一章 一話
乾いた地。
漆黒の闇に散らばる星。
生気のない木々が、青白い葉を風に煽られ静かに揺れ、さららさららと歌う。
どこまで行っても闇の世界。
その闇の地に、ゆるり、と何かが産まれた。
闇が固まった、とでもいうようにそれは次第に形を変えた。
この星に、唯一生まれた「生き物」。
小さな闇の固まりはゆっくりと動いた。
「にゃぁ」
幾千の闇、万年の孤独の世界に生れ落ちたそれはあたりを見回した。
小さいながらも、その瞳には鋭い光。ビロードのような艶やかな黒い毛並み。ピンと耳をたててそれはあたりを見回すと、ひとつ伸びをした。背中の黒光りする翼が2、3度広げられた。
大きな「月」の薄暗い明かりが誕生を祝福する。
どれだけの時間が経ったであろうか。
一日も走れば一回りできそうなこの小さな星で、その獣は育った。
遊び相手は流れる小川、語り相手はそよぐ木々。
腹が減ることはなかったが、満たされることもなかった。
「自分」しかいないこの世界。
の、はずだった。
「ヒシリア」
それ、は声きいてふと止まった。
振り返ると闇月の淡い光を背にしたなにか。
「迎えに来たよ、ヒシリア」
生まれてはじめて見る、自分以外の生きているもの。
木の精霊から学んだ知識ではきっとそれは「女」だと思った。
初めて「音」で聞く「言葉」。
ヒシリア…それは自分のこと?
「女」はしずかに歩み寄るとそれ…ヒシリアを抱き上げた。
少し大きめの猫ほどに育ったヒシリアは抵抗するわけでもなく彼女を見上げた。
「まずはロワの祝福を」
そう言うとその女はヒシリアの頭に手をかざした。
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耳鳴りのような不快な音を感じたかとおもうと、その体は変化した。
艶やかな毛皮は引き、四肢が伸びる。
手足に違和感を感じる。
「う....」
「一人で立てそうかい?」
褐色の肌。黒い髪。黒い瞳。抱き上げられていたはずのヒシリアは、
弱々しくその女に抱きついていた。まるで子供が母に抱きつくかのように。
「う....あ?」
自分の手足をまじまじと見る。立とうにも、違和感があって足がふらつく。
「まぁ すぐに慣れるだろう。その姿のほうが都合が良いときもある。とりあえず…コレを…」
そういうと女は自分がつけていた黒いショールをヒシリアの腰に巻いた。
「ちゃんとした服はあとで準備させるよ」
放たれる「言葉」の音に慣れず耳に違和感を覚える。けど言葉は耳と同時に脳に響き、この女の意図していることが半端に理解されてゆく。
「おいで、私のかわいいヒシリア」
そういうと女は小さな子供の姿のヒシリアを抱きかかえ、ふっ、と消えた。
キン、と金属音のような高く不快な音と共にヒシリアは宙を舞ったような感覚に囚われた。ほんの一瞬の出来事。
抱きかかえられ、訳もわからずしがみつき…気が付いたら静かに波寄る湖の傍に女と共に立っていた。
『ここは…?』
海のようにおおきな湖の上には複数の月と無数の星。
ぼうっとヒシリアはそれを眺めた。
「あの一番右端にある小さな月が、今までお前がいた場所さ」
女はヒシリアが言葉を発せずともその瞳を見て話を続けた。
「いいかい、ヒシリア。お前がこれから向かうのはあの城門」
そういいながら女は湖とは反対を指差した。
湖畔にはまばらに木々があるものの、その指先には荒れ果て乾いた大地。大きな岩も無数に転がっているが、そのほかは何もない。
もちろん道もない。ただ、示された先に石造りの巨大な門が見えている。
「私は『つぎ』を迎えにゆく。すまないが色々事情があってすぐここを発たねばならなくてな…。その姿で歩きづらかったら元の姿にもどって行けばいい。この湖畔は安全だから、ゆっくりと向かいなさい」
そう言うと女はぽん、とヒシリアの頭に手をのせ、ひこりと微笑むと、キン、という耳障りな音とともに ふっ と消えた。
『……』
耳を澄ましても波の音とまばらに生える木々のざわめきしか聞こえない。
今までいたところのように、木々は語りかけてはこない。水も優しく歌わない。似ている世界なのに、全く違う世界なのを感じた。
『ヒシリア……って自分のこと…?』
再び一人になったヒシリアはドン、と尻餅をついた。
『っつぅ…』
慣れない姿で立ち続けるのは容易ではなかった。が、元の姿にもどりたくてもどうすればよいのかがわからない。
まじまじと、今の手足を見つめ、観察する。
『全然違う…』
よろよろと歩き、湖面に自分の姿を映す。さっきの女と似たような肌。
そして今までの自分とは全く違う姿。
しらずのうちにひとつため息をつくと、先ずは少し休もうと草むらを探し、ヒシリアは眠りについた。