネルを走っていた。トンネルの中でコンテナ貨物列車とすれ違う。
トンネルを出た電車は、小雨の降る夜の東海道線を高速で走っていた。100km/hは超えていると思われ、まばらな光が車窓を飛んでいく。
時々東海道線の普通電車とすれ違う。もう0時近いが、まだ走っているのかと思う。
沼津を過ぎると、比較的平坦な区間を行く。吉原を通過し、オレンジの光が灯る大きな製紙工場を横目に見ながら、日付が変わる直前に富士に到着した。
富士川を渡ってしばらく走り、蒲原を通過する。由比の前後は大変景色の良いところで、今年の春に乗ったときは富士山と駿河湾の美しさに随分 感動したものだが、夜中だから当然分からない。
貨物列車と何回かすれ違って、日付が変わった0時20分くらいに静岡に着く。上りホームの電光掲示板には快速「ムーンライトながら」の文字があって、その到着時刻は2時近い。そうなると、この電車とは浜松までのどこかですれ違うのだろう。興味はあったが、ここら辺で席に戻り、休もうと思う。
車内は暖房がよく効いていて、ノビノビ座席もホットカーペットになっているようだ。とても暖かいので、備え付けの布団は掛けず、これを枕 代わりに使うことにする。
それからしばらくして、真夜中に目が覚めた。ブレーキがかかる気配がする。私は起きて、通路側の窓のカーテンを少しだけ開けると、大きな駅に入っていた。駅名標は「ぎふ」。そんなに何時間も寝ていたわけではなさそうだ。
岐阜で運転停車をするのかと思ったが、停車はせず、すぐに加速した。そのまま少し走り、大垣を過ぎたあたりで寝落ちする。
それから また少し経って、今度は高槻あたりで目が覚めた。複々線でいよいよ速度を上げ、新快速っぽい走りである。
新大阪をゆっくりと通過して大阪に着く。一瞬だけ止まってまた動き出すが、駅構内の電留線で、大阪環状線の新型車両、323系が停車しているのが、暗がりの中でなんとなく見えた。
そこで放送が入り、それによると17分くらい電車が遅れているらしい。北陸線から来た、前を走る貨物列車が遅れているからで、この電車の各駅の到着も遅れそうとのこと。その後、車掌が慌ただしく車内を回って、「岡山で特急電車に乗り換えるお客様はいませんかー」と言っている。近くの客がそれに該当するらしく、車掌となにやら話している。どうやら、サンライズの遅れによって本来接続するはずの列車に接続せず、姫路で新幹線に乗り継げということらしい。その客は車掌からなにか紙を受け取り、姫路で降りていった。
それからまた寝落ちしてしまったらしく、起きたのは岡山到着前だった。岡山には30分も遅れて到着した。
ここで「サンライズ瀬戸」を切り離して7両の身軽な体となり、電車は朝の山陽線を行く。放送によれば、これから先の伯備線は単線なので、遅れはさらに増え、出雲市の到着は1時間近く遅れるらしい。
そうなると心配なのはこの先の予定である。予定では出雲市到着後、山陰線を乗り継いで せっせと京都方面へ向かうことになっている。まずは出雲市から米子行きの快速列車に乗るのだが、それが発車するまでに かなり時間が開くので、この間に大田市まで往復することにしていた。大田市まで行くと、出雲市から乗る予定だった快速列車に大田市から乗れるのである。
しかし、1時間遅れでは大田市往復は頓挫である。快速列車は出雲市から乗ればいいので、幸いにして全体的な影響はないが、未乗区間が少し増えてしまうのが残念だ。
倉敷を過ぎて、伯備線に乗り入れる。
伯備線に乗るのははじめてだ。伯備線に入った途端、景色は急に郊外の雰囲気となり、山深い川沿いを行く。途中の駅で対向列車と交換待ちを何回も行い、特急「やくも」とも頻繁にすれ違う。「やくも」は1時間に2本くらいのペースで走っているので、すれ違う回数が多いのは当然と言われれば当然である。
