クズの親はクズでした。(親バカを拗らせると厄介です)
クズって難しい。
イアソンさんが医者だと騒いだおかげで、私が目を覚ましたことが屋敷中に広まったらしく、さっきからお見舞いが絶えません。
一番にすっ飛んできた涙目のお母様を始め、私の信頼度が低い使用人達、目の下にクマのあったマーサには甲斐甲斐しく世話を焼かれた。
そして現在、すでに夕刻ですが、城に仕事に行っていたお父様がお帰りになるや私を抱きしめて離そうとしません。
イアソンさんは苦笑いで見守るつもりのようだし。
これ如何に。
「お、お父様?」
「…」
会話しようよ頼むから!
私に現状を理解するヒントをちょうだい!
「エステル…、よかった…!」
耳元で聞こえた声は、あのお父様の声とは思えないほど小さくて弱々しくて、消えてしまいそうだった。
聞いてるこっちが切なくなる。
そんなに心配してくれたんだ…。
途端に泣きたくなって、お父様の背中にしがみついた。
ごめんなさい。
心配かけて、ごめんなさい。
でも私は生きてるから。
大丈夫だから。
親子二人で声も出さず泣いている様子を、イアソンさんだけが微笑ましげに見ていた。
「お前は、二週間も眠り続けていたんだよ。あのとき城で治癒術師に傷を治してもらったのだが、出血が多かったため今の今まで油断を許さない状況だった。ああ…可愛いエステル。愛しい娘よ、もう起きて大丈夫なのか。お前にもしものこのがあれば、軍部など二、三回潰してやるつもりだったが、目が覚めて本当によかった。」
お父様の腹黒はどこかに落としてきたんだ。
じゃなきゃ一時行方不明なんだよ。
あんなに私をからかって遊んでたお父様が、ぎゅうぎゅう抱きついたまま話を進めてる。
ときおり慈愛に満ちた眼差しでよしよしと撫でられる。
真の親バカ発揮したの?
なんだろう、これが本性のような気がする。
「治癒術師…ですか?」
ところでなんぞ、それ。
聞いたことない。
お父様は私の首に巻かれた包帯を嫌そうに見つめる。
「エステルは初めてだったか?治癒術師とは、稀少な治癒能力を持つ人間のことだ。医者とは別の存在と考えていい。だが傷を癒す能力といっても、なくなったものは戻せないからな。だからお前も血が足りなくて危なかったわけだ。」
この世界にもそんなファンタジーな人間が⁉︎
似非じゃなかったんだ!
治癒能力!
かっこいい!
「言っておくが、治癒術師は傷を治すだけで病は治せない。だから医者が存在しているのだ。」
あ、あーそういうね?
地味に制約あるんだ。
別に期待なんてしてませんよ。
珍しい能力に目覚めるとか、中二みたいな考えはないんで、いやほんとに。
「あの、ご当主、じゃあなんでお嬢さんはさっき痛がってたんです?もう傷はないんだろ?」
「完全になかったことにはできない。だからまだ塞がっていないんだ。安静にしていないと傷口が開くぞ。」
お父様は私の髪を一房握り、指先に絡めるようにしてするすると離した。
傷がまた開くと聞いて、イアソンさんの眉間の皺がいっそう深くなる。
握り締められた手は、あまりの力に白くなってしまっていた。
「それでイアソン、貴殿の件だが…。」
「あ、お父様、イアソンは先ほど私に忠誠を捧げてくれたので、正式な従者になりました。」
「え、そ、そうか。」
ぱちくり、音がしそうなほどきょとんとしてもお父様の美貌は欠片も損なわれなかった。
ここまでくると犯罪だよ。
神はこの人をどうしたいんだ。
「お前がいいなら構わないよ。さて、久しぶりに目覚めて動きにくいだろう。傷口の心配もある。お前は当分出歩くときは誰かに抱えてもらいなさい。」
「ちょ、お父様!」
また爆弾落としやがりましたよ、お父様。
なんでいい年こいて、いや、この世界では5歳だからまだまだ甘えてもいい年齢だけども、合わせたらけっこうなことになるんだからね⁉︎
そんな羞恥プレイはお断りです!
「外出禁止のほうがいいならそうしよう。」
「お父様⁉︎」
脅しじゃないか!
いつの間にか行方不明だったはずの腹黒が帰ってきてるし!
