沈黙と転落
砦についてからのディーナは、一言も喋ろうとはしなかった。本当に一声も上げないのだ。散々に恨み言を聞かされるであろう、と覚悟していた俺の予想は大きく裏切られた。
何故、何も言わないのか。不思議でならなかった。
これが彼女の物言わぬ抵抗であると気付いたのは、もう少し後になってのことだったのだ。
最初の夜、俺は愛を告白した。大熊には似合わぬと知りつつも、不器用に切々と想いを言葉に紡いだ。俺を受け入れる気になるまでは指一本触れず待つとも言った。
「森で会ったあの日から、女はお前しか見えなくなった。こんなことは初めてだ……」
彼女は何も答えない。
俺を嗤い罵るのも当然だろうと身構えていたのに、彼女は静かに聞いているだけだった。攫った時の激しい怒りの表情も見せない。
思わぬ反応に、俺は当惑した。
次の日、銀細工の首飾りを贈った。火の塚の族長の妻となる女が、代々身に付ける特別な意匠の首飾りだった。
そして詫た。
彼女の沈黙は謝罪を求めてのことだろう。それはもっともだと思ったからこそ俺は詫びた。平謝りに謝ることは出来なかったが、彼女の目の前で俺は確かに頭を下げたのだ。
「お前の一族を殺したことは、蛮行だったと思っている。赦してくれ。お前を取り戻しにくるのでは思ったが、あの者どもが武器を片手に乗り込んでくることなどあり得なかった……あそこまで無抵抗に死んでゆくとは思いもしなかったのだ……」
だが、それでも彼女は何も言わなかった。俺の言葉を受け入れもしなければ、拒絶もしない。
悲しみをたたえた瞳で、俺を見つめるだけだった。
俺はますます困惑した。彼女が何を考えているのか全く解らないのだ。言葉があっても行き違いが起こるというのに、相手が何も喋らないとなるとどう対応すればいいというのか。
これからは俺の妻として何不自由なく暮らせると語っても、彼女の心は緩まない。
それならばと、貴女の歌は本当に素晴らしいと褒めちぎってみた。もちろん本心からの言葉だ。
「森で歌っていたあの歌をまた聞かせて欲しい」
すると、彼女の顔は急速に陰ってしまった。
形の良い眉を寄せ、大粒の涙をこぼした。両手を胸の前で組み、震えていた。
俺は、ハッと息を飲んだ。
あの日、俺に歌を聞かせてしまったせいで一族に死を招いたと、彼女が自分を責めていることに気付いてしまったのだ。俺の想像以上に、彼女は傷ついていたのだ。
罪悪感でいっぱいになった。
喋らないのは、俺への復讐なのだと悟った瞬間だった。
無理に口を開かせてはならないと思った。彼女の心が解れるのを待つしかあるまい。俺にとってそれは、長い苦行になることを覚悟しなければならない、そう思った。
ディーナは俺を赦しはしないだろう。そして、原因を作った自分自身のことも赦さないだろう。それなら、彼女がこれも運命と諦めるのを待つしかないということだった。
俺が贈った首飾りを、ディーナが身に付けることは無かった。
それから一月近くが過ぎた。
相変わらずディーナは何も喋らない。しかも食事も殆ど摂らず、部屋に篭ったまま外にも出ようとはしないのだった。
俺は日に何度も彼女のもとに赴くのだが、取り付く島もなく焦りと苛立ちが募るばかりだった。
日に日に彼女は痩せてゆき、このまま消えていなくなってしまうのではないかと不安にかられるのだ。
女ならば誰もが喜びそうな宝飾品を、次々とディーナに与えた。美しい布地を取り寄せ、彼女の為に仕立てた。珍しい草木で部屋を飾った。美しい声で鳴く鳥を与えた。彼女の慰る為と思ってあふれるほどの贈り物をした。だが何を贈ろうと何を語ろうと、彼女は悲しげな目をしたまま、じっと窓の外を見つめるのみだった。
「いつまで強情を張るつもりなのだ。素直になりさえすれば、俺は一生お前を大事にする」
俺の忍耐は、早くも限界に近づいていた。
彼女は更に痩せてゆく。彼女の復讐は口を閉じることだけでなく、自らを絶対に俺に奪えない存在にしてしまうことなのだろうかと疑いはじめていた。