もう朝ではあるが、ここから出雲市はまだ3時間近くある。うつ伏せに寝そべって外を眺めているうちに、いつのまにか また寝てしまう。
ふと目が覚めると、車窓は銀世界だった。
列車は新見を過ぎていた。外は雪が積もり、朝日に照らされてキラキラと輝いている。
それはそうと、せっかく乗った伯備線なのに、半分近く寝てしまったらしい。もったいないことをした。
さらに走るうちに雪が少なくなり、中国山地も後方へ遠のいていく。
右側から山陰線の線路が近づいてきて、線路が繋がり、伯耆大山を通過する。ここまで来れば、サンライズの旅も1時間くらいである。この頃には、もう雪はまったく無くなっていた。
米子と松江で何人もノビノビ座席の乗客の半分くらいが降りて、空席が目立つようになる。 しばらくすると、右側に宍道湖が見える。そこで車内放送が入り、「島根県からのご案内です」と前置きして車掌が宍道湖の観光案内をしている中、電車はその湖の真横を走る。
はじめて見る宍道湖は大きく、海のようにも見えるが、いつぞやの琵琶湖よりは対岸が近くに見える。まぁ面積を考えれば当然だが。
宍道湖が後ろに遠のいて宍道を過ぎれば、終点の出雲市まではあと少しだ。出雲市が近づくと、今度は出雲大社の観光案内が入る。
再び放送が入り、出雲市へは約1時間遅れて到着予定とのこと。大田市往復は頓挫したが、米子行きの列車には幸い接続しそうだ。
電車は高架に入り、1時間以上遅れの11時5分頃に出雲市に到着した。
これから乗る米子行きの快速「アクアライナー」の発車は11時38分なので、30分ちょっとの待ち時間である。
ここからは、例によって青春18きっぷを使って山陰線の普通列車を乗り継いで、せっせと京都方面に向かうことになっているので、この出雲市駅が最端ということになる。言うなれば、ここから先の2日間は帰り道というわけだ。今回はサンライズと山陰線に乗ることが目的だからだが、かなり直球な行程になっている。
取り敢えず、青春きっぷにスタンプを押してもらわなければならないので、一旦改札を出ることにする。ホームから降りると、きちんと改札機が導入されていて、JR西日本のICカード、ICOCAも使用できるようだ。山陰線では当駅から伯耆大山までがICOCA使用可能エリアになっているらしい。
改札の横にはコンビニがあり、改札を抜けた正面には土産物店が並ぶ“駅ナカ”のようなエリアになっている。
駅を出ると、大きな建物が立っていて、それの裏が一畑電車の電鉄出雲市駅である。この建物は一畑百貨店とホテルらしい。
そして駅舎はというと、出雲大社を模しているのだろうか、社殿のような形をしている。
列車の発車時刻が近づいてきたので、再び駅に入ることにする。事前に買っておいた青春きっぷに「出雲市駅 12.28 米子支社」というスタンプを押してもらい、ホームに上がると、列車はすでに停車していて、エンジンを震わせている。
快速「アクアライナー」米子行き。快速を名乗っているが、ここから米子までは各駅に停車する。益田発の列車なので、なかなかのロングランである。
車両は両運転台のキハ121系を繋げた2両編成。キハ121系は、自治体の資金援助によって投入された、山陰地区の主力車両である。特急型のキハ187系と部品の共通化を図っているそうなので、性能は特急並みということになるのか。
キハ187系にも言えることだが、デザインにはそこまで気を配っていないように思える。このキハ121系に関して言えば、外観は妻面も側面も単調な四角形で、首都圏の車両以上に味気ない。ただし、乗った列車には「石見神楽」というラッピングが施してあった。
