表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
集音路渉 花守り日誌【毎金更新中】  作者: つきや
第二章 暴れる空き地

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/37

第二話 土地の記憶

 久野嶋(くのしま)市役所の庁舎は、昭和の香りを色濃く残した鉄筋コンクリート造だった。

 外壁にはところどころ苔が浮き、掲げられた看板の文字も風雨で少しかすれている。だが、その年季の入り方が、この土地に根を下ろした歴史を物語っていた。


 渉と颯汰は、環境衛生課のカウンター前で足を止めた。


「こんにちはー。植物庁からの調査依頼の件でお伺いしたんですが……」

 

 颯汰が軽やかに声をかける。


 職員用のカウンターの奥で、書類の束を抱えていた青年が顔を上げた。

 まだ若い。背は高く、髪は七三に分けられ、Yシャツの袖をきっちりと肘まで折っている。

 一見して真面目なタイプ。けれど、その目は疲れよりも慎重さを宿していた。


「えっと……植物庁、ですか。ああ、例の空き地の件ですね。お待ちしてました」

 

 職員は名札を直しながら、丁寧に頭を下げた。

 

「環境衛生課の新井(あらい)です。書類には目を通してます。どうぞ、こちらへ」


 案内されたのは、課の奥にある簡易な応接スペース。パーテーションで区切られた二人がけのソファと小さなローテーブル。窓の向こうには、街路樹のナンキンハゼが葉を揺らしている。


「さっそくですが、例の空き地――あそこは昔、()()療養所があった場所です。ご存じですか?」


「はい、こちらへ伺う前に少し聞きました。解体されたのはいつごろですか?」

 

 渉が問い返すと、新井はファイルを一冊取り出して答えた。


「正式には昭和六十三年に閉鎖、翌年に取り壊し。今から三十年以上前ですね。その後は用途未定のまま、市の管理地として扱われています」


「管理って言っても、フェンスと生け垣だけって感じでしたね」

 

 颯汰が軽く笑う。

 

「草の繁殖がえぐかったっす。ナズナに侵略されてました」


「ええ、予算の関係もあって、定期的な管理までは手が回っていないんです」

 

 新井は申し訳なさそうに目を伏せた。

 

「実はあの土地、ちょっとややこしい事情がありまして」


「ややこしい?」

 

 渉が眉をひそめる。


 新井は頷きながら、ファイルの地図ページを開いた。

 

「これが現行の地番と用途区分なんですが……妙なことに、昭和初期より前の記録が抜け落ちてるんです」


「地番が飛んでる?」

 

「正確には、“地番の割り当て履歴”が一度途切れてる。以前の用途も、不明としか書かれていません」

 

 新井の指がページの余白を叩く。

 

「しかも、それを補うはずの古い地図が見つからないんです。災害による紛失、あるいは……まあ、よくある話ですが」


「でも、療養所の建設は記録されてるんですよね?」

 

「ええ。昭和十年に建てられたという記録があります。そのときに“新たに地番を振った”ような記載があるので、それ以前は別の用途だった可能性が高いと思います」


「墓地だったとか、そういう?」

 

 颯汰が冗談めかして尋ねると、新井は少しだけ笑って首を傾げた。


「そこまでは……でも、埋葬記録があるかもしれないので、市民課や旧保健所の資料室をあたってみてください。そちらは建築・土地課じゃなくて、もう少し古い文書を扱ってます」


「ありがとうございます。助かります」

 

 渉が礼を述べたそのとき――不意に、窓から外の風が吹き込んだ。

 

 ナンキンハゼの葉が一斉に揺れる。その中に、渉の耳だけが“別の音”を捉えた。


 ……わすす……れないここ……いたひ……かりな……いひとこ……ない……。


 声ではない、ただの風の中に混ざった、湿った(ささや)き。


 渉は一瞬、身体をこわばらせた。


「先輩……?」

 

