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■第4章 第4節:回る薬屋(中)

午前の対応が終わってから、白花の薬屋の中には静かな作業音だけが残っていた。扉は一度閉めてある。外の光は十分に入り、作業台の上を明るく照らしている。午前中に使った容器はいくつか空になり、乳鉢には薬草の香りがわずかに残っていた。シャーロットはそれらを順番に片付けながら、今日の流れを頭の中で振り返っていた。

昨日までと、明らかに違う。人の数が急に増えたわけではない。薬の効果が劇的に変わったわけでもない。ただ、すべてが少しずつ軽くなっている。動きに迷いがなくなり、作業台が揺れず、乳鉢で薬草が均一に潰れる。火の強さも安定している。その全部が重なった結果、同じことをしているはずなのに、疲れ方が違っていた。

「……午前だけなら、かなり余裕あるかも」

シャーロットがぽつりと呟くと、クロエは作業台の上を見ながら答えた。

「処理能力が上がっています」

「処理能力って言うと、なんかお店っぽいね」

「店です」

その返事があまりにも自然だったので、シャーロットは少しだけ笑った。

「そっか。店か」

もう何度も同じようなことを思っている。それでも、言われるたびに少しだけ不思議な気持ちになる。自分は薬屋になった。白花の薬屋という看板を出し、村の人が来て、代価を受け取っている。まだ大きな店ではないし、立派でもない。それでも、ちゃんと店として動き始めている。

シャーロットは空いた容器をまとめ、井戸へ持っていく準備をする。すると、クロエが一つを手に取った。

「洗浄を分担します」

「いいの?」

「時間短縮になります」

「ありがとう」

短いやり取りで、それ以上は何も言わない。クロエは必要な時だけ手を貸す。やりすぎないし、先回りもしない。その距離感は、最近になって少しずつ分かってきた気がする。

二人で外へ出ると、村の昼前の空気が広がっていた。午前の慌ただしさはもう落ち着いている。畑へ戻る人、家へ戻る人、井戸の方へ向かう人。それぞれが静かに動いていた。白花の薬屋の前を通る人が、看板をちらりと見てから軽く会釈する。シャーロットも同じように頭を下げた。

井戸のそばには、作業台を作ってくれた老人がいた。いつものように桶のそばで休んでいる。シャーロットを見ると、軽く顎を上げた。

「おう、薬屋。台はどうだ」

「すごく使いやすいです。全然揺れません」

「そりゃそうだ。揺れるように作っちゃいねぇ」

老人は少しだけ得意げに言った。

シャーロットは容器を洗いながら、素直に頷く。

「本当に助かってます。作るのが早くなりました」

「早いのはいいが、雑になるなよ」

「はい」

短い注意だったが、妙に重みがある。きっと、何かを作る人としての言葉なのだろう。シャーロットはそれをちゃんと受け取る。

クロエは横で無言のまま容器を洗っている。動きは淡々としているが、無駄がない。水を使う量も少なく、洗い残しもない。見ていると、自分よりずっと作業に向いているように思える。

「クロエ、こういうの上手いね」

「洗っているだけです」

「それが上手いんだよ」

「そうですか」

表情は変わらないが、否定もしなかった。

容器を洗い終えて家へ戻る途中、昨日乳鉢を持ってきてくれた女性とすれ違った。子供も一緒だった。子供はシャーロットを見ると、小さく手を振る。

「お薬屋さん」

そう呼ばれて、シャーロットは一瞬だけ足を止めた。

「……お薬屋さん」

自分で小さく繰り返す。

女性が少し申し訳なさそうに笑う。

「すみません、この子がそう呼ぶようになってしまって」

「大丈夫です。ちょっとびっくりしただけなので」

子供は特に悪びれた様子もなく、シャーロットの持っている容器を見ている。

「今日はお薬作るの?」

「うん、午後から作るよ」

「苦くないやつ?」

シャーロットは少しだけ考えてから答える。

「前よりは、少し飲みやすくなったと思う」

「ほんと?」

「たぶん」

それを聞いた子供は少しだけ嬉しそうにする。女性も安心したように笑った。

「昨日のものも、前より飲ませやすかったです。嫌がり方が少なくて」

「それならよかったです」

派手な反応ではない。でも、こういう反応の方が嬉しい気がした。すごい、と言われるより、飲みやすかった、続けられそう、と言われる方が店としては大事なのかもしれない。

家へ戻ると、シャーロットは洗った容器を布の上に並べた。水気を切り、乾くまで少し置いておく。その間に素材を準備する。袋から薬草を取り出し、状態ごとに並べる。クロエが横から少しだけ手伝い、良いものと普通のものを分けていく。

「……この分け方も慣れてきたね」

「基準が安定しています」

「私の?」

「はい」

シャーロットは少しだけ首を傾げる。

「自分だとよく分からないけど」

「以前より迷いが少ないです」

「そっか」

そう言われると、たしかにそうかもしれない。最初は何となくで選んでいた。今も何となくではあるが、その中に少しだけ基準ができている。色、香り、葉の張り、触った時の感触。全部を言葉にできるわけではないが、前より分かる。