車内はドア付近を除き、4人がけボックスシートが左右に並べられている。ワンマン運転が基本なので、乗務員室後ろに料金箱が設置されていて、頭上の液晶ディスプレイには各駅からの料金が表示されていた。
2両編成であるが思ったよりは混んでいた。私は先頭車 前寄りのボックス席を押さえる。席は座面が柔らかく背もたれが硬い構造になっている。疲れにくいなど、何かの効果があるのかもしれないが、私には分からない。
乗り心地は決して悪くはないが、背もたれがほとんど直角なので、転換クロスシートよりも劣ってしまうのは否めない。長距離で乗るには少し窮屈ではないかとも思う。
そして11時38分、定刻通りに快速「アクアライナー」は出発した。ワンマン運転のはずなのだが、なぜか車掌が乗っている。その車掌が「ワンマン快速」と案内する、不思議な放送になっている。
列車はというと、快調に加速していく。なるほど、特急型と同性能なだけあって、100km/h近い速度で山陰線を走る。キハ121系は、動き出すときこそ気動車らしいが、その後は電車のような走りだ。
ここから伯耆大山までは、さきほどサンライズで通った区間であるが、窓が大きいので景色は見やすい。サンライズ号の窓は小さいので、外はそこまで見えなかったのだ。
再び宍道湖の横を走った後、途中で何度か「やくも」と交換待ちする。松江や安来で客が入れ替わり、同じくらいの混雑のまま 定刻通りの12時53分に米子に着く。米子も大きな駅である。
ここで鳥取行きに乗り換える。接続は大変良く、連絡時間は4分。乗り換える列車は快速「とっとりライナー」である。
山陰線の益田~鳥取は、快速が1日に4本も通っている。同区間を特急「スーパーおき」や「スーパーまつかぜ」が通るのにである。山陰線は半ば特急街道であるが、そのような路線で普通列車の速達便を走らせるのは珍しい。普通列車の高速運転も含め、近くを通る山陰自動車道(一部未開通)に負けまいという意気が伝わって来るようなダイヤだ。山陰道は開通区間がまだ短いので、全通してマイカー移動が定着する前に鉄道の客を掴みたいという思惑なのだろうが、地域住民の足となっていることは間違いなさそうである。もちろん、自治体が鉄道存続のために出資しているという側面もあるのだろうが、先ほどの「アクアライナー」も座席は3分の2くらい埋まっていたし、閑古鳥が鳴く鉄道よりは断然いいだろう。
ちなみに、「とっとりライナー」の使用車両は、先ほどのキハ121系と同系列のキハ126系で、こちらは片運転台の2両固定編成である。今度は「まんが王国とっとり」と書かれたラッピング車で、某有名キャラクターが描かれている。
車内は、運転台が片側にしか無いこと以外は共通で、ボックスシートである。しかし さっきよりも混んでいて、すで人が座っているボックス席に自分も相席で座らせてもらう。
動き出した列車はぐんぐん加速し、100km/h超の高速運転を行う。米子~鳥取は快速運転を行う区間なので、小さい駅は一気に通過し、気分はますます痛快である。
所々で海が近づいてきて、遠くに藍色の海面が見える。天気が曇りなので、海も暗く見えた。
倉吉の前後あたりで、屋根にブルーシートをかけた民家が目立つようになる。思えば、この辺りは去年(平成28年)の10月に地震の被害に遭った地域だ。最近、めっきり報道されなくなったが、その爪跡は未だに残されているのかと思う。
倉吉の次の松崎という駅で反対列車と交換するが、その駅の横に目を引く大きな建物があり、「梨選果場」とある。鳥取は確かに梨の産地で、ことに二十世紀梨が知られている。鳥取の梨をどこかで賞味したい気分だが、言われるまでもなく時期はずれだ。
小さな駅をすっとばして山陰線を快走した「とっとりライナー」は、14時35分に鳥取に到着した。