心が解れるまで見守ろう、受け入れる気になるまでずっと待とう、そう言ったのは彼女が健康であればの話だ。今にも天に召されてしまいそうな人間に、我がままを通させる気はなかった。みすみす死なせることなどできはしない。
今日も彼女の部屋を訪れた。
テーブルの上には手付かずのスープの皿が置いてある。もうすっかり冷めてしまっていた。
「スープは暖かいうちに飲むものだ」
俺はスープの皿を彼女の前に突き出す。今日こそは絶対に飲ませる、そう思っていた。
青白い顔には生気が無い。頬はこけ唇もカサついていた。ディーナは無表情に皿をチラリと見ただけで視線を逸らした。
今日も食事を摂らないつもりかと、俺はカッとなった。
「飲め!!」
怒鳴りつけていた。
ビクリと彼女の肩が震えたが、顔を上げようとしないのを見ると、もう怒りを抑えることができなくなっていた。
「飲めと言っているんだ!」
立ち上がり、彼女の顔を強引に持ち上げて口に皿を押し付けた。スープを流しこもうとするが、ボタボタと溢れるばかりで、喉を通ることはなかった。
俺はスープを口に含む。そしてディーナの頬を一発パンッと張った。
よろける彼女を抱きとめて、鼻をつまむ。イヤイヤと首を振るのを押さこみ鼻をふさぎ続けると、呼吸を求めて彼女の口が開いた。
すかさず、舌をねじ込んで口移しにスープ流し込んだ。舌を噛まれても構わない。とにかく一口でも食事を摂らせたかった。
唇を離すと、吐き出せぬように手で口を塞ぎ、ゴクリと彼女の喉が鳴るまで決して離さなかった。
そして、涙をこぼし弱々しくもがくディーナに、もう一度無理やりスープを飲ませる。
「殴られたくなかったら、自分で飲め! 今日から毎日だ!」
ディーナは目を潤ませゴフゴフと咽ながら、また首を振った。
もう我慢がならなかった。
彼女の腕を引っ張り、夜具の上に放り投げた。冗談のように軽い身体に、ゾクリと寒気がした。
俺はディーナの服を剥ぎ取り叫んでいた。
「憎いなら憎いと言え! 罵れ! 下衆な人殺しと叫べ! 叫べ、ディーナ!」
沈黙を貫かれるよりも、いっそ罵倒されるほうがましだった。彼女に俺を罪を糾弾して欲しいのだ。生きて、俺に怒りをぶつけて欲しいのだ。
血色の悪い、あばらの浮いた細い身体。森では輝いていた肌が、見る影もなくくすんでいる。
無残で痛ましいと思った。彼女は自ら死を引き寄せている。だが死なせるものかと、俺はまたスープをディーナの口に流し込んだ。
そのまま彼女の舌を求めてくちづけを続けた。逃げる彼女を必死に追いかけた。
そして激しく首を振られて顔を上げれば、両腕に隠された膨らみが俺の目を引きつけてやまない。そこだけは女らしさが匂い立っていた。たった今、唇に味わった柔らかな感触に加えて、更に彼女の全てを感じたい。
劣情が止まらなかった。
俺は最初の夜の約束を反故にした。
彼女の顔に絶望が浮かんだが、それでも止まれなかった。
そして、彼女はやはり一声も上げなかった。
ディーナは食事を摂るようになった。ほんの少しづつだったが、口にするようになったのだ。普通に食事出来るようになったのは、それから更に半年後のことだったが、俺は心底安堵した。
その頃には専属の侍女には、少しは口を利くようにもなったようだ。
最初の言葉は、食事を運んでくる侍女への「ありがとう」だった。か細い消え入りそうな声だったという。それを伝え聞いた俺は、喜びに胸が沸き立った。俺への言葉ではなくても嬉しかった。
その後「とても美味しいわ」「今日はいい天気ね」など、短い言葉を紡ぐようになっていった。
しかし、相変わらず俺とは全く話しをしない。夜伽も拒まないがそれだけだった。まるで人形を抱いているようだった。
どんなに優しく愛撫しようとも、決して声を漏らさない。その強情さに腹を立てて、乱暴に扱っても同じだった。そして行為の後、彼女は無言で泣き続けるのだ。
諦めたのは俺の方だった。
彼女の身体を手に入れることはできでも、心にはもう永遠に手が届かないのだと。
