出会い
「よし」
少年は自分の頬を叩いて気合を入れ直した。
今日は念願の魔女討伐隊入隊式の日。ずっとこのときを待ちわびていた。小さい頃から。
幼い頃魔女の侵攻によって自分の故郷は消えてしまった。両親も同時に失った過去はもう思い出したくもない。
戦争は20年近く続いていた。
人間と魔女の醜い争いは教科書の中だけではなく、現実のものだ。
魔女と人間は過去の世界では共存出来ていたという。そもそも彼女らが何故、何処から現れたのかは知られていない事実だった。
今は誰も知りたく無かったのかもしれない。彼女らは身内の仇にすぎない。その起点を知ることで哀れみを持ってしまうのが怖かったのかもしれない。
そもそも人間側の政権は魔女の侵攻に伴ってガラガラと音を立てるように崩れ落ち、指揮者を目指す者たちが争いを始めるような始末だ。
また、 子どもたちへの教育も論理的なものから肉体的なものへとすり替えられた。
数は人間より確実に少ない魔女だったが、多くの魔法の力は人間には驚異でしかなかった。
人間は怯えて暮らすしか無かったのかというと、そういうわけでもない。古い昔、魔女が現れた頃にこのことを予期した偉人が対魔法用武器を造り、地下深くに埋めていたのだ。
それらは遺失機械と呼ばれ、魔女討伐隊員たちの手へと渡った。今まで驚異でしかなかった魔女たちへの対抗馬となっていったのだ。
少年はボサボサの茶色い髪を少し撫でつけて深く息を吸い込んだ。
平均よりも少し小さい身長だが、実技試験ではちょこまかと動き回って試験官を翻弄し、見事に合格することが出来た。
褐色のサロペットには歯車のようなデザインが施されており、頭上には重そうな金色のゴーグルが乗っている。
大きめの青い瞳と少し低い鼻が、彼を幼く見せているが彼自身は18歳で、そう見られたことは今だかつて無い。
「にしても煙たいな……」
街のあちこちに遺失機械が発する蒸気が蔓延している。少年は少しむせた。
蒸気自体は人体に無害なのだが、田舎の養護学校から来たばかりで慣れないのだから仕方ない。
「君」
老人だ。
「さっきからキョロキョロして、迷ってるのかい?」
「あ、すみません。実は今日魔女討伐隊の入隊式なんですけど、マキナ機関にはどうやって行けばいいですか?」
「マキナ機関ならこのまま真っ直ぐ行くだけで着くよ。街のど真ん中にある大きな建物だからすぐ分かるじゃろう」
老人は薄気味悪い笑顔を浮かべながら近寄って来た。
「で、教えた報酬はくれるんだろうねぇ?新人さん」
「マキナ機関官僚って今のところ国のトップに一番近い所にいるって知ってます?」
老人は舌打ちして去って行った。少年は少し気分が良かった。
彼は数分後にはマキナ機関に到着していた。老人が嘘をついている可能性もあったが、それは無かったようだ。
マキナ機関の外側は歯車のようなもので覆われていて、とても高い為か見上げると首が痛い。
「入らないの?」
ブロンドの髪の少女が話しかけて来た。
軽くウェーブのかかった長い髪に長い睫毛。恐らく彼女も18歳なのだろうが、その美しさは群を抜いている。
女性特有の曲線も美しいのだが、綺麗であろうその肌は殆ど露出されておらず、白い長袖の上着に白いボトムスという、何処かの王子様をも思わせる不思議な格好をしている。
「もしかして同期の人かしら?」
「え?あ、俺は今年からここに入隊することになって……」
少女がいきなり手を掴んで来て、心臓が跳ねた。
「私はリリア。あなたは?」
「お、俺はイビーだ。よろしく」
「うん!よろしくね!」
リリアはやっと手を離した。多分世間知らずのお嬢様なのかもしれない。イビーはため息をついた。
入隊式ではマキナ機関官僚たちの有難くもくどくどと長ったらしい演説を聞く羽目になった。イビーは欠伸を堪えようと必死になっているが、隣に座っている少年は既に夢の世界の冒険譚を楽しんでいるようだ。
本当にこんなので魔女に勝てるんだろうかと思えるほど頼りなさげな寝顔に少し眠気が覚めた気がする。
いっそのこと自分も寝てしまった方が楽だろうか、と思った矢先、長い話が終わったようだった。