ここから浜坂行きの列車に乗り換えだが、発車まで40分くらい時間がある。ホームでずっと待っていても退屈なので、駅から出てみることにする。
改札係にきっぷを見せて駅から出る。山陰地方と言えど、寒さは東京辺りと大して変わらない印象である。寒いことには寒いが、凍えるほどではない。雪も降った気配はなさそうだ。
辺りを見渡すと、「鉄道記念公園」と書かれた案内標識がある。これは気になるので、その方へ足を進めた。
ロータリーを抜けてすぐのところに、鉄道記念公園はあった。蒸気機関車の動輪が飾ってあるだけの広場かと思いきや、入口に立っている踏切と腕木式信号が目に止まる。
どうやら、鳥取周辺で使われた鉄道遺産を並べているらしい。踏切の警報器、腕木式信号、転轍機(ポイント切替器)など。動輪は無いが、展示品はなかなか興味深い。雨ざらしなので案内板は完全に読めなくなってしまっているが、遺産群の保存状態は決して悪くはなく、一部の転轍機はレバーを操作することもできた。
そしてなんといっても、公園の(駅から見た)奥には、古い駅のプラットホームがあった。鳥取駅の旧ホームを移築してきたのかもしれないが、案内は特になく、はっきりとは分からない。ただ、ホームが現役だった頃に使われていたと思われる、乗換の案内看板もしっかり残っていて、現役当時の姿を偲ばせている。ホームの横にはレールも敷いてあった。
決して広くはない公園だが、なかなか見ごたえがあり、私は満足して公園を出た。
時間は午後の3時近いが、私はまだ昼食を摂っていない。調べると、駅の近くにショッピングセンターがあるようなので、そこに行く事にする。
駅から歩いて4、5分くらいのところにあるショッピングセンターで弁当を買い、少し急いで駅に戻る。ここから再び列車に乗って、遅い昼食である。
ホームに戻ると、該当の列車はすでに停車していた。車両は朱色のキハ47形。キハ40形にそっくりだが、こちらはドアが両開きである。そして、例外なくこれもワンマン使用なので、料金箱がもちろん設置されている。
それはそうと、車内は大変混雑していた。4人がけボックスシートの座席は9割以上埋まっていて、再び相席である。思えば今は年末の多客期。この鳥取~浜坂は特急列車が運転されていないので、帰省客もみんな普通列車を使うことになるのだろう。それに加え、この列車は1両の単行運転である。これは混むわけだ。
結局、座席いっぱいの乗客を乗せた列車は、15時14分に鳥取を発車した。こんなに混んでいては大変だと思ったが、次の福部という駅で8人くらい下車し、ボックス席の(私から見て)正面に座っていた客も降りていった。その後も各駅で人が降りていき、いくつか席も空いてきた。
冷めた弁当を食べながら、車窓を眺める。キハ47は、先ほどのキハ126とは打って変わって、気動車らしい走りである。エンジンをブルブル震わせ、重たそうな走行音を轟かせる列車は、のどかな景色と相まって旅情をかきたてる。
山陰線ははじめて乗るので、止まる駅も知らない名前ばかりである。知らない駅をいくつも停車し、所々で反対列車と交換待ちを行う。
鳥取から40分以上かけて、定刻通りの15時58分に浜坂に到着した。ここからは豊岡行きの列車に乗り換えるが、豊岡までは行かず、途中の城崎温泉駅で途中下車することになっている。城崎温泉は駅の近くが温泉街になっているそうなので、行ってみるつもりだ。
それから、浜坂の先には、かの有名な餘部橋梁がある。当然ながら通るのははじめてなのだが、幸い明るいうちに通過できそうなので、楽しみである。
5分の接続で豊岡行きの気動車は発車した。車両は先ほどと同じキハ47形。
久谷という駅を過ぎ、次が餘部駅である。海が近づき、山を上っていく。長いトンネルを抜けて、列車は餘部駅に着いた。
