休憩室で終わらせよう
『コンビニから始めよう』を読んでいただくと、さらに楽しんでいただけるかと思います。
静まり返る病院は、昼間の騒がしさが嘘のようだ。
すり抜けていく風は冷たく、足を早めた。
今日は深夜勤、時刻は午前0時を少し過ぎたところだ。準夜勤さんたちは、まだあわただしく動き回っている。今日も忙しそうだ。
休憩室に鞄をおき、携帯を手に取る。
<こんな時間から、お仕事なんですね。頑張ってください!水曜日、楽しみにしてます。>
妙なことになった。
見知らぬ男の子にお礼を言われて、連絡先を聞かれ、適当にあしらうつもりが、店員さんからも、店長らしき人からも、他のお客さんからも、連絡先の交換を勧められ、なんだか笑えた。
けっこう、イケメンだっなぁ。
くるんとしてふわふわの髪はパーマかな、柔らかそうだった。背はあまり高くないけど、体のバランスがいいのかスラッとして見え、ニコッと笑ったときにパッと周りが明るくなった。
「平原さん、彼氏っすか?ニヤニヤしてますよ」
休憩室に入ってきたのは、外科病棟唯一の男性看護師の高井だ。
「そんなんじゃないって」慌てて携帯をしまう。その指摘が恥ずかしく、高井を見れない。
「またまたー、そんなんじゃないって言われた人が傷付きますよ。ましてや、聞いたのは男の子なんですよ」
「ないないないない〜、高井が男ってないわ」
「いや、相手の男にしてみたら、そこはちゃんと、彼氏なんですぅって言ってもらいたいところでしょ」
「いや、別に付き合ってとか言われた訳じゃないしね」ちらりとあの小さな背中が浮かぶ。
「平原さん、乙女っすね」
「え?そう?てか、そういう高井は佐倉ちゃんとどうよ。付き合ってるんでしょ?よく飲みに行ってるし」高井の痛いところをついてやる。
「ただの同期っすよ」
予想通りの返事がかえってきた。
「さっ、仕事仕事。あれ?丸野は?」
「まだ、みたいっすね」
もう間もなく始業時間だ。
「また、遅刻?」
高井が丸野の携帯に電話をかける。
「寝てました、後15分できます。先に始めますか」
朝の8時半から夕方5時15分が日勤。大抵、日勤と深夜勤務はセット。単発の日勤はちょくちょくあるけれど、単発の深夜はまず、ない。つまり、深夜勤務の前は日勤。
定時に帰れることは滅多にない。今日も7時を回っていた。丸野はもっと遅かっただろう。その五時間後、0時半から9時までが深夜勤務だ。
仮眠をとってもなかなか疲れは取れない。グッと眠ってしまうと、丸野みたいに寝坊しそうで心配だ。
年々、夜勤が辛くなる。
朝、日勤さんに申し送りを済ませると、ホッとして身体がだるさを増す。
うなじの辺りで一つにまとめた髪をいったんほどき、ぎゅっと縛り直す。
「平原さん、何か残ってますか?」
「あぁ、大丈夫。後、記録だけ。高井、終わったの。丸野は?」高井は仕事が早い。採血も上手いし、動きに無駄がない。
「丸野はまだまだっす」
丸野は反対。採血は苦手、一度に済ませればいいことも、あっちいって、こっちいって、バタバタしている。
二年目と六年目を比べたら酷か。
記録を終え、休憩室に入ると高井がのんびりコーヒーを飲んでいた。
携帯を取りだすと、メールが来ていた。
<今日、行けそう>
もう嫌だ。
いつも突然、ふらっとメールしてくる。
指先が冷たくなる。
でも、私は来ないでって言えない。
そんな自分が大嫌いだ。
「うるせー、ほざいてろ!チビ!!」
高井が吠える。
「何?どしたの?」
「こんな感じでどうっすか?返信」ニタリと笑う。
その言葉の真意が解らず、高井の顔をまじまじと見つめる。
「実は俺、超能力者なんっすよ。だから、うるせー、ほざいてろ!チビ!!っすね」
「高井…、知ってるの?」
「平原さん、メール見ながら、眉間にぎゅーとシワ寄せてますよ。昨日はニタニタしてたのに。」涼しい顔して言う。立ち上がり、流しでコップを洗う。
「知ってるの?」
質問には答えず、高井は言う。
「そろそろ、穴から出てきたらどうっすか?」
鞄を持ち、休憩室を出ていこうとする高井の袖を掴む。
「穴?」
「私って可哀想って穴」ニヤッと口元を歪ませ、挑むように見つめてくる。
「!!」
頭にきたのは一瞬で、すんなりと心に落ちた。
「あんた、嫌なこと言うわ」
体の力が抜けて、どかっと椅子に座る。
「平原さんは怒らないで、そう言うと思ってました。じゃ、お疲れ様でした。お先に失礼します」高井の背中を見送って、携帯を手に取る。
わかっていたことだ。
彼には妻子があり。それより大切なものはないということも。
付き合ってくれとか、好きだとか、そんな言葉をかけられたこともない。二人で出掛けることも、彼の話を誰かにすることもない。
彼は私の部屋にやってきて、
ただ、優しくささやくだけだ。
「綾音、会いたかった」と。
今日で最後と何度も繰り返し、
結局、断れない。
(私って可哀想の穴…)
あまりにもぴったりだ。
妻子のある人を好きになった私。
会うのをやめられない私。
すがり付けない私。
誰もいない休憩室でハハハっと声が聞こえる。悩んでいたのが、バカらしい。
でも、視界が滲む。
<もう会わない。連絡しないで>
さすがに、チビは無理でしょ。
送信…。
さようなら、私。
一応、おしまいです。
続編は思案中です。






