声
結局ミルカは遺失機械の力を引き出す方法を聞くタイミングを逃し、そのまま狭い部屋で眠る羽目になった。
なかなか寝付けないでいると、レヴィが部屋を抜け出す気配がしたが、そのまま眠ってしまった。
朝日の眩しさに目を開ける。
訓練に間に合う時間か時計を確認すると、起きる予定より15分程早かった。二度寝しようかと思ったが既に、白に近い灰色の髪をした少年が目の前で服を着替えている。
「おはよー」
「あ、お、おはよう、ございま……」
最後までちゃんと言えなかったことが悔しかったのか、ウェルはまた下を向いている。
気にすんな。と意味を込めて背中を軽く叩いてやると、ウェルは少し元気になったようだった。
くるくると渦巻いた髪にブラシを通して、綺麗に整えようとする姿は几帳面さを感じさせる。
それに比べてイビーは寝癖を少し整える程度で外に出てしまう。
「やっぱ気にした方がいいのかな?」
その声に対して不思議そうな顔で見つめてくるウェルに、
「こっちの話」
そう答えた。
朝6時ホールにて全員集合とのことだったが、36番隊では案の定例の劣等生が遅れている。
リリアは小隊長にして同室のルームメイトでもある為、別室に呼ばれて昨日とは別の指揮官に叱られているらしい。
「ごめん。遅れちったあ」
20分程遅れて彼女はやっとホールに現れた。
「何してたんだよ!お前今朝部屋にいなかったんだろ?リリアが代わりに叱られてんだぞ!」
「あ?そーなのか?」
能天気な返事にイビーは顔が熱くなるのを感じた。
「お前なぁ」
柔らかい手が拳を抑える。ミルカだ。それでだいぶ冷静さが戻ってきた。
「レヴィさん。流石に理由を言ってくれないと困っちゃいますよ。私たち今朝レヴィさんのこと捜してたんですよ」
「アタシ誰かと一緒にいると寝つけないんだわ。だから寮の食堂で寝てたんだよ」
それを聞いて全員口が開いた。
「1日目は耐えたんだけどねえ。昨日は無理そうだったから全然違うとこで寝てたら食堂のババアに捕まっちまって、今朝の飯作んの手伝わされたんだよ……」
「朝飯の時間まだだぞ。それで時計見忘れて遅れたとか言うんじゃねーだろうな?」
ミルカは少し呆れたような目でレヴィを見ている。
「食堂のババアに聞けばアリバイ成立だって……これマジだから」
いつもよりトーンが低い上に、不機嫌この上ない表情を浮かべた彼女にイビーはつい笑ってしまった。
「あ、あ、あの。リリアさん、に謝ってき、た方が、い、い、いいと思う……です」
ひとりだけ顔面を青白くしてウェルはそう言った。
「か、借り、とか作るの、い、嫌そう、だから」
「あーーー、アンタも意外と鋭いねえ。困った困った」
まるで困ってなさそうに彼女は言う。
「アイツに謝んの正直めっちゃ嫌なんだわ。リーダーなんだから仕方ねえって感じじゃねえか?」
「こら」
ぺちっと軽い音がしそうな勢いでミルカの右手がレヴィの額を叩いた。
この行動には流石のレヴィも驚きを隠せないでいる。
「な、な、な、何してるのミルカ!」
「怒ってるんです!」
他の隊員もこちらを見ている。指揮官がこの場にいないのが唯一の救いだ。
「魔女狩りいっぱいしたいならここでクビになる前にちゃんと協調性を大事にするんです!」
ぽかんと口を開けて美女は目の前のぽっちゃり体型の女を見下ろす。
「アンタほんと面白い」
そう小さな声で言った後、
「あのブロンドじょーちゃんは何処連れてかれたわけ?」
そう聞いてきた。
レヴィとリリアが別室から帰ってきて、昨日の続きが始まった。2人ともなんだか気まずそうな雰囲気で、今日はなんとなく気分が沈む。
「レヴィさん。先輩としてどうかアドバイスをお願いします」
ミルカに恐れは無いのだろうか?なんの抵抗も無く彼女は訊ねた。
「あのおっさん。声聞けって言ってただろ?」
そのあと彼女は何も続けなかった。なのにミルカはニッコリと微笑んで礼を言う。