駅は混んでいた。橋梁を見に来た観光客なのだろうが、10人以上はいそうだ。前の列車で来たのだとすれば、何時間もこの駅で待っていたことになるが……と思っていると、眼下に観光バスが停まっているのが見えた。
その観光客らに見送られ、列車はゆっくりと動き出した。そのゆったりとした速度のまま、列車は余部橋梁に差し掛かる。
高いことには高いが、目がくらむほどの高さという訳ではない。しかし左手に日本海、右手は扇状地のような地形になっていて、景色はなかなか良い。
この橋もかつては 列車が強風に煽られて真下に転落するという悲惨な事故が起きたこともあるそうだが、確かに横風は強そうである。海から近い反面、山とはそこまで両端以外は接していないので、遮るものは何もない。割とスリルはあるが、横風防止の壁が設置されているようだ。
ゆっくりと橋梁を通過し終え、景色は元のように戻る。橋を渡り終えた直後くらいに、岩山の切り立つ海岸線が見え、冬の日本海が荒波を立てているのが見えた。
その後も海に近づいたり少し遠のいたりを繰り返していたが、しばらく走ると再び海が近づき、建物が増えてきた。
大きめの港を横目に見ながら、少し山を下り、香住に着く。この辺りでは大きな港町で、ここまでは大阪方面から特急が来る。特に冬場は松葉ガニの水揚げで活気づくのだろうが、それは早朝の話だ。列車から見た雰囲気では、午後の漁港は閑散としている印象だ。
香住を過ぎ、外が薄暗くなっくるのを感じながら、16時58分、城崎温泉着。地図で見ると短距離に思えるが、浜坂から1時間近くもかかっている。
反対側のホームには、大阪からの北近畿特急「こうのとり」が停車している。車両は新幹線の開業に合わせて北陸から転属してきた、683系改め289系。臙脂色というのだろうか、深みのある赤い帯が割と馴染んでいる。長らく青い帯をまとっていた北陸特急も、北近畿で第2の人生といったところか。
駅を出ると、なるほど、観光地らしい町並みが広がっていて、観光客らしい人がたくさん歩いている。そして駅の真横には早速 温泉施設があって、その入口には足湯もある。
いくらなんでも駅の真横の温泉では味気ないので、少し散策してみようと思う。事前にインターネットで調べたところ、駅周辺に7つほどの外湯があるとのこと。ここからは2本後の列車で先へ進むことにしているので、ゆっくり時間をかけて散策できるだろう。
温泉旅館や土産物店が並ぶ通りを少し歩くと、川に差し掛かり、趣ある橋がかかっている。
川の両側は本格的な温泉街となっていた。
オレンジ色の柔らかな街灯に照らされ、趣ある町並みがどこまでも続いている。浴衣姿の観光客が下駄を鳴らして歩いていて、とても活気のある温泉街だった。オレンジの街灯は日暮れの空や川とも相まって とても良い雰囲気で、その川には大きな鯉も泳いでいた。
私はゆっくりと川に沿って歩き、何件かの温泉施設に目をつけながら先へ進んだ。川から外れて道なりに進んでいくと、古風で大きな建物があった。それも温泉らしく、浴衣姿の何人かが並んでいる。
混んでいるのが少し気がかりだが、私は雰囲気が気に入ったので そこで風呂に入ることに決めた。浴衣の客らはみんな首からカードのようなものを下げていて、それを入口の機械にかざしている。それは城崎の外湯に入り放題というチケットで、宿に宿泊するともらえるらしい。私は当然ながらそれを持っていないので、現金で料金を支払い、中に入る。
中もかなりの盛況であったが、あと少しで空くとのこと。
あまりの混雑で脱衣所に入ることもままならないので、本来 湯上りの人が使う休憩スペースに座って待っていると、なるほど、10分くらいで人が続々と出てきた。再び脱衣所を覗くとだいぶ空いたようだったので、そのまま中に入る。
