従者ができました。(予定とは違いました)
年齢設定変わりました。
詳しくは活動報告にて。
暗い暗い世界が眼前に広がる。
なんにも見えなくて、なんの音もしなくて、誰もいなくて、ひとりぼっちでゆらゆら浮かんでいるような感覚だ。
そういえば、私どうなったんだっけ?
どうも最後の記憶が曖昧だけど、なんとなく怪我したんだろうなってことはわかる。
けっこうな血が出て、意識が朦朧として、初めて気絶ってものを経験したわ。
それにしても暗いな、ここ。
誰もいないし。
てゆか、もしかして死んだ?
いやいや、きっと夢だから。
夢、だよね?
「っはぁ…っ!」
身体全体を使って跳ね起きる。
息がしづらくて、喉からヒューヒューと嫌な音が鳴っている。
深い水底にずっと潜っていたかのような倦怠感に襲われた。
なんだこれ…身体重っ!
「お、じょう…さん?」
声に反応してベッド脇に目をやると、少しやつれた様子のイアソンさんと視線が交差した。
え、やだちょっとどうしたの。
「やっと、目ぇ覚めたんだな。よかった…。」
「あの、イアソン?」
突然感極まったみたいな声を出されてどうしたらよいの、私。
屈強な身体で、誰にも負けない強さを持つその人は、何かを堪えるみたいに額に手を当てて俯いてしまった。
そして、ここ二、三日分くらいのため息を漏らした。
ため息ふっか。
少し震えているように見えるのは、私の気のせいだろうか。
「…かなしいことでもあったの?」
「まさか。あんたと会ってからこっち、俺には楽しいことしかねぇですよ。」
「じゃあ、泣かないで、イアソン。」
「泣いてませんよ。見くびってもらっちゃあ困る。寝起きのお嬢さんは、まだ頭がボケてんじゃないですか。」
「かわいくないわ」
「こんな大男捕まえてそんなこと思おうってのが、そもそもの間違いですよ。」
くつくつ笑うイアソンさんはいつも通り老け顔悪人面だし、身体は妙に重いけど、なんだか安心する。
こんな軽口を叩ける相手は、この世界ではいなかったからかな。
きっと、それだけが原因ではないと思う。
でも、イアソンさんはイアソンさんだったから。
私はそれで十分なのかもしれない。
「それでお嬢さん、身体の調子はどうですか。特に首元…痛んだりしませんか?」
「くび?ええ、別に平気よ。」
「…お嬢さん、この間のこと、覚えてるか。ガーナルドのことは?なんで怪我をしたか、ちゃんとわかってますか。お嬢さんは、あのクソ野郎に殺されかけたんですよ。」
ガーナルド…?
あ、なんか嫌なもん思い出しそう。
そう考えた瞬間、膨大な記憶が蘇ってきた。
初めて感じた人の殺意、死への恐怖、傷の痛みと、身体から血が流れ出る冷たさ。
急に寒気に襲われて身震いしつつ、部屋を見渡す。
いないのはわかってる。
でも、確認せずにはいられなかった。
この部屋にあいつが、ガーナルドがいないか、自分の目で確かめたかった。
自然と呼吸が浅くなる。
収まっていたヒューヒューという音が喉に戻ってきたらしい。
「お嬢さん、お嬢さん落ち着け。深く息をしろ。ここには俺とあんただけだ。ガーナルドはいない、心配すんな。」
イアソンさんの大きな手が無意識に震えていた背中をさすってくれた。
ああ、大丈夫だ。
この人が近くにいてくれるんだから。
何があっても、きっと守ってくれる。
最初に、喉の嫌な音がしなくなって、呼吸がとても楽になった。
そうしてやっと、身体の震えが止まる。
…見事にトラウマ植えつけられてますがな。
よくもここまで強烈なもん残してくれたな、あのクズ男。
「ありがとうイアソン…。大丈夫、もう治ったわ。」
「なら、いいんですがね。」
「ねぇ…ガーナルドは、どうなったの。」
あいつは、私に攻撃を仕掛けたあと、私が意識を失うまでイアソンさんに押さえつけられていた。
でも、そのあとは?
こちらに向かってくる大勢の足音は聞いたけど、私は見ていない。
あの男がどうなったのかも、知らない。
私の震えが完全になくなったのを確認して手を離すと、イアソンさんは眉間にぐっと皺を寄せて話し始めた。
怖いって。
「あの男は、城の衛兵に連れて行かれました。ただ…いまだ処分が決定していないらしいです。なまじ貴族出身なもんだから、軍部が決めかねているんでしょうよ。とはいえ、相手はかのオックスウッド家のお嬢さんで、下手なことすりゃ軍部を軽く捻っちまえるご当主が出てくるときた。当然、厳罰は免れないだろうな。」
厳罰…。
じゃあ今は、城の地下牢に、いるの。
処分しだいでは、生きて出てくる可能性もある。
身体にぞわりと寒気が蘇ってくるけど、今は強引に知らないふりをする。
…そんなこと考えたって、しょうがない。
でも、そんな強がりはイアソンさんにお見通しだったらしい。
あの掌で、髪をわさわさと混ぜっ返されてしまった。
今度は寒気よりも安堵の方が勝って、くふ、と笑いが漏れた。
…くふ。
むふ、よりはいいかなぁ…。
きっと私の笑いには、うふふとかいう上品なのはないんだ。
作らないと出ないんだ。
どうせ偽りの上品さですよ。
「…すいません、俺があのときちゃんと奴を押さえていれば、あんたにこんな怪我させることもなかったのに…。」
しぼり出すような声音で、イアソンさんは悔しいという感情を隠そうともせずにそう言った。
まったく、ほんとにこの人は。
「お人よし。」
「っえ…。」
あ、つい本音が。
いやいや、そうではなくて。
「別にあなたのせいじゃないわ。あんな体勢から刃物を投げてくるなんて、誰も思わないもの。」
それに関しては、初めて軍人としての実力を見たと言えるのかな?