「こ、声なら、ぼ、ぼ僕聞いた」
全員驚いた顔でウェルを見る。
「な、な名前を付けて、くれって」
注目されて緊張しているのか、そばかすだらけの頬が紅潮する。
「ぼ、僕お、思いつかなくて、一晩考え、ました」
「なんでそれ教えてくれなかったんだよー」
イビーが訊くと更に紅くなって、
「武器、に名前、つ、付けるのおかしくて、笑われちゃうって、お、お、思いました」
そう答えた。
「名刀には名前があるもんだろ?遺失機械も同じってことなんじゃねーかなー?」
「そうね!ウェルお手柄だよ!」
リリアの美しい手が少年の頭を優しく撫でた。イビーはちょっとだけ羨ましく感じてしまう。
「武器が気にいんなきゃ意味ねえぞ?」
レヴィはニヤリとまた嫌な笑顔を浮かべた。
「それに、ほんとは名前なんか付けなくても使える。アンタらは昨日ほんとはその武器を使えてたはずだ」
「どういう意味?」
レヴィは二丁の拳銃を手にした。
「本来の力を爆発的に発揮するのに必要なのが名称ってだけだ。昨日アタシは武器に名前を付ける前に人形に引き金を引いた。ワイヤーで人形を貫くことは出来たけど、電流なんか出やしなかったし、ワイヤーの強度もそこまで高くは無かったから、アタシの身体を支えることは出来なかったと思う」
銃に頬ずりしながら彼女は目を閉じた。
「こうやって聞くんだよ。武器と仲良くなればアンタらにだって出来るだろ」
「どうして急に教えてくれる気になったの?」
イビーが口を開く前にリリアがもう訊ねていた。
「おデブちゃんが言う通り、アタシはただ魔女を狩りたい。だからこの小隊で足を引っ張られるのは御免ってこと。それだけだ」
それを聞いて白服の美少女は口を手で覆った。
「アンタのことを嫌いなのは変わんねえからな」
リリアはそれでも嬉しかったようで、幸せそうに微笑んだ。
「ちなみにアタシのは蜘蛛婦人って名前を付けてやったら喜んでくれたよ。まさしく私だってね」
そう言って彼女はまた人形の所にひとりで行ってしまった。
「何だかんだ言っていいとこあるじゃん。あいつ」
イビーが言うと、ミルカが頷いた。リリアはビックリしているのか呆然としたままだ。
「ミルカのお陰だよね」
「え?」
少しだけ悲しそうな顔をして彼女は呟いた。
「いや、なんでもないの!ありがとね!」
リリアは長い睫毛を伏せてから微笑む。イビーは少しだけ不安になった。
「で、ウェルはなんて名前付けたんだよ」
「あ、は、は、恥ずかしい、ですから……」
「でも、名前呼んであげないと結局使えないんだろ?」
ミルカがそっと気弱な幼馴染の手を握る。
「私たちも名前付けるんだから、恥ずかしがること無いと思う」
「そ、そ、そうなの、かな」
ぽてっとした少女と縮こまった少年を眺めてリリアとイビーはすごく穏やかな気持ちになっていた。
癒しを得た所で、リリアが口を開いた。
「あんまり邪魔しちゃいけなさそうよね。私たちも武器の声聞かなくちゃ」
「そうだな」
内心ガッツポーズをしながらイビーは彼女と一緒に彼らから離れる。隣を少し見上げると、美しい顔が自分の武器とにらめっこしていた。
「あのさ」
「今は集中!」
イビーは彼女の姉のことが気になって集中出来そうになかった。リリアは復讐の為にここに立っているのだろうか。
「あ、なんか分かったかもしれない」
「え?」
上の空だったのが気づかれたのか、リリアは少しむくれている。
「目を閉じて武器に触れてると、なんか語りかけてくるの」
「え、あ、そうなのか?」
しっかりしてよ、と言いたげな顔で見てくる彼女だが、イビーはその表情にすら胸を熱くしている。目を逸らして軽く頷くと、彼も言われたとおりの行動を取った。
何も聞こえない。心臓の音がやけにうるさく感じてくる。聞こえない。自分の才能の無さに泣きそうだ。
「あ」
