一章 三十二話
メノアが明日の朝に作る予定のデザートについて調べていると、相変わらずベッドの上にいたはずのラルフの気配がまた消えていることに気づいた。
ふと彼の方を見ると また集中して本を読んでいるのかと思いきや、本を開いたままベッドに伏せて眠っていた。
寝ている時でさえコイツは気配が消えるのか…
寝息すら聞こえない。
初めての城の生活。きっと疲れているに違いない、とメノアはラルフの方にあるランプを消し、自分のランプの明かりを弱めた。
あともう少し調べ上げたら俺も寝よう…
メノアもベッドサイドのテーブルへランプを移し、ベッドに伏せて本を捲った。
どのくらいの時間が経ったであろうか。
異様な気を感じてメノアははっとした。ベッドに伏せたまま寝てしまっていたようだ。
「う…ぐ…」
そうだ、今日から相方が部屋にいるんだ、とラルフを見る。
苦しそうな息遣い。
顔も青白く、汗をかいている。
「ラルフ...?おい、ラルフ!」
夢でうなされているのなら一度起こしてしまったほうが良いだろうとメノアは声をかける。
が、ラルフは目を瞑ったまま苦しげに呻く。
「あ…が…はぁ…」
弱々しくラルフは手を口元にもっていこうとするが、その手は震え 口元に届く前に彼の胸の上に落ちた。
「ラルフ!」
何かの発作か?しかしなにかしら持病でもあるならロワなりコダなりが知っている筈。同室のメノアに知らされていない訳がない。
「ラルフ!大丈夫か?」
声が届いているだろうか。
メノアはラルフの首の下に腕を入れると静かに上体を起こそうとした。
「い…いやだ!!!」
途端にラルフはがばっと跳ね起きると全身を硬直させた。
目は恐怖に怯えて一点を見つめている。
「苦し…うぐ…」
ラルフの呼吸が荒い。
「大丈夫か、ラルフ。ラルフ!」
ぐらり、とラルフの上体が揺らぐのをメノアは咄嗟に受け止める。
自分の名前が呼ばれているのにやっと気づいてか、虚ろな目がメノアを見つめる。
「監視カメラが…追っ手が…逃げられない…」
ぜぃぜぃと呼吸の音が苦しげだ。
「大丈夫だ、ラルフ。もう誰も追ってこない」
震えるラルフを落ち着かせようとメノアは抱きしめた。
抱きしめることに躊躇を感じなかった。
そうしなければいけないような、自分からそうしたかったような。
自分の腕の中に震えるラルフを感じて初めて自分が人を抱きしめているという実感が沸いた。
俺が…ラルフを抱きしめている…
メノアの胸元を弱々しく握って震えるラルフ。
細い肩がかすかに揺れている。
…俺が…?
頭の中では困惑しつつも、メノアはぎゅっとラルフを抱きしめた。
「…大丈夫か、ラルフ?」
肩の揺れと呼吸が落ち着いたのをみて、メノアは腕の中で固まっているラルフに声をかけた。
「すみま…せん…」
小さな声でラルフはメノアの腕の中で俯いたまま答えた。
「いや…ラルフがどうなるかと思って怖かった…」
「すみません…ごめんなさい…」
ぽたり、と下にしずくが落ちる。
「泣くな、なにも謝ることない…」
そっとラルフの頭に手を乗せる。自分がこんなことできるなんて思ってもいなかった。と、自分の中のもう一人の自分が驚いている。行動に理由をつけるまえに体が動いている。
…これが素直ってやつなのか?と心の中でもう一人の自分が自嘲しているようだ。
「迷惑かけて…ごめんなさい…」
「驚いたが…迷惑とかじゃない。気にするな」
「でも…」
「うるせぇ、嫌だったらこんな事してない」
ラルフが言いたかったことが大体わかる。
人を寄せつけない俺がしっかりとラルフを抱きしめている。
落ち着かせるためとはいえ、嫌々やってると思われても仕方がない。
いや、俺だったら嫌々やるはずだった。
のに。
嫌じゃない。
「…嫌だったらもうとっくに手を離してる…」
相方だからだろうか?
落ち着いてきた脳が理由を探したがる。
いや、理由なんてもう本当は判ってるんじゃ?
いや、そんなわけがない。そんなわけがあるはずがない。
…気づいてはいけない…
頭で考えていることと、理性と、行動とは時に反することもあるんだな等と考えていると、ぐっと胸元をラルフに引かれた。
「僕…今まで独裁者の人形だったんだ…」
ぽつり、とラルフが言う。
コダから大体は聞いていたけれど…
「体に傷つけはされなかったけど、奴隷のようなもので…僕が従わないと関係ない人が殺されるかもしれなくて…あそこから離れられるこの日を待ちわびていたけれど、本当に逃げ切れるのかすごい怖くて…」
小さな声で押し出すように言うラルフの頭を優しく撫でる。
「嫌なことを無理に言わなくてもいい。忘れてしまえばいい…お前が戻されることはもうない。心配するな」
そうは言っても植えつけられた恐怖心はそう簡単には消えないだろうが…
「メノア…ありがとう…」
ラルフが顔をあげた。
その涙で潤んだ瞳と目が合った時には行動していた。
脳の片隅で警笛の音がしたような気もする。
それよりも、何よりもそうするのが当たり前かのように、メノアはラルフの頭を片手で押さえ彼の唇を塞いでいた。
「ん…!」
ラルフの瞳が驚いて見開かれる。
ほんの一瞬のキス。
ラルフの反応を見てはっとする。
俺は…俺は今何をした?
「す…すまん」
驚きのあまりか動かないラルフからメノアは手を離すと立ち上がろうとラルフに背を向けた。
「あ…待って…」
ぎゅっと背後で服を掴まれる感触を感じて止まる。
「悪かった…朝早く起きないとならないんだ、もう寝るぞ…」
ラルフが何かを言おうとする前にメノアはそう言ってラルフの手が離れたのを感じるとそのまま自分の寝床へと向かった。
ラルフの表情も想像つかない。
自分の感情もわからない。
今になって自分がした行動に必死に正当な理由をつけようと考える自分を…冷静なもう一人の自分が嘲け笑っているように思える。
後悔するならしなきゃいいのに。
でも、せざるを得なかった。
強制させられたわけでもない。
義務感があったわけでもない。
そうしたかったんだ。
そうしたかった…
この気持ちはなんだ。
ラルフに背を向け横になるが何かに気づいた自分の心臓がうるさくて寝付けない。
不毛な自問自答を繰り返す。
今日始めて会った自分のパートナーに興味があるだけだ。
今まで一人だったから、同室が気になるだけだ。
目の前で苦しがってたら助けるのが普通だろう…?
…普通だけど、抱きしめたいと思うか…?
…口付けしたいとおもうか…?
…きっと答えは判っている。
でも今日出会ったばかりで?
この自分が惹かれているのは予想外。想定外。
今の自分にはその答えを受け入れるだけの余裕がない。
いや、勇気がない…
自分が自分ではなくなってしまう。
ラルフには申し訳ないことをした…
冷静な時にもう一度謝ろう、と心に決め、メノアは眠れぬ夜をただ横になって過ごした。