 隣の颯汰が小声で呼びかける。気づかれてはいない、だが異変には勘づいたらしい。


「……大丈夫。ちょっと風で、目がくらんだだけ」


 渉は曖昧に笑いながら答えた。

 本当は、脳の奥に響く声を、まだ振り払えていなかった。


 *


 市民課の窓口は、高齢者の転居手続きと子育て世代の相談が入り混じる、にぎやかな空間だった。

 ファイル片手に職員が行き交い、プリンターがせわしなく稼働している。


 颯汰がカウンターに近づき、愛想よく声をかけた。

 

「すみません、土地の履歴について確認したくて。地番はこれで……昔、療養所があった場所です」


 窓口にいた女性職員は、にこやかに応じて資料を開いたが、次第に眉を寄せはじめた。

 

「ええと……こちらですね。確かに療養所の記録はあるんですが、それ以前の使用歴は……あら?」


 ページをめくる指が止まる。

 

「あれ、おかしいですね、土地台帳のこの部分、白紙です。……あれ、そもそも、ここに“前地番”の記録がない……?」


 渉と颯汰は顔を見合わせた。


「古い記録って、どこか別の場所に保管されてるんですか?」

 

 渉が問いかけると、女性職員は申し訳なさそうに言った。


「そうですね、もうひとつ古い世代の文書は、地域資料の一部として図書館か、公文書庫に移管されてるかもしれません。すみません、今ではこちらでは扱っていなくて……」


「いえ、ありがとうございます。助かりました」

 

 渉は丁寧に頭を下げた。


 市役所を出る頃には、陽はすっかり西へ傾いていた。

 灼けたアスファルトの匂いが、まだ空気の奥に残っている。


 *


 市立図書館の郷土資料室は、地下の一角にあった。

 年代別に並んだ棚には、手書きの地図、町村合併前の記録、廃村の風景写真、かつての葬祭制度に関する論文など、地方の生活史がぎっしりと詰まっている。


 颯汰が資料棚をひと通り見渡しながらつぶやいた。


「こういうとこ来ると、つい他のも読みたくなっちゃうんすよね……あ、あった。“昭和初期 土地用途台帳”」


 彼が抜き出した冊子を開き、ページをめくっていく。


「……うーん。昭和十年以降の記録は詳しいんすけど、それ以前……該当地番、載ってないですね」


 渉は別の棚で、空中写真のファイルを見つけていた。

 年代ごとの航空写真。白黒の粒子の粗い空撮画像が、地形の歴史をわずかに映している。


 「これ……昭和七年の写真。あの空き地、うっすらと四角い囲いがあるように見える」


 「建物?」

 

 「いや、むしろ……柵か、囲い地。中は暗く潰れて見える」


 渉がページを指さすと、颯汰も顔を寄せた。

 

 「……これ、木じゃない? 細かい点がいくつも……墓標とか、じゃなきゃいいけど」


 渉の脳裏に、一瞬だけ風の(ささや)きがよぎる。


《……わすす……れないここ……いたひ……かりな……いひとこ……ない……》


 喉の奥が熱くなる。渉はこっそりと目を閉じて息を整えた。


 *


 さらに足を運んだ公文書庫は、かつて市庁舎として使われていた古い建物の一角だった。

 カビと紙と鉄錆の混じった匂いが、内部に染みついている。


 案内された保管室の奥――目当ての地番を記した分類棚にたどり着いた二人は、しばし言葉を失った。


 「……この区画だけ、ファイルごとごっそり抜けてる」

 

 颯汰がつぶやく。


 棚にはちゃんとラベルが貼られている。“〇〇番地周辺(土地用途記録)”。

 けれど、肝心のバインダーは存在せず、代わりに入っていたのは「貸出中」の札一枚。


 「貸出簿、見せてもらえますか?」

 