…まさかね、こんな幼気な女の子相手に。
「でも、俺は…っ。」
「あなたには変われって言ってもむだだと思うから、この際はっきり言いましょう。あんな風に言われたら、おこっていいのよ。むしろがまんなんてしちゃいけないの。それはあなたの心を殺すことになる。ここを出たら、今度は自分のために生きなさい。言いなりになってはダメよ。あなたの心を殺してしまわないで。約束してくれるなら私は、あなたがお人よしのままでもゆるしてあげる。」
「ここを、出たら?」
「…あなたには、めいわくをかけたわ。私のおんじんなのにお父様がおどしたり、従者にされかけたり。でも大丈夫。お父様には私から言っておくから。あの男もつかまったのだし、あなたを悪く言う人間はいない。きっと兵士にも戻れるわ。」
見開かれた鋭い瞳が私を射抜いていく。
イアソンさんは強い人だから、何を言われても我慢するし、耐えてしまう。
でも、それではいけないから。
もっと自由に生きてほしい。
自分のために怒れる人になってほしい。
私は、命の恩人に窮屈な思いはしてほしくない。
呆然としたイアソンさんの中で、私の言葉がゆっくり浸透していく。
その内容を理解した彼は、いつもと変わらない悪い顔で、今日はきちんとニヒルに笑った。
…かっこいいじゃん。
「俺は兵士には戻りませんよ。」
「ええ、だからお父様に…っえ⁉︎戻らない⁉︎」
なんで⁉︎
戻んないの⁉︎
イアソンさんは珍しく大口を開けて、かっかと笑った。
そこ笑うとこ?
意味わかんないんですけど。
「最初は、従者やんのは少しの間だけって言われてほっとしてました。けど、お嬢さんがガーナルドに怒ってくれんの見て、嬉しかった。俺だけだったら、お嬢さんの言う通り言われるがままで終わってましたよ。」
「それが、どうかしたの?」
普通怒るよ。
怒んないイアソンさんがおかしいんだって。
どんだけレベル高いんだよ、お人好し。
彼はまた笑みを深めて、心底楽しそうに話を続ける。
「ほら、そうやって当然だと思ってるだろ。俺はそれが、たまらなく嬉しい。だから、あんたについていこうと思う。ご当主じゃなく、お嬢さん個人に仕えたい。」
「それは…わかってるの、あなた。」
「もちろんわかってますよ。あんたの、年下の子どもの命令を聞いて、あんたを命がけで守る。そんなこと、あのときやりましたよね。」
「でも私は、あなたに自由に生きてもらおうと…。」
「兵士だったときとは違う。自分で選んだ主人に仕えられるんだ。これほど自由なことはねぇですよ。なぁ、お嬢さん。」
急に真顔に戻って跪くイアソンさんに手を取られる。
武骨な大きな手が私の手を掴んで、甲に触れるか触れないかのぎりぎりの口づけを落とした。
手の甲への口づけは、敬愛と忠誠の証。
ずっるいなあ…。
ここで断ったら、私が貴方の自由を阻害することになるんでしょう?
「このイアソン・ラスターク、未来永劫変わらぬ忠誠をあんたに捧げますよ。」
はぁ…もう、わかったよ。
意外と腹黒い一面も持ってんだな、イアソンさん。
ちょっと知りたくなかったかなー。
「わかったわ。でも、あんたじゃダメ。ちゃんと言いなさい。」
「やれやれ、厳しいお嬢さんだ。」
「従者になるんだから、これくらいとうぜんよ。私に仕えるということは、あなたも社交界に顔を出すことになるの。さぁ、ちゃんとして。」
「はいはい、わかりました。んんっ。えーと…お嬢さん名前なんつったっけ。」
この男は…っ!
これから忠誠を誓おうって人間の名前を知らんのかい!
お嬢さんお嬢さん呼んでたのは名前がわからんかったからじゃないよな⁉︎
怒るよ!
私は自分のことに素直に怒れる子だからね!
「…エステル・オックスウッドよ。今度忘れたらゆるさないわ。」
「っ冗談だ!冗談!」
「冗談…?忠誠の言葉の前に…?」
「あ、いや…。」
「そんなことで従者が務まるの、イアソン!うっ、いた、くび痛い!」
「大丈夫かお嬢さん⁉︎医者!」
結局、忠誠の言葉はなあなあになってしまったけど、どうやらこれで成立した空気なので、よしとします。
シリアスってなんだろう。




