第四話 四人の食卓と古都の夜気
ほのぼの、若者4人の話。
山間の夜が深まる中、渉たちは旅館風の宿舎の食堂に通された。
窓の外には、紅く染まった紅葉が夜風に揺れ、山霧のような夜気がかすかに漂う。
テーブルを囲むのは、渉・颯汰・楓の三人、向かいに瑠奈とフウという並びだった。
小さな木のテーブルには、湯気の立つ小鉢や炊きたての白米、香り高い味噌汁が並び、山間の静けさが食事の時間を包む。
「やっぱり京都の味付けは、優しいですね」
静かに渉が呟いた。
湯気の立つ茶碗を手に取り、白米を一口運ぶ。
味噌汁には薄く刻んだ九条ねぎ、白味噌のまろやかな香り。
口の中に、京都らしいやわらかな塩気が広がる。
「確かに。関東のとは塩加減が違うよなぁ」
隣で相槌を打った颯太は、丼の中の湯葉とご飯を、まるで腹ぺこの中学生のように勢いよくかき込んでいる。
「颯汰、そんなんで本当に味、わかってんの?」
その目の前でフウは、小皿の京あられを、興味深そうに指先でつまんでいた。
ぱりり、と小さな音がして、彼女は嬉しそうに目を細める。
「……音が、優しい。ここの空気に似ているね」
彼女は食べるというより、音や香りの一瞬を味わうように、あられをそっと掌で転がした。
その様子をフウの隣に座った瑠奈が頬を染めて眺めている。
「フウちゃん、可愛い……」
瑠奈が柔らかな笑みを浮かべて小鉢の煮物を取り分ける。
その仕草のひとつひとつに丁寧さがあり、渉は視線を引かれた。
気づくと颯汰も同じようにして眺めている。
一方で楓は何も言わず、ただ黙々と箸を進めていた。
表情も変えず、周囲の会話にも興味を示さない。味わっているのかどうかも分からないほど静かに、ご飯を口に運び、湯気の立つ味噌汁を淡々とすすっている。
その無関心さが、逆に場の穏やかさを引き締めているようだった。
窓の外では、紅葉した葉が夜風に揺れ、障子の影がゆらりと食堂に落ちていた。
ひとひらの葉が、ことり、と窓を叩く。
渉はその音に一瞬だけ目を上げ、息をひそめるように視線を伏せた。
そのわずかな仕草を、誰も気づかない。
「――そういえば、渉さんって、植物の声、聞けるんですか?」
湯気の向こうで、瑠奈が顔を上気させたまま首を傾げた。
その言葉に、渉の手が止まった。箸先から、ほのかに湯気が揺れる。
「……そう言われたことは、あります」
ゆっくりと、微笑みを浮かべながら答える。その微笑みは、いつの間にか身につけてしまった「これ以上踏み込ませないための盾」でもあった。
本当は、聞こえるのだ。 植物たちの震えも、色づく葉の溜息も。けれど、それをそのまま口にして「嘘つき」だと笑われた幼い日の記憶が、今も胸の奥で冷たい澱のように沈んでいる。
「へぇ……やっぱり本当なんですね。どんな声なんです? 高いとか、低いとか……」
瑠奈は興味津々で、身を乗り出すように尋ねる。
渉が言葉を探そうとしたその瞬間、低い声が割り込んだ。
「――水鏡、うるさい」
音が止む。 楓の箸が、膳をぴしゃりと叩いた。 瑠奈が肩をすくめる。楓は渉を見ようともせず、ただ静かに茶碗を見つめていた。その横顔からは何の感情も読めない。けれど、彼が発した遮断の空気のおかげで、渉を追い詰めていた視線の束がふっと霧散した。
「えっ……あ、ごめんなさい」
瑠奈が肩をすくめる。
渉は小さく首を振り、柔らかく微笑んだ。
「いえ、大丈夫です。……植物の声は、きっと誰でも聞こうとすれば届くものですよ。風の音とか、葉のざわめきとか。そんなかたちのない声を感じるだけです」
できるだけ穏やかに話したつもりだった。それでも場には緊張感が漂っていた。
瑠奈が「……素敵ですね」とだけ呟いて、湯飲みを両手で包んだ。