急に自分より年上らしき青年の声が頭の中で響いた。あまりに急で、動揺してしまう。
武器は自分から名乗っているような気がする。
「お前の名前、分かったよ」
「名前付けたの?」
リリアはキラキラした瞳で彼を見る。
「いや、自分から名乗ったんだ」
「自己主張の強い子だね」
おどけたような笑顔を見せる彼女は、自分のレイピアを握り直した。
「人みたいに個体差があるのかもしれないね。で、なんて名前だって?」
「こいつの名前は」
イビーは目の前の人形を見ながら拳を構えた。
「炎獄神!」
しん、と空気が静まった。大きな声を出した為、周囲がその声に驚いて静かになったのが原因だった。その上彼のナックルは全く反応しない。
イビーは顔を真っ赤にして、小さな声でナックルに話しかける。
「ちょっ……えっ……なんなんだよ」
リリアの笑顔がひきつるのを見て、更に彼は焦った。格好良く決めようとしたのがかえって裏目に出た瞬間だ。遠くでレヴィが笑い、ミルカとウェルがきょとんとした表情でこちらを見ているのが分かると、顔が熱くなっていった。
その瞬間だった。急激に拳が熱くなる。
「うわっ!」
イビーの拳から炎が噴き出す。熱を感じるが、それは心地よい温度で、手のひらを見ても火傷を負ってはいない。が、目の前の人形は焼けて焦げている。イビーは余計に混乱した。
「炎獄神!やめろ!」
そう叫んだ瞬間に鎮火する。
「す」
リリアの口が数秒後に開かれ、
「すごぉい!」
と、続いた。同時にその少女は思い切り少年に抱きついてそのまま何度も跳んで喜んだ。
「やった!すごい!すごいよ!」
周囲から冷やかしの声が上がり、この時から36番隊は注目の的になっていく。
「あの光景最高だったわ!」
何より楽しそうなレヴィに苛立ちながら、一緒にホールの隅に座ってリリアを眺める。
「まあ、思ったより優秀だったってことかねぇ」
「さっきからうるさいって」
苛立ちを隠せない状態で彼は呟いた。
「お前の炎獄神は、自分で名乗ったらしいな?」
レヴィを見ると少し険しい顔をしている。
「おう。みんな名前付けるとかで騒いでたから、なんでこいつは自分から名乗ったんだろ?って思ったけど、俺が普通に名前考えてもダサくなるだけだから楽で良かったよ」
そう答えると彼女は自分のその艶かしい唇に指を這わせて何かを考えているようだった。
「そんな変かな?」
「さあな」
レヴィはそれ以降話さなくなった。仲良くしてくれるかと思ったが、本当に足を引っ張られたくないだけらしい。そう気づいた瞬間から余計に空気が重く感じられた。
先程のイビーが参考になったのか、他の班でも少しずつ武器の能力を開花させているようで、リリアとウェルもそのひとりだ。
リリアは自分の手にもそのレイピアで傷を付けられないことに気づいたらしく、わざと刃物で少し指を傷つけ、白く発光する遺失機械を傷口に押し当てる。指の傷は塞がったが、名前が無い為に傷跡が残ってしまったようだ。
「ねぇ」
気づくとレヴィがいなくなっていて、代わりにリリアが駆け寄ってきた。
「名前考えてるんだけど、どれがいいと思う?」
彼女は綺麗な字で紙に候補を書き上げていく。少し楽しそうな表情でイビーにそれを見せながら首を傾げた。
「あ、この二番目とかどうよ?」
「林檎歌姫?どの辺が気に入ったの?」
この名前を童話か何かで見たような気がする、と告げると彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあこの子は林檎歌姫ね。よろしくね」
遺失機械の輝きが増した。再度傷跡に刀身を添えると、今度は傷が消え去っていく。
「よかった」
緊張していたのか、彼女はその場に座り込んでしまった。
「ウェルにも同じ方法をやってもらったら、血を刀にちょっと吸われちゃったらしいの」