 颯汰が管理室で申し出ると、対応した職員が首を傾げた。


 「えーっと……いえ、そのファイル、誰にも貸し出されてないはずなんですが……」


 「……記録がない?」


 「すみません。もしかしたら整理中か、どこかの箱に紛れてるのかもしれません。後日、改めて探してみます」


 渉は、何かに触れてはならない領域に近づいているような、妙な寒気を覚えていた。

 そして、草のざわめきの奥にあったあの“声”――。


《……きて……くれたき……こえる?……ひ……ときた……つた……えたい》


 無言のまま、渉は視線を落とした。

 埃をかぶった書架の、その空白が、何より雄弁に語っていた。


 *


 夜の大学研究棟は、昼間の喧噪が嘘のように静まり返っていた。

 古い空調の低いうなりが、どこか遠くで響いている。


 渉は自席のデスクに身をかがめ、今日集めた資料をひとつひとつ見直していた。

 市役所でもらったコピー、図書館で写した航空写真、公文書庫で得られなかった空白の記録。


 モニターの隅には、地形図を拡大した画面が開いている。

 等高線のわずかなゆがみ、川筋の変遷、かつて存在した道路や道標。

 どれも些細で曖昧な痕跡にすぎない。だが、積み重ねるほどに――"何かが「消された」"という感覚だけは、じわじわと確信に変わっていく。


 手元のノートにはびっしりと走り書きが並び、指先には鉛筆の粉が黒くついていた。

 何度目かのため息をついたとき、渉はふと、書類の束の隅に挟まっていた一枚の紙片に指をかけた。


 それは、桜の押し花で渉が作った栞だった。


 ――桜野町の桜……千年桜。


 栞に触れるたび、ほんのりと香るような気がした。

 かすかな記憶。

 春の風、陽だまり、あの声、あの手。


 「紗久夜(さくや)……」


 小さく名を呼ぶと、胸の奥に静かな痛みが走った。


 あの夜、花嵐の中で彼女が見せた微笑。

 人間と植物のあわいに立つ存在。

 記録にも、誰の記憶にも残らない、“あちら側”に属する者。


 けれど渉には、忘れられなかった。

 いや、忘れてはいけないと思っていた。


 そっと栞を閉じたノートに挟み直す。

 手元の資料に視線を戻すが、思考はすぐに別の場所へ引き戻される。


 (紗久夜が生まれた、あの千年桜。……もし、この空き地にも“誰か”が眠っているのだとしたら)


 思考はやがて、今日聞いた草たちの声と重なる。


 《……きて……くれたき……こえる?……ひ……ときた……つた……えたい》


 花ではなく、土そのものが記憶しているような感覚。

 押し込められ、声も名前も奪われた存在たちが、風の中で名乗ろうとしている。


 渉はノートを閉じ、椅子の背にもたれた。


 頭の奥がじんわりと熱い。

 言葉では説明できない圧が、じわじわと内側から膨らんでくる。


 (……もう、偶然じゃない)


 この土地には、何かがある。

 草花だけでなく、地形も空気も、あの場所全体が“思い出そう”としている。


 だけど、それを妨げる何かがある。

 公文書の空白、地図の途切れ、記録のねじれ。


 まるで、「知ってはいけない」と誰かに言われているような——。


 「……だったら、なおさら、調べるしかない」


 渉は小さくつぶやいた。


 再びノートを開き、空欄だったページに、新たな見出しを書き込む。


 《埋もれた記憶の構造》


 その文字をじっと見つめる渉の胸には、紗久夜の声と、空き地のざわめきが、微かに重なっていた。


 *


 翌週、渉と颯汰はそれぞれ手分けして調査にあたっていた。

 

 手がかりはあまりに少なく、道筋も不明瞭だったが、それでも進まなければ、あの声に応えられない。渉には、そんな焦りに近い感情があった。


 午前。

 まず渉が東京郊外に住む、小さな住宅街の一角に建つ古民家を訪ねていた。

 風に揺れる木製の表札には「大月地図研究室」と手書きの文字があった。


 呼び鈴の音に応じて出てきたのは、七十代半ばの、眼鏡をかけた細身の男性、大月正三(おおつきしょうぞう)だ。

 彼は素人ながら地図コレクターとして、その界隈では有名らしい。


 「昔の地図? それなら、まあ……うちには一通りあるつもりですが」


 渉が事情を話すと、大月は黙って頷き、奥の書斎へ案内してくれた。


 書棚には無数の紙地図が整然と並び、棚の上には巻物状の古地図、引き出しには縮尺違いの地形図や軍用地図が分類されていた。


 「久野嶋市の西縁、篠月町一帯……とくれば、昭和初期のこの地図が参考になるかと」


 古ぼけた地図を机に広げ、大月が指を滑らせる。


 「ここです。今は空き地になっているという土地、昭和十三年発行の地図には、“ニイ保養所”と記載がある。ただし、この表記は戦後すぐに消されて別の表記に変わっている。清和(せいわ)療養施設になってますね」


