恋多き王女ミルドレット
「夫に恋をしなさい」
ミルドレットの母は母親からそう言われて育った。
政略結婚をしたミルドレットの母は母親からの言い付けを守ったが、どこか悲しそうだった。ミルドレットの父は他にも妃がいるにもかかわらず、ミルドレットの母を壊れやすい宝物のように扱い、ただただ彼女一人に寵を向けていた。
それでも、ミルドレットの母は幸せではなかった。
世にも珍しい黒髪を持つミルドレットの母は、それ故にミルドレットの父と結婚するしかなかった。
いや、ミルドレットの父でなかったとしても、ミルドレットの母には政略結婚しか許されていなかった。
その髪の色の為に死を装って暮らすことすら難しく、ミルドレットの母は父親の決めた相手と結婚するしかなかった。
心に住まわせている人物と結婚できなかった黒髪の女は娘に言う。
「恋をしなさい。たくさん恋をしなさい。黒髪ではないあなたにはたくさんの未来があるのだから」
そう言って、ミルドレットの母は夫と同じ色の髪を撫でる。
ミルドレットは母に言われて、たくさん恋をした。幼い頃は花を髪に刺してくれた庭師たちや、こっそりお菓子をくれた厨房の者たちに。成長していくにつれて、相手は祖父や父親のような年代から同年代へと若返って、騎士や身の回りにいる使用人、王城に出入りする貴族の令息たちへと変わっていった。
庭師や厨房の者は歳の差や身分、ミルドレットの歳を承知していたが、若者たちはそうではない。
ミルドレットの侍女や女官たちは気が気ではなかった。王の寵愛を一身に受けている妃が産んだ王女さまが結婚相手に上げられてもいない若い男と恋仲になったなど、(物理的に)首にされてもおかしくない失態である。
侍女や女官たちに守られて、ミルドレットは誰もが羨むほど美しい娘に成長していった。
しかし、母が言ってくれたように恋をしてみても、虚しいだけだった。
いくら恋をしても、侍女や女官たちに相手を遠ざけられては進むものも進まない。
「ねぇ、テディ。お母様はたくさん恋をしなさいっていうのに、侍女たちが邪魔をして、ほとんどできないわ。これでわたくしは死ぬまでこの城で暮らすことになってしまうのよ」
幼い頃の想い人の一人である庭師にぼやけば、心地良い高らかな笑い声が返って来る。
「姫さんはこのように美しいんだから、そんなこと気にする必要はねえって。今はまだ姫さんの目に留まっていない者が姫様を城から連れ出してくれるさ」
老庭師も頷いた。
「そうとも。テディの言う通りじゃ。姫さんは美人だから、まだまだ気にしなくてもええ」
「でも、ゲイリー。この城に来る女性はみんな、結婚相手を探しているのよ? わたくしにはその機会もないのに、どうやってこの城を出ろって言うの?」
ミルドレットは恋した相手と仲を深める前に侍女や女官たちに邪魔をされて、気付くと夫探しに来ている令嬢たちや、城で働く女性と婚約してしまっていた。
そうなると、もうミルドレットの熱も冷める。ミルドレットの母は「恋をたくさんしなさい」と言った。「恋をして、結婚相手を見つけるのだ」と言った。ミルドレットの母にはそれが許されなかったから。
珍しい黒髪を持つミルドレットの母は、その珍しい容姿故に、父親から結婚相手を決められた。売られるようにミルドレットの父と結婚することになった。
義務と責任を教えられて育ったミルドレットの母は恋した相手がいても、それを誰にも明かすことはなかった。ただ、時折、寂しそうな表情を浮かべていた。
同じ思いをミルドレットにはさせたくなかった。
ミルドレットもそんな母の気持ちをわかっていた。
「いずれ、うまくいくさ」
「姫さん。時期を待つんじゃ。いい子にするのなら、儂のとっておきの薔薇をやろう」
そう言って老庭師がハサミで切ったのは、中心の色が濃いピンクで、外側が淡いピンクの八重の薔薇。花弁が楕円のように丸くなっているそれは老庭師が丹精込めて育てた城でも数株しかない珍しい品種だ。
「それはお母様の薔薇・・・。いいの?」
数が少ないからと、いつもはミルドレットの母にしか許されない貴重な薔薇を、老庭師はミルドレットに差し出したのだ。
「シスルさまにだけ陛下が許した薔薇じゃが、姫さんがいい子にしているのなら、お許しになるじゃろうて」
「なんと言っても、姫さんはシスルさまの娘だからな。王さまも特別に許してくれるさ」
テディとゲイリーは口々に大丈夫だと言ってくれるので、ミルドレットは安心した。ミルドレットの母は父のお気に入りだ。
ミルドレットの父は母の子どもであるミルドレットたちにも甘いところがある。母に許した貴重な薔薇を母以外が産んだ王子や王女が手に入れたのなら罰を与えても、ミルドレットの場合は最愛の妃の娘という理由で許されるのだ。
だからといって、ミルドレットは何でも許されるとは思っていない。
ミルドレットの母は王女として生まれ、嫁いで王妃となったが、娘もまた同じ人生を送れるとは思ってはいなかった。王妃になれたとしても、嫁いだ国が小さかったり、貧しければ王女だった頃よりも粗末な生活を送ることになる。臣下の妻となれば、自分よりも上の存在がいることをも受け入れなければいけない。
今は王女だが、結婚相手次第では父が許してくれた我が儘や与えてくれた贅沢な生活もおくれなくなるのだと、ミルドレットの母は娘を戒めた。
ミルドレットの母はたくさん恋をするように言いながら、その結果を受け入れるだけの心構えも娘に与えていた。
それ故に、母にしか許されない薔薇を欲しいと思っても、口には出さないだけの知恵を持っている。欲しいと匂わせて、誰かが処罰されないようにするだけの賢さも持っている。
「いいえ。その薔薇はお母様だけのものよ」
ミルドレットは恋に焦がれながら、今日も恋人を作ろうと頑張る。