私が入った温泉には、大きな内風呂がひとつと、ミストサウナ、そして大きな露天風呂があった。特に露天風呂は、斜めに流れる滝が真正面にあって、迫力ある光景であった。
内湯の温度は43℃くらいだろうか、最初は少し熱く感じるが、慣れれば難のことはない。私は1時間くらいかけて、ゆっくりと温泉を楽しんだ。
風呂から上がり温泉施設から外に出ると、先ほどとは一転、急に人気がなくなっていた。先ほどはあんなに人が歩いていて活気があったのに どうしたのかと思ったが、時刻はあと10分程で夜の7時を回ろうかという頃だ。宿の夕食時間はこの頃だろうから、観光客らは宿に戻っていったのだろう。通りの土産物店もひっそりとしていて、ある店では「20時まで一旦閉店」という張り紙を掲出していた。宿の夕食時間が集中し、人通りが減る時刻の間に 店員の休憩時間を入れるということか。なかなかよく出来たスケジュールである。
私は、人通りがまばらになって雰囲気がガラッと変わった温泉街に軽い驚愕を覚えつつ、これといってすることもないので駅に戻ることにする。とは言え、乗る予定の列車の発車時刻は19時18分である。まだ15分近く時間がある。時間を潰そうにも、ひどく中途半端である。
そこで私は、駅の真横に足湯があったことを思い出した。温泉に入った直後に足湯へ行くというのも間抜けな話だが、時間潰しにはちょうどいい。私は駅に着くと、その横の足湯に足を入れた。
ぼんやりと腰掛けたまま前を眺める。正面には石を積み上げたような壁面があって、その石の間からちょろちょろと―――水なのか温泉なのか―――が流れていて、清らかな水音を立てている。足湯に関して言えば、足元に長い湯船があるようなつくりではなく、ひとり分のスペースごとに岩で仕切られていて、各スペースには蛙の石像から水が注がれるような、そんな構造になっている。蛙の口からちょろちょろと足元に水が流れていく、と変わった気分ではある。
足を拭いてホームに戻ると、ちょうどいい時間だった。ここから再び列車に乗り、先を急ぐ。今回、城崎温泉では外湯に入っただけだったが、いつか泊まってみたいなと思う。
この城崎温泉駅からは電化区間であるが、次に乗る列車は浜坂から来る便なので気動車である。定刻通り入線してきたキハ47に乗り、2駅先の豊岡で乗り換えだ。
豊岡駅で向かい側のホームに停車していたのは、私のお気に入りの車両、223系であった。私がいかに223系が好きであるかは、前作でもたびたび触れたが、やはり乗れて悪い気はしない。ちなみに、この223系は、ローカル線区向けのワンマン仕様車である5500番台で、前面貫通路と乗務員室のドアにオレンジのラインが入っていることと、前面貫通路のドアが平らになっているのが特徴である。性能面は221系と同程度に抑えられており、新快速のような130km/h運転はできない。
223系福知山行きは、17時33分に豊岡を発車、すっかり暗くなった北近畿の鉄路をぐんぐん加速した。気動車から乗り継いだせいもあるのか、かなり速く感じられたが、実際にも100km/h以上は出ているのではないかと思う。夜なので外の景色は見えないが、光が見えないところを見ると、やはり山の中を進んでいるようである。トンネルも多い。
和田山を出て、梁瀬を過ぎると京都府に入る。この辺りの山道は険しいらしく、駅間距離もひときわ長くなったような気がする。
福知山に19時30分に着き、本日最後の乗り換え。ここで乗り継ぐのは園部行きで、接続時間は3分である。車両は先ほどと同じく223系。
列車は園部まで行き、その後は京都行きに連絡するのだろうが、私は途中の綾部で降りる。今夜は綾部に宿を取ってあった。
福知山から綾部までの間には2つしか駅は無いが、相変わらず駅間の距離は長い。夜の鉄路をひたすら走り、21時21分、綾部着。