ちょ、おい、やめろ抱えるな!
私が何をしたっていうんだ。
せっかく生還しても恥ずかしさで死ねる。
「さあ、ようやくエステルを交えて食事ができる。食堂に行こう。セレスティーナも待っているだろうからな。」
有無を言わさない神々しい笑顔に威圧されて、私はお父様に屈辱の抱っこをされたまま階下の食堂への道のりを出発した。
部屋を出る間際にイアソンさんに救いを求める視線をぶつけたものの、半笑いとも苦笑いともとれない顔で目をそらされた。
心温まる親子のコミュニケーションじゃないんですけど⁉︎
屈辱と寝起きの怠さで喋る気力もない私を抱えた上機嫌なお父様が、無駄に広い公爵邸を練り歩く。
神様、いったいなんの罰ゲームですか。
道々会う使用人群が、あらまあ仲がよろしいですね、という生温い視線を投げて寄越す。
なんだよ見んなよ、金とるぞ。
私が恥ずかしさのあまりいちいち睨み返してしまうのは仕方がないことだと思う。
なっがい階段をお父様がわざとゆっくり下りるもんだから、無意識に舌打ちが漏れそうになった。
…しませんよ、お嬢様ですもの。チッ。
「お嬢さん、首はもう大丈夫ですか。」
イアソンさんだけだよ、心の癒しは。
救援信号は無視されたけど、そんなこと気にしてないからね?
私は心が広いなぁ。
「もう痛くないわ、ありがとう。」
抱っこされてるといつもと違う景色が見えるわー…。
そこでふと、イアソンさんの腰にあった剣がなくなっていることが目についた。
あれ、剣は?
家の中だから置いてあるのかな。
でもいつも持ってたよね。
あれー?
そろそろ階段も半ばにさしかかるというところで、珍しく焦った様子のマーサが駆け上がってきた。
話は聞かないがいつもは冷静な彼女が探していたのはお父様だったらしく、私に気づいて一瞬だけ逡巡したが、すぐにお父様に向けて話し出した。
「ギルバート様…、今しがたエントランスに、その、フーバー子爵が…。」
「なんだと?」
いつもより歯切れの悪いマーサの話を聞いたお父様は、ぎろりと階段下のエントランスから聞こえる騒音に目を向けた。
美形が怒ると迫力が違うというのがものすごく納得できるくらい、お父様の顔は凶悪の一言に尽きる。
初めて見たその表情に、なんだかんだベタ甘に育てられた私の身体がびくっと揺れた。
「なぜ通した。追い返せと言ってあっただろう。」
「お帰りいただくよう申し上げたのですが、使用人風情が命令するなとおっしゃられて。」
「本当に、どこまでもこちらを馬鹿にしてくれる…!」
「いかがいたしますか?」
「…仕方がない、このまま行こう。エステル、すまない。起きたばかりで不快な思いをさせるかもしれないが、お前が最も聞く権利があるだろう。イアソン、私の代わりにエステルを頼む。」
「はい。ほら、お嬢さんはこっちな。」
話の流れがいまだ掴めない私を置き去りにして、お父様は私をイアソンさんの腕に移動させた。
どうやらイアソンさんも事情は理解しているようだし、お父様になんら質問もすることなく私を抱きかかえた。
大人組はそのまま階段を下りていく。
えぇー…私だけぶっつけ本番なの?
予備知識なしとかきついよ。
エントランスに近づくにつれ、言い争う声がはっきり聞こえるようになった。
「困りますフーバー子爵様!旦那様はお会いにならないと申しております!」
「ええい、しつこいぞ!使用人の分際で私に意見するな!」
「子爵様!これ以上は本当に、」
「本当になんだというのだ!執事ごとき、手打ちにしてもよいのだぞ!わかったらさっさと公爵に取り次げ!」
使用人が何人かと、なんか無駄に派手なおじさんが口論しているらしい。
おじさんはカッカして今にも腰の剣を抜き放ちそうだ。
なんなの、人ん家で。
しかも他家の使用人を家人がいないところで手打ちとかありえないから。
非常識かこら。
あ、フーバーって、あいつの実家じゃん?
