君はどんな顔をしていた
今日から日記を始めようと思う。
なんてことはない、恋煩いの一環だよ。
ドン・キホーテ。
量販店だ。
大型量販店。
家電や、食材。
なんだかんだ揃っている。
田舎だったらDQNが溜まっていることで有名なのだけれど、
都会は全然それとは違って。
綺麗だ。
僕は、ただのひきこもり。
正しく言えば、なんてことのない、落ちこぼれ大学生だ。
大学生なのだけれど。
もう一年近く、学校に通っていない。
どうやら、僕が大学生でいられるのは、今年までらしい。
再三の最後通告にも応じなかった僕は、
今年いっぱいで大学をクビにされてしまう。
世に言うフリーターというやつだ。
いや、ニートと言ったほうが正しいのだろう。
僕はたぶん、アルバイトなんてできやしないのだから。
そうだ。
話を戻そう。
僕には好きな女性がいる。
それは、ドン・キホーテの店員だった。
5個のレジに無作為に通されるから、
その人の笑顔を見られる確率はとても少ないのだけれど、
僕はいつも水を二本、ドン・キホーテに買いに行った。
彼女の笑顔だけが、僕の楽しみだった。
鬱で死にたい時、
彼女の笑顔だけが、
僕を優しく包んでくれた。
帰り道、僕は泣いた。
さめざめと、一人で泣いた。
笑顔が優しかった。
僕は誰にも愛されない。
そんなクソみたいな存在だから。
彼女が欲しい。
心の底からそう願った。
でも僕のような根暗な男は、
そう思うだけでなにも出来やしないのだ。
そういう風に、世界は出来ている。
(中略)
毎日毎日うだうだ考えていることに疲れた僕は、
思い切って彼女に話しかけてみることにした。
僕は久しぶりに他人と話すので、
家で一人で発声練習をした。
あ、い、う、え、お
なんだか、音程がおかしい気がする。
音の強弱が付けられない。
ろれつが上手く回らない。
十日は、誰とも口をきいていない。
両親からの電話も出ることが無かったから、
最近はぱったりと途絶えた。
そういうものなのだと思って、僕はなんだか寂しくなった。
僕には妹と弟が居たけれど、
今は生きているのかさえ知らない。
どうでもよかった。
誰も僕を愛してくれないなら、
僕も家族を愛するのはやめた。
その日は、降りしきる雨だった。
ドン・キホーテの前にも、
傘が売られていた。
少し前までこういう傘は100円と相場が決まっていたビニール傘も、
今では平気で5,600円取ってくる。
嫌な世の中になったものだと僕は辟易した。
今日は空いている時間を選んだ。
彼女はだいたい月曜から木曜の昼の時間帯は、入っているのだ。
僕は彼女を見つけた。
やはり美しかった。
綺麗だ。
僕の物にしたい。
僕は、そんな俗物的な欲求を抑えられなかった。
哲学や宗教に興味があって勉強したのだけれど、
やはり僕はただの俗物でしかないということを、
思い知らされるだけであった。
悟りを開くことは出来なかったのだ。
彼女のいる列へ。
空いている時間だったので、スムーズだ。
「あの、いつも笑顔すごく素敵です、本当癒されてます。」
僕は思ったことをそのまま伝えた。
彼女は少し戸惑った表情を浮かべたような気もしないでもないが、
すぐに
「ありがとうございます」
そう笑顔で言った。
好きだ。
好きだ。
彼女だけが、僕に笑ってくれた。
少し欠けた八重歯が、可愛らしい。
小さなその背丈も、僕にはちょうどいい。
色白な肌も、凄く素敵で、
あまり大きすぎない綺麗な二重も、
とても僕好みだった。
帰り道、僕は浮かれていた。
あの憧れの彼女と、
一言だけでも会話することが出来たのだ。
これってなんて素晴らしいことなのだろう。
僕は、幸せ者だ。
心の底から、そう思ったのだった。
(中略)
僕は、ついに彼女に思いの丈を伝えることにした。
好きなのだ。
この気持ちを、行動で示したい。
僕は彼女にメモを渡すことにした。
それ以外、なんにも考えられなかった。
パソコンの排気音だけが響く部屋で、
僕はひたすら考えていた。
どうすれば彼女を僕のものにできるんだろう。
あの美しい笑顔を、僕の為だけに歪ませたい。
壊したい。