そう言って奥の人形を指差す。そこには仲良し二人組の姿があったが、ウェルは自分の武器に怯えているようで、ミルカがそれを落ち着かせようとしている。
「だから、名前付けるの怖いんだって」
「あいつらしいな」
でも、それじゃいけないこともイビーは知っていた。多分ウェルも知っているだろう。
彼は刀型の遺失機械を手に取って、ぶるぶる震えながら何かを言っている。何回かそれが繰り返された後に、刀身に描かれた蔦の模様がはっきりと見えるようになった。どうやら更に深い彫刻になったらしい。
「意外と根性あるよなあ」
「やっぱり一族背負ってるんだよね」
リリアの呟きはもっともで、あの優しい少年が闘争から永遠に逃れられない事実も同時に語っているようだった。イビーは胸が締め付けられるような感覚に陥る。
「あっ!」
ウェルはそのまま緊張のあまりに気絶してしまったらしく、心配するミルカと一緒に医務室に運ばれていったようだ。
「集合!」
歯車に囲まれたホールの中心で男が叫ぶ。この男は小隊の指揮官でありながら、教官でもあると初日に自己紹介していた。
「明日から遺失機械の声を聞いた者のみ訓練を始める。あと3日で聞けなかった者にはマキナ機関を去ってもらう。小隊の組み合わせが変更になる可能性もある。心するように」
ふとミルカのことが浮かんだ。彼女だけあの黒い額縁の使い道を見出せずにいたのを思い出したからだ。嫌な予感しかしなかった。
ウェルが刀に蝙蝠令嬢と名付けたのを見て、彼女は安心した。それが大きな一歩になると思ったからだ。
幼い頃から彼はとことん優しかった。見た目にコンプレックスを持ち、何度綺麗になろうと努力をしても、いつも無駄になる彼女にだって変わらず優しかった。
灰色の縮毛を撫でながら彼女はそれらの思い出に耽っている。
そこにレヴィが歩み寄ってきた。
「ウェルは大丈夫ですよ?」
「ちげぇよ。アンタのことだ」
ミルカは丸い目を彼女から逸らさない。レヴィは近くから椅子を持ってきて、ウェルの眠る寝具の隣に座った。
「あと3日の内に声を聞かなきゃアンタはクビだ」
「そうですか」
ミルカは笑顔のままウェルの安らかな寝顔を眺める。
「そのときにはこの子を見守っててもらえますか?」
母親のような顔で彼女はそう言うと、レヴィの黒々とした瞳をしっかり見つめる。レヴィは少し狼狽えた。
「最初思いませんでしたか?なんでこんな太った、運動の出来なさそうな女がこんな所にいるんだろうって」
「そりゃ思った」
その答えにミルカは微笑んだ。
「貴女は嘘をつくけど、正直者だから好きです」
「あ?」
理解出来ないという風にレヴィは素早く瞬きした。
「私の両親は科学者で、私を実験台として投薬したんです」
レヴィは黙って頷く。
「それは頭脳面を強化する薬でした。でも開発途中で、確かに私は成績が格段にあがりましたけど、副作用が表面にこうして現れるようになったんです」
ミルカは表情を一切変えないままで、空気の重さを変えていく。
「食事は少食です。だから減らしたら命の危機だと言われました。毎日運動しています。でも、痩せれません。それどころか身体に負担をかけすぎて一度死にかけたんです」
巻き毛を撫でる手が止まった。
「ここから離れるということは、確かに知的好奇心を追求出来なくはなりますが、同時に寿命も長くなるということですよね?」
「アンタ悔しそうな顔してんぞ」
表情が変わっていたことに、言われて気づく。
「そうですよ。私悔しいんですよ」
本心を言った瞬間から胸に熱いものがこみ上げてくる。
「まだあと3日あんだろ」
レヴィは立ち上がってミルカの肩を叩いた。
「アタシはミルカを気に入ってんだ。諦めんじゃねぇよ」
見上げると、不器用な笑顔がこちらを見下ろしていて、彼女は足早にそこを立ち去った。
「初めて呼んで下さいましたね」
レヴィは一瞬立ち止まったが、振り返らずに颯爽といなくなってしまった。