非常識度は遺伝するんだってか、非常識がフーバー家の代名詞みたいになってんな。
「そこまでにしてもらおう、フーバー卿。我が屋敷の使用人に貴殿が手をかけることは許さん。」
こつこつと足音を響かせながら、お父様と私達は階段を一番下まで下りる。
突然声をかけられて驚いた様子のフーバー子爵は、それまでの態度と打って変わって媚びるような気持ち悪い笑みを浮かべた。
揉み手って初めて見たかも。
「あ、こ、これは公爵閣下。突然の訪問、大変ご無礼をいたしました。おお、姫君も目を覚まされたのですな。」
「…貴殿にはたしか、書状にて断りをいれたはずだ。なぜここにおられる。」
イアソンさんに抱っこされてる私を見た子爵が、あからさまに安堵の息をついた。
まあ一応目覚めたんだから、死ぬ心配は遠ざけられたことになるよね。
つーか、断られてんのに勝手に来ちゃったんだ。
ほんと親子揃って非常識だなあもう。
お父様の不機嫌絶頂みたいな表情のせいで、フーバー子爵は小さく縮こまる。
「そ、それは、愚息が公爵家の姫君を害しましたお詫びとお見舞いを、と思いまして…。」
「私はそれも不要だと記したはずだが、まさか読んでおらぬわけはないだろう?」
「も、もちろんです閣下!しかし、これは人間として当然の誠意でございます!私が早くガーナルドの馬鹿めを勘当していれば、斯様な事件は起こらなかったかもしれないのですから!」
「ああ、たしか貴殿には他に嫡男がいたか。とはいえ、我が娘に害をなした男が貴殿の子であることには変わりない。先ほど、詫びと見舞いだと言ったな?いったい何をしようというのだ?」
お父様の嘲笑うかのような質問に、子爵はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの目を向けた。
気づかないって、幸せな人だな。
イアソンさんなんか軽く半歩引いたよ。
「はい、お詫びの品には、微々たるものながら賠償として、金貨二百枚を献上いたします。」
「ほう…二百枚。」
お父様が子爵を値踏みするかのような目で見下ろす。
二メートル近いイアソンさんより小さいとはいえ、お父様も二十センチほどしか変わらない。
子爵はそのさらに下なので、結果巨人みたいな二人に見下ろされてることになるな。
それにしても、金貨二百枚か。
この世界は貨幣のみ存在しており、一番下から鉄貨、銅貨、銀貨、金貨、大金貨、白金貨といった価値になっている。
鉄貨五十枚で銅貨、銅貨百枚で銀貨、銀貨二百枚で金貨、金貨三百枚で大金貨、大金貨五百枚で白金貨と同等なのだ。
一般市民は鉄貨から銀貨を主に使って生活しており、金貨一枚あれば一年くらい余裕で暮らせる。
ちなみに市民の主食であるパン一つで銅貨二、三枚といったところだ。
貴族は主に金貨と大金貨だ。
といっても、一際価値のぶっ飛んだ白金貨なんて代物は滅多にお目にかかることはできない。
王家及びとても身分の高い貴族がたまに使う程度だし、見たとしても数枚だろう。
「そしてもう一つ、お見舞いのほうには、出来損ないの愚息の首を献上いたしましょう。どうかそれでご寛恕いただけますよう、お願い申し上げます。」
お父様に深々と礼をするフーバー子爵を眺めながら、私は彼の言っていることが理解できなかった。
お見舞いに、息子の首?
あまりに淡々と、むしろ嬉々として話す子爵が、とても不気味で気持ちの悪い存在に見えてしょうがない。
なんて嫌な男だろう。
思わずイアソンさんの服をぎゅっと握りしめてしまうほど、私は子爵を嫌悪していた。
「…お嬢さん?大丈夫か?」
「ええ…。」
なだめるように頭を撫でてもらっても、気持ち悪さは抜けなかった。
「おおそうだ、姫君にも当然お詫びをしなければなりませんな。…ふむ、そのような野人のごとき男は高貴な姫には似合いますまい。どうでしょう、当家で姫君の従者に相応しい者を選出させていただくというのは?必ずやお気に召す者を見つけてみせますぞ。姫はどのようなのがお好みでしょうか?お美しい姫には、やはり美形がよろしいですかな。」
はは、と子爵が愉快そうに笑う。
何を言ってるの。
イアソンさんが私に似合わない?