その辛さから彼女のもとへゆく回数が減ってゆき、行ったとして沈黙に耐えられず数分で部屋を去ることが多くなっていった。
それからの俺は遮二無二に戦に力を注いだ。
戦いの中に身をおけば、例え一時的にしろ胸の苦しさを忘れることができたのだ。
手段は選ばなかった。欲しいものは力づくで手に入れた。それが虚しい代償行為だとわかっていても、歯噛みしながら奪い続けた。
そして、俺はついに部族連合の王・北の王となった。火の塚のグエンの名は以前にも増して、島中に轟くことになったのだ。
一族を上げて祝杯を上げる。先々代の頃には弱小だった部族を連合の盟主にまで引き上げたのだから。これで火の塚の一族の安寧は約束され、この地を襲おうという者はいなくなったのだ。
しかし、一時の達成感に酔っても、その後は恐ろしいほどの虚無感に襲われた。献上された美女達を侍らそうと、贅沢三昧の宴を繰り広げようと、その虚無感は消えなかった。
この虚しさを消すにはどうすればいいのか。戦うことしか思いつかない。
四方の王の一人となった俺は、島中の部族への発言力も影響力も格段に強めていた。上位王となるのは遠い夢ではなくなり、更にチャンスが降ってきた。
上位王が代替わりしたのだ。
老いた先の王の息子だという新しい上位王は、若輩で愚鈍な男だという。元々、武に長けた部族ではない上に、先祖からの伝えられた占星術を操るしか能のない王など、俺の敵ではない。
即座に上位王を目指す戦いを決めた。
これまでのような部族の利の為の戦いではなく、むしろ不要の戦だと分かっていながら、愚を犯すことを決めた。
己の虚しさを埋めるための、ただ戦う為だけの愚かな戦いに、俺は一族の命運を巻き込んだのだ。
僅か半月の交戦で西の王を落とし、その連合を配下とした。
返す刀を東の王に向ければ、彼らは慌てて中立を宣言した。
上位王に親しい関係のある南の王はまだ揺れている。だが、直に我が方へなびかせることができるだろう。南の各部族には直接寝返りを促し、既に密約を取り付けているのだ。
俺は着々と敵の外堀を埋めていっていた。
戦果を上げても、何も満たされることなく月日が過ぎていった。
ディーナの顔を見るのが辛かった。冷たい身体を抱くもの辛かった。俺と彼女の溝は深まってゆくだけだった。
そして、亀裂が深まれば深まるほど、皮肉なことに戦果が上がってゆくのだった。
俺は勝てる。
確信していた。
勝つことへの高揚感など無かったが、勝たなければならないと思っていた。それは脅迫観念めいている。戦いに勝つ以外に、自分の意義を見いだせないのだ。
しかし、勝ったとしてその後はどうすればいい? 上位王になった後は、誰と戦えばいい? 何を目的に生きればいい?
負けることよりも、勝った後の不安の予感の方が恐ろしく思えた。
*
昼近く、ディーナ付きの侍女がもじもじと俺の部屋に入ってきた。
部下からの報告をひと通り聞き、南の王のからの使者をあと一日待とうかと返答したところだった。
約束の期日は今朝だった。降伏の返答が無ければ、討つまでだ。出陣の準備も既に整っている。だが、明日の夜明けを最終期限に延ばしたのは、我らが南の王の身内を人質としているからだった。よもや彼を見捨てはしないだろう。降伏の返答は必ず来るはずだ。
俺が話は終わったと盃に手をのばすと、恐る恐る侍女が近づいてくる。彼女は頬を少し赤らめ、浮き立つような顔をしていた。
俺と部下の会話が終わるのをそわそわしながら待っていたことには気づいていた。戦の話をしているところに、不用意に顔を突っ込むような女ではないから、一体何の報告があるのかと気になっていた。
彼女は恭しく頭を下げ、俺が促すと更に頬を上気させて言った。
「お方様が、グエン様のことを気にかけていらっしゃるようなのです」
「…………!?」
突然何を言い出すのか。
持っていた杯がスルリと手から滑り落ち、思わず侍女の顔を凝視した。
ディーナが俺を気にかけるだと?