作業台の前に立つ。乳鉢に薬草を入れ、ゆっくりとすり潰す。力を入れすぎないように、均一になるように。以前なら適当に潰していたところを、今は少しだけ意識している。

「これ、潰しすぎない方がいいよね」

「はい。香りが強く出すぎます」

「だよね」

乳鉢から金属容器に移す。水を加え、火にかける。火の強さは弱め。ゆっくりと温める。泡が立ちすぎないように気をつけながら混ぜる。

昨日までなら、このあたりで少し手が忙しくなっていた。火が強すぎないか見て、容器が揺れないように支えて、素材が沈みすぎないように混ぜる。その全部を同時にやっていた。

今は違う。作業台は揺れない。火は安定している。乳鉢で均一に潰した素材は、水の中で偏りにくい。だから、一つ一つに余裕がある。

「……これ、失敗しにくいね」

「環境による補正です」

「補正って言うと、なんか魔法みたい」

「道具の性能です」

「そっか」

シャーロットは少し笑いながら、液体を陶器の容器へ移す。冷ます間に次を作る。流れが途切れない。作って、移して、冷ます。その間に次の薬草を潰す。前より作業がつながっている。

いくつか作ったところで、シャーロットは並べた容器を見比べた。

色が揃っている。香りも近い。濃さも大きく違わない。

「……これ、いいね」

自然と声が出る。

クロエが確認するように見る。

「普通品より少し上です」

「少し上?」

「はい。市販の標準品より、効果の出方が早いと思われます。ただし大きく逸脱はしていません」

シャーロットはほっとしたように息を吐く。

「それくらいがいいかな」

「理由は」

「急にすごいの出したら怖いし」

本音だった。

今はまだ、この村で続けたいだけだ。目立ちたいわけではない。必要な人が来て、必要な分だけ受け取って、少し楽になって帰る。それくらいでいい。

クロエは少しだけ目を細める。

「適切な判断です」

「よかった」

シャーロットは次の素材に手を伸ばす。

午後の作業は静かに続いていく。外からは村の生活音が聞こえる。遠くで誰かが話す声、木を運ぶ音、子供の笑い声。王都のような喧騒ではない。生活の音だ。

その中で薬を作るのは、不思議と落ち着いた。

しばらくして、扉が軽く叩かれた。営業の時間ではないが、急ぎかもしれない。シャーロットは手を拭いて扉を開ける。

そこにいたのは、昼前に来た年配の男だった。手には小さな布袋を持っている。

「悪いな、今いいか」

「はい。どうしました?」

「さっきの薬、効きが安定してる感じがしたんでな。礼ってほどじゃないが、乾燥した薬草が少しある」

男は布袋を差し出す。

シャーロットは少し驚いて受け取る。中を見ると、確かに乾燥した薬草が入っていた。状態は悪くない。

「いいんですか?」

「家にあったもんだ。使えるなら使ってくれ」

「ありがとうございます」

男は軽く手を振って帰っていく。

扉を閉めたあと、シャーロットは布袋を見つめた。

「……また戻ってきたね」

クロエが答える。

「循環しています」

以前も聞いた言葉だ。

薬を渡す。代価が戻る。道具が戻る。素材が戻る。そうやって少しずつ店が続いていく。

シャーロットは布袋の中の薬草を選別し、良さそうなものを別に分ける。

「これも使えるね」

「品質は中程度です」

「十分」

特別な素材ではない。でも、十分使える。今の白花の薬屋にはそれが合っている。

午後の終わり頃には、明日の分として十分な量が揃っていた。昨日より無理なく、昨日より揃ったものができている。シャーロットは作業台の前で軽く伸びをした。

「……前より疲れてない」

「作業効率が改善されています」

「うん。すごく分かる」

同じ量を作っているのに、体が楽だ。手も痛くない。火に気を取られすぎることもない。これなら続けられる、という感覚がさらに強くなった。

シャーロットは完成した容器を棚へ並べる。今までより見た目も整っている。きれいに並んだ容器を見ると、少しだけ胸が温かくなった。

「……ちゃんと、店になってきたね」

クロエが静かに言う。

「はい」

その一言は、いつもより少し柔らかく聞こえた。

シャーロットは振り返る。

「クロエもそう思う?」

「思います」

短い答えだった。

けれど、それで十分だった。

外は少しずつ夕方に近づいている。光の色が変わり、作業台の木目がやわらかく浮かび上がる。そこには老人が作ってくれた手の跡があり、乳鉢には女性の家で使われていた時間があり、容器や火の器具には町まで歩いて買いに行った記憶がある。

全部が、今の白花の薬屋を作っている。

シャーロットは静かに息を吐いた。

「明日も、これでいこう」

クロエが頷く。

「はい」

その返事を聞いて、シャーロットは棚に並んだ薬をもう一度見た。

特別すぎない。

でも、ちゃんとしている。

普通より少し良くて、村の人が手に取れる値段で、続けられるもの。

今はそれでいい。

白花の薬屋は、無理なく回る形を見つけ始めていた。

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