「なんでよ…。」
「お嬢さん?」
あんたも、あんたの息子も、なんでイアソンさんを馬鹿にするの。
なんで見下したような目で彼を見るの。
この人は、私なんかのために忠誠を捧げるって言ってくれたのに。
見ず知らずの子どもを助けるために、剣一本でモンスターの前に立ちはだかってくれるくらい優しい人なのに。
「フーバー卿、貴殿は何を、」
「どうしてあなたにそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
いい加減我慢の限界だった。
親子揃って人の恩人をどこまでも馬鹿にしくさりやがって。
ふざけんなよ。
久しぶりに起きたばかりで大声を出したためか、ぜいぜいと息が切れる。
驚いた皆の顔が見えるけど、知るもんか。
もう言わないと気がすまない。
私を抱えるイアソンさんの身体が少しこわばってる。
悪いけど、どうしても言いたいの。
「イアソンははじめて会ったときも、あなたの息子におそわれたときも、命をかけて守ってくれたわ!私が選んだ従者になんの文句があるの⁉︎この人は優しい人よ!私に命令されても、子どもだからとあなどったりしない!公爵家の娘だからと言いなりになったりもしない!きちんと私を見てくれてるの!何も知らないのに、見下したような目で見ないで!」
不覚にも、喋ってる最中で感情が高ぶって涙まで出てきた。
なんだよ、泣くなよ。
今大事なとこなんだ。
舌がもつれて上手く話せない。
悔しい。
「ふっ…いや、失礼した。どうやら娘は目覚めたばかりでまだ混乱しているらしい。」
イアソンさんの肩口に顔を押しつけて涙を堪える。
お父様にぽんぽんと頭を叩かれるようにして撫でられた。
…隠してるつもりか知らないけど、小さく笑ったの聞こえてるんだからね、お父様。
「はっ、い、いえ、こちらこそ、出過ぎた真似をいたしまして、申し訳ございませんでした、姫君。」
「…話を聞いていたの?謝るのならしっかりと謝って。」
「しっ、失礼いたしました!…従者殿にも、無礼をお詫びいたします。」
できる限り低く出した声で睨みつけてやれば、嫌そうにしながらも子爵はイアソンさんに謝った。
嫌そうにしてんじゃないよ。
「さて、フーバー卿。我が娘の機嫌も悪い。そろそろお引き取り願おう。」
「しかし閣下、まだお話が…!」
「話、か。貴殿は何か勘違いしているようだな?」
「勘違い、でございますか?」
お父様の美しい顔が途端に無表情になり、目が据わる。
お父様が怒りを見せるや、子爵の額に冷や汗が浮かんだ。
今ごろになってお父様が怒っていることに気づくなんて、よく生きてこられたな。
どうせいろんなところで恨み買ってるんだろ。
「貴殿は必死に私の機嫌をとろうとしているらしいが、大金貨二百枚とは、私の娘への愛も安く見られたものだ。その程度で、エステルを殺しかけた償いになると思われては困る。もちろん、貴殿の言う出来損ないとやらの首もいらん。そんなもの寄越されたところで、娘が泣いてしまったら意味もない。」
「か、閣下、私は、」
図星をつかれた子爵は、顔を真っ青にしてあとずさる。
それを追いかけるようにお父様が一歩踏み出した。
獲物を追い詰める肉食獣の幻覚が見えたことは言わないでおこう…。
「それに私は、貴殿と戦争になったところで構わない。たとえ内乱で国が荒れようが、私の知るところではないからな。愛しい娘を殺されかけたのだ。父親が怒り狂って子爵家をひとつ潰したとしても、誰も気にとめまい。そうだろう?子爵殿。」
「閣下…!ご冗談を、」
「冗談だと?断りを無視して勝手に押しかける。他家の使用人を無断で手打ちにしようとする。娘の従者に難癖をつける。自らの息子の首を献上しようとする。挙句、詫びだと言いつつエステルに謝罪の言葉もないときた。ふん、貴殿の行いのほうがよっぽど冗談に相応しいじゃないか。…貴様、可愛いエステルに少しでも傷が残ったその時は、覚悟しておけ。」
「ひっ、ひい…!」
「わかったら去れ。貴様が我が領内の土を踏むことは二度と許さん。無能なクズめが、息子の不出来を嘆く前に、礼節のひとつでも身につけろ。」
吐き捨てたお父様が手振りで命令を下すと、頷いた執事達が茫然自失の子爵を引きずって出ていった。
そのあと、彼がどうなったかは考えたくもない。
もしかしたら今までで一番書いたかも…!