僕の手で、綺麗なものをめちゃくちゃにしてやりたい。
僕みたいな汚いゴミが、社会の塵が、
あんなに美しくて価値のある華をどうすれば黒く染められるのか。
僕には見当がつかなかった。
そして、インターネットをうろうろしていると見つけた。
「店員にメモを渡す。」
これだ、と思った。
これしかない。
この可能性にかけるしかなかった。
僕は、メモに書いた。
「あなたが好きです、よかったら連絡してください。」
電話番号と、
わざわざこのためだけに、
LINEを始めた。
友達なんて一人も居ないのだけれど、
やるしかないと思った。
インターネットで見た記事に、
「今はLINEが主流だから、LINEのIDと電話番号を書け」
と書いてあった。
それしかない。
僕は、やるしかなかった。
なんていうことのない、ある日の午後。
僕が彼女と話をしてからちょうど一週間と言ったところか。
僕は、また彼女のレジへ水を2本持っていく。
「こんにちは」
店員口調で彼女が話す。
水を小気味良いリズムでバーコードで読み取っていく。
僕はメモを置いた。
彼女はそれに気付き、
「あの、これ、落ちましたよ」
優しく笑いかけてくる。
ああ。
「いや、それ落としたんです。
中身見てから捨てて下さい。」
僕は小声でいった。
ちゃんと話せていただろうか。
何度もシャドーイングした。
言えるように、練習した。
噛んだような、スムーズだったような。
その後彼女の顔も見られずに、
逃げ帰るように帰った。
走っていた。
僕は動悸が激しくなっていることに気が付いた。
当たり前か。
卒倒しそうなくらい、緊張していた。
もうだめかもしれない。
彼女が欲しい。
僕の物になってほしい。
切に、そう願った。
8/16
「なるほど。
ありがとうございます。」
シンとした空間に、
先生の声だけが響く。
「そうですね…。
息子さんは、やはりこの女性への愛情故と言いますか、
そういった形で自殺なさったのかもしれませんね。」
至極当たり前のことを言う人だと思った。
私はこの女が許せない。
私がおなかを痛めて産んだ子なのだ。
なのに、どうして。
こんなわけのわからない都会で死んでいるのだろう。
「ありがとうございました。」
私は一礼して、部屋を出ようとする。
「お母さん。」
先生が私を呼び止める。
「あまり、思いつめないでください。
息子さんは、決して良い死に方では無かったと思います。
ですが、その女性に出会わなければ、或いはもっと前にこのような形で世を去っていたのかもしれません。
それは、誰にも分からないことです。」
静かな声で話す。
嫌だ。
「ですが、ですが。
その女性がもし、もし返事をしていたら、
息子はこんなことにならずに済んだんじゃありませんか!?」
私は声を張り上げてしまった。
感情的になっている。
いけない、いけない。
私とて、精神が強い方ではなかった。
今はお薬でコントロールもしている。
先生のところに、ちゃんとあの子が通っていれば…
先生の方から、あの子にアプローチをしていてくれれば…
「お、落ち着いて下さい。
そんなに声を荒げなくても、大丈夫ですから。」
先生は諭すように様々な言葉を並べるが、
私の耳には何も入ってこなかった。
部屋を出て、そのままホテルに帰った。
茫然自失とは、このことだろう。
私の頭の中はからっぽだった。
何も、考えられなかった。
8/17
たしかに、現場を見た。
見たのだろうか。
憶えていない。
ただ、実家から持って行った机があって。
何か色々あって。
あって。
私はどうやら少しめまいがして、外に出たらしかった。
そこにはもう死体は無かったらしいのだけれど、
息子は、変わり果てた姿だったそうだ。
部屋は荒れ放題だった。
そこに、遺書があったらしい。
「ごめんなさい、生きているのも無駄な気がするので、
ここで死にます。」
そう書いてあった。
それだけだった。
私へのメッセージは、一言も遺されていない。
私が行くと、決まって留守だった。
連絡をすると、部屋にいない。
連絡をしないでいくと、部屋にキーチェーンが掛かっていて入れない。
私は、避けられていたのだ。
なんで?
