第一話 古都への旅
新章開始!
京都の山奥にある古都大学と柳研究室との交流会です。
東京から新幹線で約二時間。京都駅に降り立つと、渉たちは山間部へ向かうローカル線に乗り換えた。車両は二両だけ。観光客もまばらで、車窓の向こうには古い瓦屋根と神社の森が重なる。
ボックス席につくなり、颯汰は小さな木箱を両手で大事そうに膝へ置いた。
「颯汰……そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
笑いを堪えならが言うと、颯汰は肩をすくめた。
「分かってるけど……これ……ただの枝じゃないし」
木箱には、雪幻桃の生きたサンプル――鉢植えから数センチ切り取った若枝が収まっている。
炎の夜、颯汰の愛犬・きなこが咥えて助け出した、精霊加護の宿る枝。柳研究室の温室で挿木されてから、短期間で驚異的なまでの成長を見せ、この小さな枝ひとつにまで脈動のような生命反応が宿っていた。
今回は、この枝の解析を古都大学に依頼するための旅でもある。
古都大学には、精霊遺伝学の第一人者である寺角教授がいる。柳教授とは精霊研究黎明期からの同志であり、この交流会は、言うなれば「精霊を学問と信じる側」の集いでもあった。
「桃くん、あまり緊張していると雪幻桃にも伝わりますよ」
柳教授は読んでいる本から視線を移さずに、穏やかに声だけで言った。
「え?! 伝わるの……?」
「うん、伝わるよ、颯汰。雪幻桃、嬉しそうだったよ? 遠いお友達に会えるんだもん!」
フウの言う遠い友達とは、古都大学の裏山に立つ樹齢千二百年の古都紅葉のことだろう。
渉は木箱の中の雪幻桃に意識を集中させた。枝は静かに眠っているようで、トクトクと脈打つような、熱を持った気配。どうやら颯汰の緊張は伝わってはいないらしい。それでも彼を安心させようとして、教授とフウが言ってくれているのだ。
「それにしても、雪幻桃の枝を古都大学まで持ってく日が来るとは思わなかった……」
「寺角教授の精霊遺伝の研究は、僕らが追っている問題の核心に近いはずだから、きっと何か分かるはず」
「金城の加護の分解……あれの正体が分かるかもしれないってこと?」
パタン、と本が閉じられる音がした。
「ええ。そして――桃くん、君自身の覚悟も必要です」
「覚悟?」
「雪幻桃を受け継ぐ花守りとしての決意を、寺角教授に見せる覚悟ですよ」
花守り。
颯汰だけでなく、渉の胸にもその言葉は引っかかった。
「教授。その……花守りって、なにか特別な意味があるのですか? 実は、僕の祖父も昔、同じ言葉をよく言っていて……」
「集音路くんのお祖父様が、ですか……。であれば、無意識にその言葉を求めてしまうのも、無理はありませんね」
「えっ……」
教授は祖父を知っている? 祖父からは色んな話を聞かされたが、教授の話を聞いた記憶はない。いや、思い出せないだけかもしれない。
顔を上げ視線を戻すと、教授は少し考えるような遠い目をしていた。そしてゆっくりと「花守りとは――」と言ったところで、「わぁ! あそこ、葉っぱの精霊さんが風に乗って踊ってる!」とフウの声に遮られた。
興奮気味に手招きするフウ。
窓に張り付くように外を眺めている。渉はクスッと笑みをこぼしながら、フウの横に顔を近づけた。
一枚の紅葉が不思議な軌跡を描きながら舞い上がり、風に逆らうように回転し、陽光の中で影の輪郭を変える。
――その刹那、胸の奥へ波動が触れた。
「渉、いま感じた?」
「……うん。穏やかで、でも深くて……」
柳教授は小さく頷いた。
「古都紅葉の加護でしょう。この季節、あの樹は最もよく目覚めると聞きます」
街の景色よりも、山と木々の気配のほうが圧倒的に濃い。
車窓を過ぎる度に、葉たちの声が意識に触れた気がした。
――『ようこそ』『待っていたよ』
やがて列車は静かに停まり、渉たちは山間の小さな駅に降り立った。
周囲を杉や紅葉の森が取り囲み、風に乗って葉のざわめきが聞こえてくる。ひんやりと澄んだ空気が頬を撫で、土と木の匂いが混ざった山の香りが広がっていた。
静寂の中、ゆっくりと一台のタクシーが滑り込む――寺角教授が手配した迎えだろうか。
後部ドアが開かれ、運転手が穏やかに会釈する。
「柳先生ですね。寺角先生から伺ってます。大学までお送りします」
渉たちはタクシーへ乗り込んだ。
ドアが閉まると、車はゆっくりと走り出した。
*
山道を登っていく。
窓の外は、言葉を忘れるほどの色彩だった。
赤、橙、深緋、黄金。