なんの冗談だ。あり得ない。無視することはあっても、気にかけることなどあるはずもない。
妻が俺を憎んでいる事など、皆が知っていることではないかと思う。報告を終えた部下が目を丸くして、チラチラとこちらを振り返りながら退室してゆく。
戯言と言うには質が悪る過ぎる。俺は侍女を睨みつけていた。しかし、彼女は続ける。
「戦況をお聞きになられたので、いよいよグエン様が上位王になられる時が近づいていますとお伝えしました」
「…………あれは、良い顔をしなかったのだろう?」
「は、はい。しかし、グエン様はそのことを何もお話しにならないしお越しもない、と仰ったのです。寂しげに」
侍女の目が輝いている。素晴らしい吉報を伝えたという達成感のせいだろうか。
俺は侍女の言うことを理解するのに、少々時間を要した。
ディーナは、俺が何も話さないと言っているだと? 何を言う、話さないのはそちらの方ではないか。何を言っても答えない……。とは言え、確かにこの頃は俺も無言でいることが多い。彼女のもとへ赴くことも減った。それが不満なのか……。寂しいだと?
と、それはつまりディーナは俺と話したいということなのか?
その考えに至ると、途端にドクリと心臓が跳ね上がった。都合の良い解釈だろうか。
単に、彼女は不要の戦を仕掛けたことを詰ろうというだけかもしれない。俺を罵倒するつもりかもしれない。
しかし、それでもいいではないか。俺と話そうという気になったのならば。
ダンと立ち上がり、彼女の部屋へと駆け出した。
転機がきた、そう思いたい。
彼女と出会って実に三年が過ぎていた。
バンッと扉を開いた。勢い余って、つんのめるように部屋の中に入ってゆく。突然の物音に、ディーナは驚いてこちらを振り返っていた。
いつものように窓際に立っている。ふわりと揺れた髪が落ち着いても、彼女の目は見開かれたまま俺を見ていた。ドスドスと近づいてゆく俺から目をそらすことは無かった。
この部屋に飛び込むまでは、ディーナに話すことが溢れるほどに脳裏に浮かんでいた。しかし、実際に彼女を目にした途端、頭は空白になり何を言えばよいか全く分らなくなってしまった。ドクドクと心臓は鳴り、息が苦しくなるほどだった。名前を呼ぶことも出来ない。
彼女の両肩に手を置いた。つぶらな目が俺を見上げている。たまらずグッと抱き寄せた。柔らかな髪を撫で、俺の胸の中に彼女を閉じ込める。
これから、何かが変わるのか? 俺たちは変われるのか? より良く変わるには、俺を何をすればいい。何と言えばいい。
答えは見つからないのに、気が付けば唇から言葉がこぼれ出ていた。
「その愛に この身を捧げ 祈りを重ねましょう……」
自分でも驚いた。
それは、森で聞いたディーナの歌の一節だった。何故今、それを思い出したのか。
腕の中でディーナがグイッと動いた。両手を俺の胸に押し当て体を反らせるようにして、見上げてくる。大きく見開かれた目が何度も瞬きし潤んでいた。赤くなった目尻がなんとも愛おしかった。
ゆっくりと彼女の唇が開いてゆくと、俺の心臓はまた跳ね上がる。
俺に言葉をかけてくれるのだろうか……。
期待に胸が踊ったその時、ヒュンと空気を切り裂く音が耳をかすめていった。
俺の頭上を飛び越して、部屋の奥に矢が突き刺さった。ビビン……と黒い矢羽が震えている。
敵襲――?