 「……なぜでしょうか?」


 「分かりません。ただ、これ以前の地図――たとえば明治三十年代の手描き地図を見ると、保養所どころか“建物”自体が描かれていない。とはいえ、当時の地図は用途によって描かれる情報がまちまちでしてね。特定の私有地や、()()()()()()()()()()()()()もあった可能性があります」


 別の地図には、薄い墨で描かれた林と道だけが記されていた。

 だが、その道の先に、地図の外へ続くように“印”が付けられていた。


 「これは……なんですか?」


 「“墓地”を示す記号のひとつです。ただし、役所が管理している正式なものではない。民間、あるいは私的に使われていた可能性が高い」


 墓地。

 それも“記録に残されていない”もの。


 *


 一方その頃、颯汰は久野嶋市内の古書店を間借りする郷土史家、多々良洋平(たたらようへい)という人物を訪ねていた。

 分厚い眼鏡をかけ、年季の入った背広を着た老人は、植物庁と集音路渉の名前を出すと「おお」と目を細めた。


 「保養所の話かい? あそこはな、昔は“結核”じゃなくて、もっと別の病が……いや、これは憶測だ。記録にゃ残っておらん」


 多々良はそう前置きしながら、棚の奥から何冊かの手記を取り出して見せた。


 「個人が残した証言録じゃ。戦中戦後にかけての土地の様子を書いたものだが……ほれ、ここ見てみ」


 開かれたページには、震える筆致でこう記されていた。


 ――《夜な夜な、あの丘のほうから、赤子の泣き声が聞こえた。誰も近づこうとはせなんだ》

 ――《火を焚くな、と言われた。あそこは“風が怒る”からと。子どもの頃は、柵の内側に入っただけで熱を出した》


 「……なんですか、これ……」


 「作り話にしては、何人もの手記で“場所”が一致しとる。不思議じゃろ?」


 颯汰は、笑っている多々良の横顔をちらりと見た。

 しかし、その目は笑っていなかった。


 *


 別行動した午後、渉と颯汰は合流し、地図と証言を突き合わせていた。


 「やっぱり、昭和の保養所が建てられる前に……なにかあったと考えるべきだね」


 渉は言いながら、スマホを手にした。

 地域の民生委員を通じて、昭和初期に生まれた住民に話を聞けることになっていた。

 


 翌日、ふたりは紹介された人物――九十代の女性・峯岸和子(みねぎしかずこ)を訪ねた。

 白髪をきっちりと結い上げ、澄んだ眼差しで二人を迎えた彼女は、茶を一口啜ると、ぽつりと語りはじめた。


 「ええ、あそこは昔、“お堂”がありましたよ。祠みたいな、小さな建物。けれど、誰も掃除をせんようになって、いつの間にか壊れてしまった」


 「それは、何のためのお堂だったんですか?」


 「わたしも小さうて、詳しいことは知りません。ただ、祖母が言うてました。“あそこには花を植えてはいけない”って。“うっかり根を張らせたら、封が解ける”って」


 渉と颯汰は顔を見合わせた。

 空き地に生い茂っていた、あの野草の群れが脳裏に浮かぶ。


 「封が……?」


 「ええ。あれは“埋めたもの”の上に、土を盛って……祠を置いたのだと。誰かを供養するためではなく、何かを閉じ込めるために」

 


 散らばったピースが、ひとつの図形を描きはじめる。

 空き地。かつて墓地だったかもしれない場所に、保養所が建てられ、いつしかそれも跡形なく消えた。


 地図に描かれなかった道、消された建物、語られない記憶。

 そして草たちの叫び。


 封じられた“なにか”が、いま再び声を上げはじめている――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