ひとつひとつの葉が光を弾き、風が吹くたび山に色の波が走る。
古い石垣、小川のせせらぎ、神社の鳥居。そこに絡むように、紅葉した木々の枝が影絵を描いた。
渉は思わず息をのんだ。
「すごい……山が、生きてるみたいだ」
フウが頷く。
「うん、生きてるよ。みんな見てるの。あの子が来たって」
「あの子って……雪幻桃?」
フウが、颯汰の木箱をちらりと指した。
「うん。すっごくワクワクしてるよ。会えるのかな、会えるのかなって」
「そんな……緊張してるのはこっちなのに……」
颯汰は苦笑しながら木箱を押さえた。
車内には森の声が微かに響いてくる。
揺れる枝先のざわめきが、耳の奥を撫でていく。
声を聞くたび、渉の胸の奥がふっと温かくなる。
「この土地は、精霊波動が濃いですね」
柳教授が窓の外に目を向けたまま呟いた。
「植物たちは、古都紅葉の庇護のもとにあるのです。あの樹が生きている限り、この山は呼吸をやめない」
「そういえば教授。さっきの花守りって――」
「ええ、話の続きでしたね」
教授が言葉を紡ごうとした、そのとき。
タクシーがゆるやかにカーブし、視界の先に広がる景色が一気に開け、その素晴らしさに圧倒された。
山間の窪地に、木々と共に建つ大学の姿。
石畳。木造棟。壁を這う蔦。
建物自体が森の一部になったような佇まい。
運転手が言う。
「着きました。こんな山奥の大学、珍しいやろ。けどまあ……ここは昔から、よう守られてきた場所やさかい。空気が他とは違いますやろ」
教授が礼を言い、降り立つ。
足元に落ちる落ち葉。
澄んだ空気。
人の声よりも、森の呼吸のほうが大きい。
颯汰は木箱を抱え直した。
「なんか……胸がドキドキしてきた」
「大丈夫だよ――」
渉が言う。
「雪幻桃も、たぶん同じ気持ちだから」
教授がゆっくりと校舎へ向かって歩き出す。
「さあ行きましょうか。寺角先生が、待っています」
その瞬間、校舎の扉が静かに開いた。
「柳先生、ようこそ」
姿を現したのは、坊主頭の中年男性。
羽織風のジャケットを肩に軽く羽織り、落ち着いた色のズボンを合わせた姿は、僧侶のような落ち着きと学者らしい知性を兼ね備えていた。
目には柔らかさと洞察力が宿り、長年山や森を観察してきた者の奥深い視線が光る。
寺角正久。
「こちらが例の若者たちですな。……ほう、ええ顔してはる」
「ええ。新設した精霊研究班の学生たちです」
寺角は渉たちをゆっくり見渡し、口元に微かな微笑を浮かべた。
「精霊研究班……ええ響きやねぇ。昔やったら、口にしただけで笑われたもんですが。……時代は変わりましたなぁ」
颯汰が、小さく目を見開き、ぽつりと漏らす。
「え……賢者じゃなくて、お坊さん……みたい?」
「こら、颯汰……失礼だろ」
寺角は口元をさらに緩め、少し肩をすくめた。
「あはは、よう言われますわ。自分でも時々、どっちの修行をしてるんか分からんようになりますのや」
それを聞いたフウも、肩で小さく息をつき、顔を上げてぽそりと言った。
「……お坊さん、ですか?」
颯汰が吹き出しそうになり、思わずフウの肩を軽くつつく。
「おいフウ、そ、そういうことは言うな!」
寺角は微笑を崩さず、にっこりと頷く。
「おや、この子は――」
「あ、えーっと、植物探査のAIロボです!」
寺角は静かに首を振り、慈しむような視線をフウに向けた。
「……隠さなくてええよ。この子は精霊さんや。嘘をつくには、この場所の気配は澄みすぎてますわ」
驚く一行をよそに、彼は自分の手のひらを見つめるようにして続けた。
「実は私も、少しだけ精霊の血を引いておりましてな。……同類には、敏感なんですわ」
フウは一瞬、目を大きく見開き口走った。
「……えっ、颯汰と一緒?!」
渉は驚きを隠しながらも、少しほっとしたように息をついた。
柳教授が柔らかく肩を叩き、言葉を足した。
「ええ、寺角先生も桃くんと同じく、精霊の血を受け継いでおられる。だから、フウの存在もすぐに分かったのでしょう」
「精霊の血いうても、ごく僅かなもんですがな。……まあ、お陰でこの歳になっても山歩きだけは苦になりませんわ」
寺角の落ち着いた雰囲気と眼差しから、長年、自然や精霊と向き合ってきた者としての確かな威厳が伝わってきた。
「さあ、お入りやす。話すことは山ほどあります。――それに、確かめたいこともありますしな」
森が、ざわりと揺れた。
寺角が静かに扉を押し開き、渉たちは、古都大学の奥へと足を踏み入れた。
次回は来週金曜日更新!
寺角研のメンバーが登場します。