「おい。起きた方がいいぞ」
「え……あ、あ、あ、あり、がと」
とてつもなく弱々しい声で少年は言った。顔が真っ赤で見てられないくらいだった。
熱でもあるのかと思うくらい真っ赤な彼は、灰色の透き通った瞳に少し涙を浮かべていて、くるくると渦巻いた髪もそばかす混じりの肌も色素が薄く、今にも倒れそうだ。
「お前大丈夫かよ?」
小さな声で聞くと、彼も小さく頷いた。
「お喋りが、下手くそ、なだけで……す」
吃語が酷くて聞き取りづらいが、イビーにも意味は分かったので、放っておいてあげることにした。少しするとどうやら元に戻ったみたいだ。
「小隊を決める」
隊長らしき男がそう言った。
「名を呼ばれた者は、前へ出るように!」
200人近くは確実にいるであろう新人たちの前で彼はそう言った。読み上げる方も大変そうだ。
新人たちは大人しく後ろで手を組み、名を呼ばれるとはっきりと大きな声で返事をして歩み出た。それが討伐隊に入ったのだという実感を沸かせる。
「イビー・リヴァント!」
「はい!」
イビーも大きな声で返事をして前へ歩み出た。
「36番隊配属だ」
「はい!」
イビーは呼ばれた隊列の最後尾に並んだ。
一番前にいたのはリリアで、彼女も気づいたらしく、小さく手を振ってきた。顔が熱くなる。
「よろ、しく、お願いし、ます」
吃語症の少年が真後ろに並んで挨拶してきた。俯いてはいたが、笑顔を浮かべている。イビーは優しい顔で頷いた。
どの小隊も男女混合で5、6人で構成されている。
「先頭に立つ者がその小隊の隊長だ!」
あの世間知らずのお嬢様が?とイビーは眉間を寄せた。改めてリリアを見てみると、出会ったときとは違う大人っぽいしっかりした雰囲気が見て取れた。
「小隊内でミーティングだ!まずはお互いを知ることだ!」
その声を合図に各小隊は円を描いていった。
「私はリリア・ハーネット。みんな仲良くしてね」
人見知りとは一生無縁そうな明るい声でリリアが一声をきった。
「俺はイビー・リヴァントだ。よろしくな」
「チビ」
イビーの自己紹介を聞いて冷やかしの言葉をかけたのは茶色いハットにゴーグルを乗せた、肩までの長さに伸ばした黒髪の美女だった。
張り裂けんばかりの胸の谷間がレザーの上着から見えており、美しい脚がホットパンツから伸びている。リリアとは真逆にこちらは悪魔的な妖しさを秘めている。
「そういうこと言うのは……よくないんじゃないでしょうか?」
そう彼女に言ったのはお世辞にも可愛いとは言えない肥った女の子だった。
茶色の髪を後ろで結い、頭の上に小さめのシルクハットを被っている。
黒いコルセットで無理やりお腹を抑えているのが見るからに苦しそうだ。
先程まで隣に座っていた少年はおろおろとして何も言えずにいる。
「ちっちゃいからこそ俺は合格出来たんだ!そんなの気にしてねぇよ!」
というのはほとんど嘘だったが、煽られてすぐに怒るのはよくない。子どもの頃からの夢を打ち砕きたくはなかった。
「アタシはレヴィ」
黒髪の彼女が唐突にそう名乗ってニヤリと口角を上げた。
「レヴィよろしくね!」
リリアが慌ててにっこりと笑った。
「私はミルカ・コルトーです」
肥った女の子が名乗った。愛想がとてもいい様で、笑顔がとても特徴的で魅力的だ。
「ぼ、ぼ、ぼ、僕は……」
「ウェル・ガーネットだろ?」
口角を上げたままレヴィが見下ろしていたのは喋ろうと必死になっている少年で、当の本人は青白くなったかと思うと、細かく頭を上下に振っている。
「ガーネットって剣の達人の家系じゃねーか!」
青くなったり赤くなったりしているウェルは今だにコクコクと頷き続けており、まるでそういう人形みたいだ。
「はっ!頼りねぇな」
レヴィは確実に彼を鼻で笑っている。
「ストップ!これ以上やったら罰則になっちゃう!」
小隊長が止めに入ったお陰でウェルは助かったようだ。悪魔は口角を戻してそっぽを向いた。
「先が思いやられるな……」
リリアの小さな声はイビー以外には聞こえなかったようだ。
第36番隊。
これから始まるのは彼らの運命の話。