咄嗟にディーナを床に抑えこみ窓の外を伺うと、既に臨戦態勢を取った部下たちが櫓に登ってゆくところだった。
砦の塀の向こう、遠くに敵影が見える。
それは地平を埋め尽くすような圧倒的な数量の軍勢だった。
「……なぜだ……」
上位王を孤立させるべく幾多の策略を練り、機は熟したと確信までしていたというのに。
俺は砦に正対する軍勢の中に、南の王、西の王、東の王の旗印を次々に見つけた。忌々しいことに、この北の部族連合に所属する一族の旗印まで、大群の中ではためていた。
ギリギリと歯噛みして睨むも、俺の考えていた勢力図とは全く反対の事象が目の前に広がっているのだ。
何が起こったのか、どこで間違えたのか、分からない。
だが、負けたことだけははっきりと分かった。
南の王の使者など来ようはずもない。俺はもう負けていたのだ。一体いつの間に。
ここで打って出ようが留まろうが、勝ちはない。
俺は、大黒熊のグエンはついに地に堕ちたのだ。
何ともあっけない終わりではないか。無様な負けっぷりだ。騙したはずが騙され、裏切られたのだ。
俺の後ろでディーナが息を飲むの聞こえた。青い顔で震える彼女の腕をとり立ち上がらせた。抱き寄せて髪を撫でた。
「どうやら、俺の命運は尽きたようだ……」
俺がつぶやくと、ディーナがブルルッと震えた。腕の中で身を固くして震え続ける。
おおおぉぉぉぉ……
風が鬨の声を運んできた。敵陣営からは士気の高さが伺われ、惚れ惚れするほどに勇ましい。
ゆっくりと近づく上位王の旗印を掲げた一群に目を奪われた。
「なかなかどうして、したたかな男だったのだな……」
侮っていた自分を嗤い、まだ見ぬ上位王に胸の内で賛辞を送る。
彼が上位王となったと知るや否や戦を仕掛け味方を奪ってやったのに、王となって僅か三月の男がそれを鮮やかにひっくり返した。
相当に頭が切れ、人をたらしこむのが上手い男なのだろう。
武一辺倒の俺とは違う人間像を想像した。
バタバタと足音が部屋の中に入ってくる。
腹心のダレンの顔も色を失っている。
「グエン様! 上位王の使者が門前で降伏を勧告しております! 北の王の英断を望むと、不要の血を流す愚は犯されるなと……」
「なるほど、一族皆殺しはせぬと言うことか……」
「……はい」
「では、言葉に甘えようか」
「!!」
ダレンが眉をしかめて俺を見た。それで良いのかと問うている。
これまで、負けることは死に値する屈辱として生きてきた俺を、信じられないという目で見ていた。
片腕で抱いたディーナが、ギュッと俺の腕を掴んでいる。大きな瞳を見開いて俺を見つめているようだが、視線は落とさずダレンを見据えて俺は言った。
「火の塚の一族は、上位王に全面降伏する」
「グエン様! それでは我らの意地が通りません!」
「意地があるのは俺だけだ。一族の総意ではないだろう? 俺にこれ以上愚か者の謗りを与えてくれるな。降伏を伝えろ……そして俺のチャリオットを出せ。御者はお前に命じる」
「そ、それは……」
「降伏には俺の首が必要だ。だが安々とくれてやる気にはなれぬ……道行を共にしてもらえるか?」
ダレンの目尻が赤くなる。握った拳がブルブルと震えていた。
食いしばった唇から、ようやく言葉を絞り出した。
「光栄でございます!」
高らかに叫び、ダレンは退出した。
そして俺はもう一度、窓の外を見る。
風にはためく無数の旗が、お前は何も得ること無く負けたのだと声なき叫びを上げている。
大人しく降伏さえすれば、火の塚の一族は生き延びることが出来るだろう。
一気に攻め込んでこなかったこと、無駄に多いとさえ思える圧倒的戦力を見せつけること、そして使者の勧告。これらから、戦意を喪失させ全面降伏させるための策だと理解できる。
人たらしの上位王は、皆殺しの殺戮王の名を被ることなく、味方の犠牲も最小限に勝つことを矜持としているのだろう。
空を仰ぎ、小さく笑った。
何に笑ったのだろう。自分でも分らず、澄み渡る空を見つめる。
「さらばだ。ディーナ」
ディーナをきつく抱きしめ、そしてすぐに部屋を後にした。