あの子は、なんでああなってしまったのだろう。
私には、検討もつかなかった。
あの子がおかしくなりだしたのは、確か中学の頃だったか。
私立に行かせたのが間違いだったのだろうか。
私は、間違っていたのだろうか。
あの頃は、学校で一人聖書を読むのが趣味だったそうだ。
変な子だと思ってはいたけれど。
まさか、こんなことになるなんて。
なんとも言い表せない感情の渦が、
渦巻いて、渦巻いて、複雑に絡み合った。
私は、これからどうすればいいのだろう。
誰か助けてください。
誰か、助けて。
今日から、日記をはじめることにする。
特に理由なんて無いのだけれど、
強いて言えば、毎日が暗かったからかな。
こうして死んでいくのって、なんだか寂しいって思ったから。
来る日も来る日も働いて。
私はこうやって年を取っていくのだろう。
逸脱することも、
調和することも、
少し出来ずに、
ズレたまま、
世間といがみ合って生きていく。
それがどうやら私の人生らしい。
「おはようございます。」
今日も私が笑っている。
気持ちが悪い。
気味が悪い。
どうして私が笑っている。
分からない。
そう教えられたから?
前のアルバイトは、スターバックス・コーヒーだった。
お局がウザすぎて、半年で辞めてしまったけれど。
あの時は華やかに見えただろうか。
今よりか、幾分かは。
手紙なんかも、よく渡された。
大抵は捨ててしまったけれど、
好みの男性だったら、一応読んだりはした。
気分が良かった。
悪い気はしなかった。
私だって、チヤホヤされるのは嫌いじゃない。
(中略)
今日、
気味の悪い男の人に話しかけられた。
そんなことはよくあるのだけれど、
あの人はなんというか、目が据わっていて、
殺人でもしそうだった。
いつも水だけを買っていく客だということは知っていたけれど、
話しかけられてみて、改めて不気味さを感じた。
怖い。
ちゃんと私は笑えていただろうか。
恐怖心でいっぱいだった。
休憩の時、
後輩の山下くんと話した。
「え、あいついつも新沢さんのレジ並んでないっすか。」
山下くんも知っていたらしい。
なんだか気持ちが悪くて、
よく覚えていたんだそうだ。
ただ気持ちが悪い学生なら、腐るほど居る。
でも彼は、その中でも一線を画した才気を放っていた。
なんといえばいいのか、分からないけれど。
(中略)
手紙を渡された。
久しぶりだったのに、
例によって、あの気味が悪い人だ。
すぐに捨てようかと思ったけれど、
山下くんに話すと、
面白がってそれを受け取っていった。
どうなろうと知ったことじゃあない。
私はこれ以上彼と関わりたくなかった。
「絶対恨まれるようなことしないでよ。」
私は釘を刺しておいた。
しばらく経って…
怖かった。
彼が怖かった。
殺されるのではないかと思った。
気安く山下くんに渡してしまったことを後悔した。
すぐに捨てておくべきだった。
怖い。
私は仕事が終わると、
すぐに山下くんに連絡した。
彼は先に上がっていたからだ。
「え、なんもしてないっすよ、大丈夫です。」
と返信が来たが、
イマイチ彼を信用出来なかった。
大丈夫だろうか。
私は、一抹の不安を残したまま、
今日は、眠りにつくことにしよう。