フウが、ぱりり、と京あられを指先で弾き、小さく笑う。
「ほんとだ。優しい音」
その言葉に渉は目を細め、外の気配へ意識を向ける。
夜風が枝を揺らし、ざわり、と音を立てた。
それは確かに、誰かが自分に応えるような声だった。
一方、楓は黙って渉を見ていた。
何かを言いかけて、唇を動かし――けれど結局、言葉を飲み込む。
ただ一度だけ、小さく息を吐いた。
窓の外の紅葉が、静かに散っていった。
その沈黙の奥に、彼の心のざわめきが隠れている気がした。
「そーいえば、ここって露天風呂あるんすよね?」
箸を置いた颯汰が、ぱっと顔を上げた。
その声に、渉と瑠奈も思わず顔を向ける。
張りつめていた空気が、少しだけゆるんだ。
「昼間に中庭の奥から湯気が出ててるの見て、あれ絶対いい湯だって思った」
颯汰が身を乗り出して言うと、フウが目を輝かせた。
「外のお風呂? 空を見ながら入れるの?」
「そうそう。夜は星がすごいらしい。山の中だから光も少ないし」
「わぁ……音も、澄んでるだろうね」
フウがうっとりと呟くと、瑠奈が微笑んだ。
「女湯のほう、行ってみようかな。月が綺麗に見えそやわ」
「お、じゃあ男湯も決定だな」
颯汰の軽口に、渉は小さく笑った。
「……そうだね。せっかくだし、疲れも取っておこうか」
湯気のように漂っていた静寂が、いつの間にか笑い声へと変わっていく。
外では風が枝を揺らし、紅葉がさらりと音を立てた。
それはまるで、山もまた、静かに笑っているようだった。
*
山間の夜は早い。
湯けむりが月明かりを受けて、白くゆらめいていた。
男湯の暖簾をくぐると、渉、颯汰、そしてなぜか楓の三人が並んでいた。
岩風呂からは、かすかに檜の香りが漂う。
「……楓さんも、入るんだ」
颯汰が思わず小声で呟いた。
楓はすでに湯の中、背を湯気に溶かしながら黙々と肩まで浸かっていた。
「颯汰、気にしすぎ」
渉が苦笑しながら湯に入る。
「こういう時も楓さんは静かみたいだね」
「いや、静かすぎるんっすよ……」
颯汰は頭をかきながら湯に沈む。
しゅわっと音を立てるように、緊張もほどけていった。
湯けむりの向こう、岩の上に腰かけて、フウが湯気を覗き込んでいた。
「お湯の音、きれい……。中、あったかい?」
「フウ、お前、入ったら溶けるぞ」
「え、溶けるの!?」
颯汰が意地悪っぽく言うのを渉が吹き出した。
「……たぶん、湯気になって帰るね」
「帰る!?」
外でフウが本気で驚いているらしく、その声に湯面が小さく揺れた。
瑠奈の笑い声が女湯の方から響いてくる。
「フウちゃん、こっちおいでやす。湯気の外なら大丈夫やわ。……見て、お月さんがお湯に溶けてるみたいで、めっちゃ綺麗どすえ!」
「ほんと? わぁ……音が響くね!」
その声を聞きながら、颯汰は肩まで湯に沈み、「……やっぱ、女子組は楽しそうだなぁ」とぼやいた。
「お前も十分楽しんでるだろ」
楓の低い声が返る。
「うわっ、喋った!」
颯汰の叫びに、湯気の中で渉の笑いが弾けた。月が湯けむりに滲み、笑い声が山の静けさに溶けていく。
その穏やかな空気の中で、渉の耳に空気が揺らぐような声が届いた。
――『……やっと……あえた……しゅうおんじ……わたる……』
「え?」
その声は、耳というより、胸の奥にある「何か」に直接揺さぶるような重みがあった。 渉は思わず背筋を伸ばし、夜の闇が深い山の方角へ目を向けた。
湯船に落ちた紅葉を拾おうとして、楓の指先と触れる。 楓の肌は、湯の温度以上に熱を帯びている気がした。彼は無表情のまま、渉の指に触れた葉をそっと掌ですくい上げ、じっと見つめる。一瞬、彼の赤い瞳が、夜の闇の中で一際深く、熱く燃えた気がした。
次回は来週金曜日更新!




